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〒891-0141 鹿児島市谷山中央

中's ギャラリーgallery 2014年夏〜2014年冬掲載


 2012年夏の海外旅行で撮影した風景写真が中心です。

2015.3.7掲載  ドイツ ミュンヘン 王宮庭園側から見たレジデンツ

 2012.7.21撮影
 ドイツ ミュンヘン 王宮庭園側から見たレジデンツ 帰国便の都合で友人と別れフライトの時間までミュンヘン市内を散策しました。時間的に余裕があればニンフェンブルグ城に行こうと思っていたのですが、中央駅に着いた時にはそれ程の余裕がなくなっていたため行くのをあきらめ、前回訪れた時より天気が良かったのでぶらぶらと中央駅からマリエンプラッツまで歩き、間離縁プラッツ周辺を散策することにしました。レジデンツ内部は前回訪れた際に見学していたので、外部を散策し、前回とは違った角度からそれなりに楽しめました。
 散策は一人でもなんとかなりましたが、いざ空港に向かおうとマイエンプラッツ駅のSバーン乗場に行くと封鎖されており、予定していた電車に乗ることができませんでした。教えてもらったバスの乗場にはバスもバスを待っていそうな人も見当たらず不安になったため、結局タクシーで空港に行くことにしました。想定外のアクシデントが発生した場合には言葉の問題が大きくたちはだかり残念でした。

2015.2.28掲載  ウクライナ キエフ ペチュールスカ大修道院

 2012.7.20撮影
 ウクライナ キエフ ペチュールスカ大修道院 キエフ市内の南部に位置し、ドニエブル川沿いの緑の中に広がっています。東スラブで最も長い歴史をもつ修道院でソ連時代は歴史記念碑的建築群として博物館になっていたが1988年に正式に活動を再開し、ロシア正教のウクライナ支部の総本山なっている所です。修道院は7kmにも及ぶ城壁で囲まれ、広大な院内は上の修道院(博物館や中心となる教会が集まっている北側の部分)と下の修道院(一段低い位置で地下墓地のある南側の部分)に別れています。写真は下の修道院の一番南側にあるアンナ受胎教会の境内から上の修道院の中心部を望遠で撮影したものです。
 修道院は多くの観光客や巡礼者たちであふれており、また黒一色の修道僧たちともすれ違い、ガイドブックに記載されていた古風な「聖」の世界と「俗」の世界が同居する不思議な雰囲気を持った空間という表現に納得してしまいました。

2015.2.21掲載  ウクライナ キエフ 独立広場

 2012.7.20撮影
 ウクライナ キエフ 独立広場 メインストリートのフレシチャーチク通りを跨いで広がっているキエフの中心となる広場。中央の円柱は独立から10周年の2001年に造られたウクライナ独立記念碑で高さ62m、先端にはテマリカンボクの枝を持った女性像が立っています。これは広場の南側で広場の北側には中世の頃にその場所にあった城壁の門(ペチェルスキエ門)のミニチュアが建ち、町のシンボルである大天使ミカエルが広場を見下ろしています。広場には噴水や池など水にあふれており、夏のひとときを楽しむ多くの家族連れやカップルが思い思いに水と戯れていました。
 写真を撮っていると、ちょっと変わった風貌(?)の日本人が珍しかったのか、着ぐるみのお兄さんに子供をちゃかすように何度もからまれてしまい困ってしまいました。

2015.2.15掲載  ウクライナ キエフ ソフィア大聖堂鐘楼から見た聖ミハイル修道院

 2012.7.20撮影
 ウクライナ キエフ ソフィア大聖堂鐘楼から見た聖ミハイル修道院 ソフィア大聖堂、聖ミハイル修道院(聖ミハイルの黄金ドーム修道院)ともに首都キエフの街中にあり、一本の道の両端に建っています。ともに鐘楼の下が入口になっており、鐘楼に昇ると街中だけでなくお互いが上からきれいに見えるようになっていました。
 キエフの街は思っていた以上ににぎやかで、民主化も進んでいるように感じました。しかし、今日、紛争で国が分裂状態になっているのは残念でなりません。

2015.2.7掲載  ウクライナ キエフ 黄金の門

 2012.7.20撮影
 ウクライナ キエフ 黄金の門 首都キエフの街中にあるが、11世紀前半、ヤロスラフ賢公によってキエフ市街を取り囲む城壁が築かれ、コンスタンチノーブルの例にならい街の公式の入口として造られたものです。1240年にモンゴル軍によって破壊されたが、1982年に再建されました。内部にはオリジナルの門の廃墟が包まれるように保存されています。ウラジミールの黄金の門はキエフの黄金の門を模して造られたそうですが、復元された現在の門からは何となく雰囲気は似ているようにも思いましたが、色合いの違いからかあまり感じられませんでした。
 内部の見学コースは一方通行になっていたため、廃墟部分の全体の雰囲気がわからず、後で撮ろうと思っていた写真を撮影することができず残念でした。

2015.1.31掲載  ブルガリア ソフィア アレクサンダル・ネフスキー寺院

 2012.7.19撮影
 ブルガリア ソフィア アレクサンダル・ネフスキー寺院 首都ソフィアの中心街にあるブルガリア最大で最も美しいと云われている寺院です。高さ60mの金色のドームをはじめ12のドームからなるネオ・ビザンツ様式の建築物です。内部の装飾も豪華で目を見張るものがありました。また、地下室はイコンを展示する博物館になっており、一見の価値がありました。
 ソフィアの街は民主化により新しい発展をはじめているという感じでしたが、そのような中でも昔からの民族の文化を大切に継承し続けているのがわかったような気がしました。

2015.1.25掲載  ブルガリア ソフィア 聖ペトカ地下教会

 2012.7.19撮影
 ブルガリア ソフィア 聖ペトカ地下教会 首都ソフィアの中心街に地下道から屋根だけを突き出した半地下式の教会です。教会が建てられたのはオスマン・トルコの治世下にあった14世紀で、イスラム全盛の世であったため半地下という肩身の狭い思いをしながら建てられたように見え、左手後方に堂々と建っているイスラム寺院バーニャ・バジ・ジャーミヤとは対照的です。
 小さな教会で内部は手作り感にあふれていましたが、いろいろと飾られており見ごたえはありました。

2015.1.17掲載  ブルガリア リラ リラの僧院

 2012.7.18撮影
 ブルガリア リラ リラの僧院 首都ソフィアから南へ約65km、リラの山奥にひっそりとたたずんでいます。僧院の建立は10世紀で、14世紀に王の庇護により僧院文化が花開いています。1833年の火事でいったん消失したが再現されたものです。フレスコ画で彩られた聖母誕生教会や4つの礼拝堂、図書館等があります。
 教会内部は撮影禁止になっていますが、外側にも多くのフラスコ画が描かれており、その素晴らしさを堪能するだけでなく、記録に残すこともできます。観光地として有名なだけあり、山奥でありながら多くの人でにぎわっていました。

2015.1.10掲載  ブルガリア ゼメン ゼメン修道院(ゼメン聖堂)

 2012.7.18撮影
 ブルガリア ゼメン ゼメン修道院(ゼメン聖堂) 首都ソフィアから西南へ約70km離れた場所にあります。修道院は第1ブルガリア王国時代(681〜1018年)に創立されたもので、聖堂は11〜12世紀に建設され十字型で3つのアプス(後陣)があります。聖堂内には12世紀のものとされる壁画で、ヨアキムとアンナ、ダビデかソロモンと思われる王像、聖コンスタンティンと聖エレナの像の一部などが残っています。
高台にあり眺めも楽しめる場所にありましたが、訪れる人もさほど多くなくひっそりとした感じでした。

2015.1.3掲載  ヨルダン マバダ 聖ジョージ教会

 2012.7.17撮影
 ヨルダン マバダ 聖ジョージ教会 ヨルダンの最後に訪れたのはマバダにある聖ジョージ教会。ギリシャ正教の教会で床に6世紀のパレスチナの地図がモザイクで描かれていました。地図はところどころ欠けていましたが、ナイル川や死海、ヨルダン川を下る魚などを見ることができます。
 教会はあまり大きくありませんが独特の雰囲気を持った教会で、訪れる人も結構多いように感じました。

2015.1.1掲載  東京 立川 東京から見える富士

 2014.2.16撮影
 東京 立川 東京から見える富士 2014年の雪の降った翌日に撮影した写真から切り取ったものです。昨日の雪で富士も周囲の山々も雪化粧していました。
 今年の冬は寒さが厳しいようで再びこのような光景が見られるのかもしれません。

2014.12.27掲載  ヨルダン アンマン アブー・ダルウィッシュ・モスク

 2012.7.17撮影
 ヨルダン アンマン アブー・ダルウィッシュ・モスク アンマンの南東にあるアシュラフィーエの丘の上に建つモスクで、移住してきたコーカサス人によって1961年に造られたものである。白と黒のブロックを積み上げた外観が他のモスクとは異なり目を引く。このモスクは残念ながらイスラム教徒以外は入場不可ということで内部は見学できなかった。
 訪れたのが朝だったためか周囲の人通りも少なく、外観に反してひっそりとした雰囲気でした。

2014.12.20掲載  ヨルダン アンマン アンマン城から見たローマ劇場

 2012.7.16撮影
 ヨルダン アンマン アンマン城から見たローマ劇場 アンマンのダウンタウンのはずれにあるアンマン城は高台の上に城跡のみが残っています。ここからは周囲が見渡せ南側にはローマ劇場が正面に見えます。ローマ劇場は33列6000人を収容できる広さでヨルダン国内最大級の劇場で丘の斜面を利用して客席が造られていることが良く解ります。劇場は紀元2世紀ローマ皇帝アントニウス・ピウスの治世時代に造られたものです。
 写真のまわりを見れば斜面沿いに多くの建物が建っているのが良く解ります。アンマンの町はダウンタウンを含め平らな所が少なく結構起伏のある場所にできており、通りを行き来するだけで結構体力を必要とします。ここでは徒歩での観光地巡りがほとんどなかったので助かりました。

2014.12.13掲載  ヨルダン アンマン キング・アブドゥッラー・モスク

 2012.7.16撮影
 ヨルダン アンマン キング・アブドゥッラー・モスク アンマンのダウンタウンからは少し外れたアブダリ地区にあるモスクで、3000人が一度に礼拝できるヨルダン最大級のモスク。壮麗なブルーのモザイクタイルでできたドームの形状からブルーモスクとも称されている。外観だけでなく内部も水色を基調として彩られており、結構豪華な感じがしました。また、訪れた時はほとんど人が居なかったため柱のない内部空間は相当広く感じられましたが、ここで3000人の礼拝者が一斉に礼拝をする様はどのような光景なのかは想像できませんでした。

2014.12.6掲載  ヨルダン ジュラシュ遺跡 フォルムと列柱通り

 2012.7.16撮影
 ヨルダン ジェラシュ遺跡 首都アンマンの北約50kmの所にある遺跡 ローマ人がアラブに造ったローマ都市の中でも最も華麗で壮大なもので、ペトラ遺跡に次ぐヨルダンの遺跡と云われている。現在に残る遺跡の多くは紀元2,3世紀頃のもので当時の繁栄が偲ばれる。写真中央の広場はフォルムと呼ばれるもので、イオニア式の列柱に囲まれた広場は宗教的儀式に使用されていたらしい。その奥には500m程続く列柱通りがあり、大聖堂をはじめとする教会や劇場および浴場等が近くに存在していたらしい。
 近くにある競馬・戦車競技場(当時は戦闘用馬車の競争等が行われていた場所)ではローマ軍戦車競技劇が見られるということで見学したが、少人数によるものでちょっと迫力にかけており残念でした。

2014.11.30掲載  ヨルダン 死海東岸

 2012.7.15撮影
 ヨルダン 死海東岸 ペトラ遺跡を散策した後はチャータ車で今夜の宿泊地死海東岸のホテルへ直行。死海が近づくに従い持っていた簡易高度計はどんどん下がり、一時-400m以下にまで下がっていました。死海の海抜はー420mで地球上で最も海抜が低い場所となっている。到着したのが夕方だったため、湖岸まで下りることはしなかったので、死海の水の味や浮力の大きさは体験できなかったが、海抜の低さだけは実感できました。また、近くの海水浴場はシーズンオフなのか、夕方だったからかはわかりませんでしたが、死海で泳いでいる人を観察することもできませんでした。

2014.11.22掲載  ヨルダン ペトラ遺跡 エド・ディル

 2012.7.15撮影
 ヨルダン ペトラ遺跡 エド・ディル ペトラ遺跡の中では最も奥まった位置にあり1時間程の山道を登った先に突然と開けた場所に着く。そこにあるのがエド・ディルと呼ばれるナバタイ人の神殿です。高さ45m、幅50mの大きさでエル・ハズネより大きいが、広々とした場所に建っているため、あまり大きさを感じることはできませんでした。さすがにここまで登ってくる人はさほど多くないようで、静かな雰囲気でした。
 登り口からロバに乗って登ることもできますが、狭い場所もあり、結構怖そうな感じで、利用者が多いという感じではありませんでした。また、登り口付近でロバを進める観光客相手の現地人が多くいるため、ロバを利用しないと行きずらい雰囲気があり、これが多少なりと影響しているのかもしれません。

2014.11.15掲載  ヨルダン ペトラ遺跡 ローマ円形劇場

 2012.7.15撮影
 ヨルダン ペトラ遺跡 ローマ円形劇場 エル・ハズネを過ぎると岩をくり抜いた建物が道の両側に並びファサード通りと呼ばれている。その先に岩を階段状に半円形にくり抜いた空間が広がっている。これがローマ円形劇場と呼ばれるもので、2〜3世紀に造られ、5000人以上を収容できるらしい。
 ファサード通りの先に見えてくるので、一目で円形劇場だと解るが、残念ながら階段状の観客席に入ることはできないようになっていました。

2014.11.8掲載  ヨルダン ペトラ遺跡 エル・ハズネ

 2012.7.15撮影
 ヨルダン ペトラ遺跡 エル・ハズネ 前日ヨルダンに入国し、首都アンマンから陸路で移動、夕方にはこの地に到着した。この日は朝からペトラ遺跡を散策し、数々の遺跡を見ることができた。ペトラとはギリシャ語で崖を意味しているらしいが、死海とアカバ湾の間にある渓谷で、死海から約80km南に位置し紅海にも近く、中東での人や物の行きかう要衝の地であったらしい。そのため、紀元前1世紀頃から栄えており、その時代を反映した遺跡が現代に残っているようです。ただし、遺跡の解明はまだ進んでおらず、多くの謎があるらしい。
 エル・ハズネ(宝物殿)はペトラ遺跡において最も精緻な遺跡と言われているが、東側の入口からはシークと呼ばれる暗く狭い渓谷を抜けた場所にある。最近の調査では王の墳墓ではないかと言われているようです。
 遺跡全体は広大な場所であり、どの程度の観光客が訪れているのかはわかりませんでしたが、見学して回るには体力も気力も必要な感じで団体客はあまり見かけませんでした。 

2014.11.1掲載  ドイツ連邦共和国 ベルリン ベルリンの壁(イーストサイドギャラリー)

 2012.7.13撮影
 ドイツ連邦共和国 ベルリン ベルリンの壁(イーストサイドギャラリー) 夕方再びベルリンに戻り、東西分裂時代の遺物ベルリンの壁を見に行きました。ベルリンの壁は、経済格差や政治体制への不満を持つ東ドイツ人の西ベルリンへの脱出に対し国家存亡の危機と判断した東ドイツが1961年8月13日に東西ベルリンの境界線をすべて封鎖し壁を構築したもので、全長約155km、最高4.1mの高さがあった。しかし、1989年11月9日東ドイツ政府が外国への旅行の自由化を承認したことにより壁は東ドイツ市民の手により壊された。
 今では壁そのものが残っている所は少なくなったそうで、ここイーストサイドギャラリーは約1.3kmがオープンギャラリーとなっており、ドイツ内外の画家が壁に描いた壁画が保存されていた。壁そのものは1夜にして築かれたといわれるだけあり城壁のようにごつい感じではなかったが、逆に壁の非情さが浮き彫りになっているようで、当時の市民の辛さ悲しさが伝わってくるような気がしました。 

2014.10.25掲載  ドイツ連邦共和国 ポツダム ツェツィーリエンホーフ宮殿

 2012.7.13撮影
 ドイツ連邦共和国 ポツダム ツェツィーリエンホーフ宮殿 ホーエンツォレルン家の最後の皇太子ヴィルヘルムが家族とともに住んでいた場所で、1917年に完成したもので宮殿としては最近のものである。ここが有名になったのは1945年夏に開かれたポツダム会議の場であったことです。第2次世界大戦末期、アメリカ、イギリス、ソ連の首脳が集まり、ドイツの戦後処理などが話し合われ、同時に日本へのポツダム宣言も発せられた場所ですが、会議が開かれた部屋や各国の控え室として利用された部屋が見学できるようになっていました。ただし、公式日程においては対日問題は話し合われてはいなかったようです。
 ここが、ドイツ統一まで東ドイツになっていたことを知ると、戦争の空しさと歴史のあやを感じずにはいられませんでした。
 

2014.10.18掲載  ドイツ連邦共和国 ポツダム サンスーシ宮殿

 2012.7.13撮影
 ドイツ連邦共和国 ポツダム サンスーシ宮殿 ベルリンの隣町でありながらかつては東ドイツに属していたため近くて遠い存在だった古都ポツダム、現在は多くの城館と庭園を有する世界遺産の町として活気を帯びていました。プロイセン王のフリードリヒ大王(2世)が夏の居城として建てたサンスーシ宮殿は街の北側にありバスで簡単に行ける場所にありました。宮殿内部の装飾の素晴らしさにも劣らず階段状に造られた庭園のぶどう畑も見事なものでした。
 宮殿観光は人気があるようで、あいにくの天気で庭園散策も傘をさしながらであったが、多くの人が入館時間を待って庭園散策や待ち行列を作っており、にぎわっていました。

2014.10.12掲載  ドイツ連邦共和国 ベルリン カイザー・ヴィルヘルム記念教会

 2012.7.13撮影
 ドイツ連邦共和国 ベルリン カイザー・ヴィルヘルム記念教会 アイスランドの次に訪れたのはドイツのベルリンとポツダムでした。あいにくの天気でしたが、朝はベルリン市内の観光を行いました。印象深かったのは、1888年に死去したヴィルヘルム皇帝のために19世紀末に建てられたネオロマネスク様式の教会、カイザー・ヴィルヘルム記念教会です。1943年の空襲で破壊されたものを、戦争の悲惨さを伝えるモニュメントとして残った塔の部分を崩れたままの姿で保存している。残念ながら訪れた時は補修工事中で外観はパネルで覆われて見ることはできなかったが、その思いを受け止めることができた。また、隣には八角形の新しい教会が造られており、内部を全体的にとりまく感じで青色のステンドグラスが飾られており、その対比にも驚かされてしまった。
 もし、外観が見物できていたら、繁華街にあっただけにさらに思い知らされたような気がしたことでしょう。

2014.10.4掲載  アイスランド レイキャビク チョルトニン湖畔

 2012.7.12撮影
 アイスランド レイキャビク チョルトニン湖畔 1日観光から戻った夕方は首都レイキャビクを散策しました。街の中心部にあるチョルトニン湖の周辺に主要ポイントがあり、湖畔をのんびりと散策しながら見所をめぐることができる。写真はチョルトニン湖西岸から東岸方面を撮影したもので、左端には市のシンボルともなっているハトルグリムスキルキャ教会が宇宙船のロケットのように見えている。右端には音楽タワーの白い建物が緑の中で際立っている。また、湖には多くの水鳥が泳いでいるのを見ることができる.
 街は高い建物も少なく、石とコンクリートのビル群もほとんど目にすることもない。絵本で見るような小さいカラフルな家が続いており、のんびりとした時間が流れているような感じでした。

2014.9.27掲載  アイスランド ゴールデンサークル ゲイシール(ストロックル)

 2012.7.12撮影
 アイスランド ゴールデンサークル ゲイシール(ストロックル) グトルフォスから西に10km程戻ると間欠泉の語源となっているゲイシールを見ることができる草原があります。ここにかつて70m程の高さまで水柱を噴き上げていた間欠泉ゲイシールがあります。しかし、現在は約半分の高さまでしか吹上なくなっているだけでなく、1日に2回しか吹き上がらなくなっているとか。この元祖に代わって5分程の間隔で水柱を噴き上げているのが上記写真のストロックルと名付けられた新しい間欠泉です。岩盤に開いた直径2m程の口から温水が盛り上がり、30m程の高さまで豪快に温水を噴き上げます。
 噴き上げる間隔が短いだけに、ついつい繰り返し見てしまい、時間がたつのを忘れてしまいます。

2014.9.20掲載  アイスランド ゴールデンサークル グトルフォス

 2012.7.12撮影
 アイスランド ゴールデンサークル グトルフォス ゴールデンサークルの東側の渓谷を流れるクヴィータゥ川(白い川という意味)は氷河から流れ出る白濁した水で満たされ、途中に壮大な滝を形成している。これがグルトフォスと呼ばれる滝で、川幅70mに2段の滝ができており、全体の落差は32m。激しく落ち込む流れから白い泡となり水飛沫が周囲を濡らしている。青い空、緑の草原の静けさの中で、この白い滝だけが轟音とともに躍動を感じさせてくれました。100年程前にあったイギリス企業による発電所建設を、地元の人々が身を呈した活動で中止に追い込み今でもこの滝を眺められるとのことで、滝を見渡せる場所に身を呈して陳情した農夫の娘シーゲリーズルの碑が設置されていました。
 周囲の景色とともに楽しめるこの滝は水量や高さ、大きさを誇る三大瀑布や岩の中を穿ちながら流れ落ちるトリュンメルバッハの滝とは異なる趣のある滝でした。

2014.9.13掲載  アイスランド ゴールデンサークル シンクヴェトリル国立公園

 2012.7.12撮影
 アイスランド ゴールデンサークル シンクヴェトリル国立公園 アイスランドのレイキャビク郊外はアイスランド特有の自然や歴史的な見どころが点在しており、ゴールデンサークルと呼ばれ、観光の人気エリアとなっている。この日は観光バスの1日ツアーに参加し、その醍醐味を味わいました。最初に訪れたのは、北アメリカとヨーロッパを分けるプレートの裂け目があり、世界最古の民主議会が開かれた場所であるシンクヴェトリルです。アイスランド最大の湖シンクヴァトラヴァトンの北側に位置した風光明媚な場所で、「ギャゥ」と呼ばれる大地の裂け目が幾筋も走っており、裂け目には岩盤がむき出しになって続いていました。ユーラシアプレートと北アメリカプレートが生まれ東西に分離している場所であり、プレートは現在も2cm/年程度左右に広がっているようです。この地はさらに歴史に偉大な足跡を残した場所であり、西暦930年に世界で初めての民主会議が開かれています。ノルウェーから移住してきた人々が平等に生きるための新しいルールを決め、議会制民主主義を確立したのです。写真右側後方の白いポールが見える場所がその地であり、ポールの上にはアイスランド国旗がはためいていました。

2014.9.6掲載  デンマーク領 グリーンランド クルスク村

 2012.7.11撮影
 デンマーク領 グリーンランド クルスク村 ツアーの最後は別料金でモーターボートに乗り、村から空港近くまで会場からの眺めを満喫しました。港近くにはアザラシが我が物顔に寝転がっていましたが、海上にはあちことに氷山が顔を出しており、さすが北のはての地ということを実感しました。ボートはその間を縫うように進み、わずか10分程で空港近くまで戻ってきました。ツアーの閉めはグリーンランドの北緯65度32分、西経37度15分に到着したことを示す記念の証明書が渡され、パスポートにクルクスの記念スタンプを押してもらい、飛行機でアイスランド、レイキャビクに戻りました。
 実際に見たものは、有名な景勝地や遺産となるような文化ではありませんでしたが、自然の厳しさとその中で生活する人々のなまの姿に触れることができ、一味違った体験をすることができました。

2014.8.30掲載  デンマーク領 グリーンランド クルスク村

 2012.7.11撮影
 デンマーク領 グリーンランド クルスク村 1日ツアーは空港から村までの道のりを歩きながら自然を散策します。途中、白い十字架が並ぶ墓地の横を通ったり、雪原の上をまわりの風景を楽しみながら歩いていると前方に村が見えてくるが、岩の上に建てられた家々は緑や青、茶、黄色等のカラフルな色でペイントされている。クルスクには約350人が生活しているが、ほとんどがグリーンランド・イヌイットと呼ばれる人たちで、日本人とそっくりな顔立ちです。村ではスーパーや土産物屋を回った後、イヌイットの伝統芸能であるドラムダンスを民家の中で見せてくれました。

2014.8.23掲載  デンマーク領 グリーンランド クルスク村

 2012.7.11撮影
 デンマーク領 グリーンランド クルスク村 「グリーンランド」の由来は8世紀にノルウェーから新天地に向かって海を渡ったヴァイキングが氷河の島を見て「アイスランド」と名付け、その後、さらに海を渡った先にあった島に上陸したが、あまりの寒さに希望を込めて、また新たな入植者を募るためにあえて「グリーンランド」と名付けたことにある。すなわち、アイスランドとグリーンランドの名前は現実とはまったく逆のイメージでつけられている。クルスクはグリーンランド東海岸の小さな島にある村の名前で、空港があるためか、秘境のフィヨルドのある町として知られているタシーラック(旧名アンマッサリック)への玄関口となっており、アイスランドからのグリーンランド1日ツアーで楽しめる場所です。
 ツアーの案内よりもっと寒さを感じると思っていたが、地球温暖化の影響があるのか、たまたま暖かい日だったのか、気分が高揚していたのかわからないが、それほどまでの寒さを感じることはなく、1日ツアーを楽しむことができました。

2014.8.16掲載  アメリカ合衆国 ワイオミング州 グランドティトン国立公園 ジャクソンレイクとティトン山脈

 2012.7.8撮影
 アメリカ合衆国 ワイオミング州 グランドティトン国立公園 ジャクソンレイクとティトン山脈 グランドティトン国立公園の北半分を占めるジャクソンレイクは背後のティトン山脈と相まって、いくら見ても見飽きない自然がおりなす風景です。また、ティトン山脈は「シェーン カンバーック」のセリフで知られる、ジョージ・スティーブンス監督、アラン・ラッド主演の西部開拓の姿を描いた名作「シェーン」に随所で登場しています。ラストシーンで去り行くシューンの行く手に聳えていた山がグランドティトンでした。
 イエローストン国立公園を散策した後は、車で南下しジャクソンに宿泊したため、再び美しい景色を見ることができました。ただし、掲載した写真はこの日の朝撮ったものです。

2014.8.9掲載  アメリカ合衆国 ワイオミング州 イエローストーン国立公園 アッパー・ガイザー・ベイスン

 2012.7.8撮影
 アメリカ合衆国 ワイオミング州 イエローストーン国立公園 アッパー・ガイザー・ベイスン イエローストーン国立公園で最も多くの人が集まるエリアでオールドフェイスフル・ガイザー(写真左)を中心にたくさんの間欠泉があります。オールドフェイスフル・カイザーは4万リットルの熱水を30〜55mの高さに噴き上げる間欠泉で65〜92分間隔でこの噴き上げを見ることができます。この他にも見ごたえのある間欠泉が点在しているが、全体を見て楽しむためには2,3時間は必要とのこと。我々は1時間程度を予定していたが、到着したタイミングが悪く、オールドフェイスフル・ガイザーの噴出時間が滞在時間を二分してしまうことになってしまいました。そのため、入口近くの間欠泉しか散策できず、奥の方にあるジャイアント・ガイザーやモーニング・グローリー・プールまでは足を延ばすことはできませんでした。それでも、オールドフェイスフル・ガイザーの噴出は目の前で見ることができ、その噴き上げの凄さを堪能することはできました。

2014.8.2掲載  アメリカ合衆国 ワイオミング州 イエローストーン国立公園 グランド・プリズマティック・スプリング

 2012.7.8撮影
 アメリカ合衆国 ワイオミング州 イエローストーン国立公園 グランド・プリズマティック・スプリング グランド・プリズマティック・スプリングはイエローストーン国立公園のミドウェイ間欠泉地域にあり、合衆国最大の熱水源です。世界的にもニュージーランドのフライング・バン・レイク、ドミニカのボイリング・レイクに次いで第3位の規模を誇っているそうです。また、名前も、地質調査において地質学者が注目し、その印象的な色彩から命名されたとのことで、その色彩には青、緑、黄色、オレンジ、金、赤および茶が含まれているとのことです。
 写真に写っている観光用の周遊コースを周っても、近すぎて全体のイメージをつかむことはできません。上空から見て初めて全体のイメージとその色彩がおりなす素晴らしさを堪能できるのですが、自然保護の観点からヘリコプターによる上空からの観光は禁止されているようです。ということで、この写真は、観光地からは外れているが、近くにあった丘の中腹まで時間をかけて道なき道を徒歩で登り、撮影できそうな場所を見つけてやっと撮ったものです。

2014.7.27掲載  アメリカ合衆国 ワイオミング州 イエローストーン国立公園 ウエストサム・ガイザー・ベイソン

 2012.7.8撮影
 アメリカ合衆国 ワイオミング州 イエローストーン国立公園 ウエストサム・ガイザー・ベイスン グランドテイトン国立公園内のジャクソン・レイクから北上し、イエローストーン国立公園内に入りました。そこでまず訪れたのがイエローストーン湖の西側にあるウエストサム・ガイザー・ベイスンです。手のような形をしたイエローストーンレイクを北から見た時、親指(thumb)にあたる場所で湖畔に温泉がわきだしているところです。一周1km程のトレイルをひとまわりすると、いろいろな色をした温泉や間欠泉、イエローストーン湖の中から湧き出している温泉などを見ることができました。
 朝早い時間だったが、温泉の向こうに湖が見えるのはここだけとのことで、朝日に輝く湖と温泉の煙を楽しんでいる観光客が結構いました。

2014.7.19掲載  アメリカ合衆国 ワイオミング州 グランドティトン国立公園 Schwabacher Landing

 2012.7.7撮影
 アメリカ合衆国 ワイオミング州 グランドティトン国立公園 Schwabacher Landing(発音がわからなかったため英語表記しています) 日本のガイドブックではあまり掲載されていない場所のようでしたが、トランスフィギュレーション礼拝堂からジャクソンホール・ハイウェイに戻り10分程北に走った後、脇道に入りスネークリバーに近づくと河岸に下りていける場所になっていました。しかし、設備などもほとんどなく観光地という感じではない自然のままを楽しませてくれる所で、ティトン山脈とスネークリバーさらにはスネークリバーに写りこむティトン山脈の自然の風景が実に美しい場所でした。
 河岸を森の方にしばらく歩くと、ティトン山脈がさらに近づいてきており、違った雰囲気を味わうこともできました。後で知ったのですが、この辺りはビーバーが堰を造る場所でもあるようでした。

2014.7.12掲載  アメリカ合衆国 ワイオミング州 グランドティトン国立公園 トランスフィギュレーション礼拝堂とティトン山脈

 2012.7.7撮影
 アメリカ合衆国 ワイオミング州 グランドティトン国立公園 トランスフィギュレーション礼拝堂とティトン山脈 2012年の海外旅行はアメリカ大陸の中央に屋根のように聳えるロッキー山脈の一部であるティトン山脈周辺の国立公園(グランドティトン国立公園)の見学からスタートしました。グランドティトン国立公園はアメリカ合衆国にある55の国立公園の中でも一番美しい公園と云われており、湖と山と森が見事に調和した素晴らしい景観を楽しむことができます。
 トランスフィギュレーション礼拝堂は国立公園の南側入口(料金所)から北に車で数分行った草原にポツンと立っている丸太づくりの無人の礼拝堂だが、草原の景色に溶け込んで絵になる風景です。礼拝堂に入ってみると祭壇のところに木の枝で作られた十字架が飾られているだけの質素なチャペルだが、祭壇の後ろには窓があり、青空に雄雄しく聳え立つグランドティトンの山並みの雄大な景色を額縁に入れられた写真のように見ることができます。(今後の旅行記でお楽しみください)