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〒891-0141 鹿児島市谷山中央

中's ギャラリーgallery 2016年早春~2016年秋掲載


 2013年夏に行った海外旅行で撮影した風景写真が中心です。

2016.9.11掲載 エクアドル 上空から見たアンデス山脈

 2013.7.24撮影
 エクアドル 上空から見たアンデス山脈 ガラパゴス諸島からの帰途、グアヤキル経由でキトに向かう途中、右側にはアンデス山脈の山々が見えていました。雲の上に雪をいただいた山が見えていましたが、たぶんコトパクシ山(2015年に約100年ぶりに噴火した山)ではないかと勝手に思い写真におさめました。
 

2016.9.3掲載 エクアドル ガラパゴス諸島 サンタクルス島 ダーウィン研究所

 2013.7.24撮影
 エクアドル ガラパゴス諸島 サンタクルス島 ダーウィン研究所 ダーウィンの『種の起源』(1859年)が出版されてから100年目となる1959年、ガラパゴス委員会の関係者らにより、ベルギーの首都ブリュッセルに本部をおくチャールズ・ダーウィン財団が設立され、サンタ・クルス島の南沿岸のアカデミー湾に面する場所に建設が開始され、1964年1月21日、正式に研究所が発足したそうです。研究所内にはガラパゴスゾウガメやガラパゴスリクイグアナが生息していました。また、訪れた1年前(2012年)に100歳で亡くなったロンサム・ジョージに関する看板もありました。
 

2016.8.27掲載 エクアドル ガラパゴス諸島 イザベラ島 Cerro Orchilla/フラミンゴ湖

 2013.7.24撮影
 エクアドル ガラパゴス諸島 イザベラ島 Cerro Orchilla/フラミンゴ湖 Cerro Orchillaはイザベラ島の南部を見渡せる場所で、多くの人々が住む南東端にある街(プエルト・ヴィラミル)をはじめ、360度のパノラマを楽しむことができる場所でした。フラミンゴ湖はその名の通り、フラミンゴが飛来する湖で、その姿をほぼいつでも見ることができる場所とのことでした。
 

2016.8.20掲載 エクアドル ガラパゴス諸島 イザベラ島 Las Tintoreras

 2013.7.24撮影
 エクアドル ガラパゴス諸島 イザベラ島 Las Tintoreras イザベラ島はガラパゴス諸島の西端にある島で諸島の中で最大の島です。また、島の北部を赤道が通る赤道直下の島でもあります。島は6つの火山により構成されており、そのうち5つは現在も活動中であり、火山活動が活発な島となっています。諸島で3番目に人口の多い島で、多くの人々は南東端にある街(プエルト・ヴィラミル)に集中しています。
 Las Tintorerasは、プエルト・ヴィラミルの近くにある島(岩礁?)でガラパゴス固有種と言われる生物が沢山生息している場所になっています。我々が訪れた時にも、それらのいくつかを観察することができました。写真では、ガラパゴスペンギン、アオアシカツオドリ、ウミイグアナ、ホワイト・チップド・リーフ・シャークを紹介しています。
 

2016.8.14掲載 エクアドル ガラパゴス諸島 フロレアナ島 Asilo de la Paz

 2013.7.24撮影
 エクアドル ガラパゴス諸島 フロレアナ島 Asilo de la Paz Asilo de la Pazは島の中央部にある山の麓の高さ約450m程の所にある場所で島の歴史を物語る場所になっています。その一つが淡水の泉(写真左下)で、諸島で唯一の湧水だそうで、古くからこの水を得るために海賊たち上陸していたそうです。その海賊たちは近くに洞窟を掘り(写真左上)、ねぐらにしていたそうです。さらに、何の目的で作ったのかわかりませんが、近くには岩を刻み顔面を造りだしたもの(写真右上)が残っています。
 また、近くにはゾウガメ保護区があり、かつてこの地に生息していたゾウガメが乱獲にあい絶滅状態になっていたものを保護している場所(写真右下)へも案内してくれました。
 

2016.8.6掲載 エクアドル ガラパゴス諸島 フロレアナ島 La Loberiaから見た島の風景

 2013.7.23撮影
 エクアドル ガラパゴス諸島 フロレアナ島 La Loberiaから見た島の風景 19の島々からなるガラパゴス諸島のうち、フロレアナ島は南端にある島の一つです。また、人間が住む最も小さな集落がある島でもあります。1600年代の大航海時代には多くの人々が往来し、海賊達のゆかりの地でもあるそうです。
 上の写真はLa Loberiaの岩山の上から見た島の全景です。下の写真は同じ場所からほぼ反対側に見えるガラパゴスアシカの生息地で、砂浜にゆったりと何匹ものアシカが寝そべっているのがわかります。
 

2016.7.31掲載 エクアドル ガラパゴス諸島 サンタクルス島 RANCHO PRIMICIAS

 2013.7.23撮影
 エクアドル ガラパゴス諸島 サンタクルス島 RANCHO PRIMICIAS RANCHO PRIMICIASはサンタクルス島の中央部にあるガラパゴス国立公園に隣接する場所で600エーカーの広さを持つディバインファミリィ所有の個人的な牧場です。ガラパゴス国立公園に生息するガラパゴスゾウガメが季節になると自由に移動し、この場所で歩き回ったり食事をしたり眠ったりするそうです。
 ここでは、カメを観察するため結構ぬかるんだ場所を移動するので、入口で提供されるブーツに履き替えてから移動を開始することになります。また、ゾウガメを観察するだけでなく、丁度、人ひとり入れる程の甲羅の中に入りカメの気分を味わうこともできます。
 

2016.7.23掲載 エクアドル ガラパゴス諸島 サンタクルス島 ガラパテロビーチ

 2013.7.22撮影
 エクアドル ガラパゴス諸島 サンタクルス島 ガラパテロビーチ ガラパテロビーチはサンタクルス島の北側にあるビーチです。マングローブにより取り囲まれたビーチは白い砂のきれいなビーチで、3km程続いています。ビーチの背後には淡水湖があり、フラミンゴ、アオサギ等の多くの鳥の生息地になっていました。また、美しいターコイズブルーの水域はシュノーケルを使って泳ぐのに良い場所でもありました。
 

2016.7.17掲載 エクアドル ガラパゴス諸島 空港島からサンタクルス島へのフェリー

 2013.7.22撮影
 エクアドル ガラパゴス諸島 空港島(バルトラ島)からサンタクルス島へのフェリー ガラパゴス諸島へはキトからの航空便でバルトラ島にあるセイモア空港に到着。空港から赤茶けた道路を車で20分程走ると船着場に着きました。そこからフェリーに乗り換え、500mほど離れた対岸のサンタクルス島に向かいます。海は美しく青く澄み渡っていました。島に着くと、再び車に乗り南下し、1時間程で島の南端にある諸島最大の町プエルト・アヨラに到着しました。
 自然保護の島というイメージを持っていたのですが、以外にも想像以上に多くの人々が生活しており、結構、環境が悪化しているように感じました。

2016.7.10掲載 エクアドル キト ラ・カテドラル

 2013.7.21撮影
 エクアドル キト ラ・カテドラル ラ・カテドラルはキトの旧市街の独立広場に面した大聖堂で、1535年に建設された歴史ある教会です。緑色のタイルで飾られた美しいドームと独立広場に突き出す扇形の階段を持つ”カロンデレット・アーチ”で知られています。付近には個性的で魅力的な教会がいくつもあり、400年前の植民地時代の建築物が今も生き続けていました。旧市街はユネスコの世界文化遺産として1978年に登録されているそうです。
 教会群を駆け足で廻ったため、残念ながらこれはというアングルからの写真は撮影できませんでした。

2016.7.2掲載 エクアドル キト郊外 赤道記念碑

 2013.7.21撮影
 エクアドル キト郊外 赤道記念碑 キト市の北方約23kmに位置するサン・アントニオ村に北半球と南半球を分けている線=赤道が通っています。これを記念して赤道記念碑が建てられています。高さ約30mもある立派なもので天辺には直径4.5mもある球がのっています(写真左)。しかし、GPSにより実際の赤道はここより数百mずれた場所であることがわかったそうです。そこはインティニャン ミュージアムと呼ばれている場所(写真右)で、もともとのミュージアムでの展示に含め、赤道を示す赤い線が引かれ、いろいろな実験を実演してくれていました。

2016.6.25掲載 エクアドル キト郊外 ハチドリ観察

 2013.7.21撮影
 エクアドル キト郊外 ハチドリ観察 ハチドリはアメリカ合衆国南西部からアルゼンチン北部にかけて生息する鳥で、鳥類の中でも小さいグループに属し、体重は2~20g程度、毎秒約55回、最高で約80回の高速ではばたき、空中で静止するホバリング飛翔を行います。 「ブンブン」 とハチと同様の羽音を立てるため、ハチドリ(蜂鳥)と名付けられたようです。英語ではハミングバード Hummingbird で、こちらも同様にハチの羽音(英語における擬音語が hum)から来ています。尚、足は退化しており、枝にとまることはできるがほとんど歩くことはできないそうです。
 訪れた場所は個人の邸宅の庭だったため、ちょっと驚きましたが、庭のあちこちに用意された餌箱をハチドリがひっきりなしに訪れて蜜を吸っていました。

2016.6.19掲載 パナマ パナマ運河 ミラフローレス閘門

 2013.7.20撮影
 パナマ パナマ運河 ミラフローレス閘門 パナマ運河はパナマ共和国のパナマ地峡を開削して太平洋とカリブ海を結んでいる閘門式運河です。規模は全長約80km、最小幅91m、最大幅200m、深さは一番浅い場所で12.5mとのことです。マゼラン海峡やドレーク海峡を回り込まずにアメリカ大陸東海岸と西海岸を海運で行き来できます。スエズ運河を拓いたフェルディナン・ド・レセップスの手で開発に着手しましたが、難工事とマラリアの蔓延により放棄。その後パナマ運河地帯としてアメリカ合衆国によって建設が進められ、10年の歳月をかけて1914年に開通しています。長らくアメリカによる管理が続いていましたが、1999年12月31日正午をもってパナマに完全返還されています。
 尚、ミラフローレス閘門は太平洋側の最初の閘門でミラフローレス湖との高低差16.5mを行き来できるようにしています。

2016.6.12掲載 パナマ パナマシティ パナマ・ビエホ

 2013.7.20撮影
 パナマ パナマシティ パナマ・ビエホ パナマ・ビエホは16世紀スペインの植民都市として太平洋岸に最初に創られた都市です。300人程のスペイン人のみを抱える都市として始まった17世紀後半には12000人にも膨れ上がっていました。しかし、1621年に起きた地震により大きな被害を受け、さらに1671年、イギリスの海賊ヘンリー・モーガン一味による黄金略奪の際、町が焼き尽くされてしまい、再建が断念されパナマ建国まで約300年間、放置されたままになっていたそうです。
 写真はパナマ・ビエホの象徴的建物である大聖堂と鐘楼跡です。
P.S. ドイツ・フランクフルトからコロンビア・ボコタ経由でこの地に入りましたが、荷物がロストするというハプニングに久しぶりに遭遇し、それに伴う初体験をいろいろとすることになってしまい、普通ではなかなか経験できない旅の思い出になってしまいました。

2016.6.5掲載 ドイツ マインツ ザンクト・シュテファン教会

 2013.7.19撮影
 ドイツ マインツ ザンクト・シュテファン教会 ザンクト・シュテファン教会はマインツ大聖堂も手がけたヴィリゲス大司教が990年に起工したものですが、第二次世界大戦で破壊されてしまったため、戦後再建されたものです。そのため、教会としては新しいのですが、マルク・シャガールが手がけたステンドグラスがあることで有名になっています。美しいブルーを基調としたステンドグラスで、祭壇後方には新約・旧約の聖書を題材にしたものが飾られていました。
 教会のステンドグラスは色鮮やかなものが多いのですが、ブルーを基調としたステンドグラスで教会内に青色が広がっている様は、一種独特の雰囲気を醸し出していました。

2016.5.28掲載 ドイツ マインツ マインツ大聖堂

 2013.7.19撮影
 ドイツ マインツ マインツ大聖堂 マイン川とライン川の合流点に位置する『マインツ』はドイツ最大のワイン産地ですが、羅針盤、火薬と並んでルネサンス期の三大発明とされている活版印刷を発明したヨハネス・グーテンベルクの出身地でもあり、市中心部にあるグーテンベルグ博物館ではグーテンベルク自らが印刷したとされる世界最古のラテン語による旧約・新約聖書「グーテンベルク聖書」や当時の印刷機を見ることができます。 その向かいに建っている赤茶色の建物がマインツ大聖堂で、度重なる増改築によってロマネスク、ゴシック、バロック様式が混在する教会になっているそうです。マインツの大司教は代々神聖ローマ帝国の選帝侯であったそうで、そのためか、内陣のステンドグラスに歴代の大司教の名前、紋章、在籍期間が記されていました。

2016.5.22掲載 エストニア タリン アレクサンドル・ネフスキー聖堂

 2013.7.18撮影
 エストニア タリン アレクサンドル・ネフスキー聖堂 アレクサンドル・ネフスキー聖堂は1901年に支配者の帝政ロシアによって建てられたロシア正教教会です。タリンの街並みとの調和という観点では異端児的な存在です。エストニアが最初に独立を果たした時代には移転や破壊する計画もあったそうですが、実現に至らなかったそうです。この教会はロシア支配を想起させるとして、多くのエストニア人から嫌われているのだそうです。

2016.5.15掲載 エストニア タリン 旧市庁舎とラエコヤ広場

 2013.7.18撮影
 エストニア タリン 旧市庁舎とラエコヤ広場 旧市庁舎は北ヨーロッパに唯一残るゴシック様式の市庁舎です。14世紀半ばに建てられ1404年の増築で、現在の姿になっているそうです。塔の高さは65mで、ここには有名なタリンのシンボル トーマスおじさん(Vana Toomas)があり、町の変遷を眺め続けているそうです。
 ラエコヤ広場はタリンがデンマーク人に占領される以前から市場として存在していた広場で、今日でも多くの人でにぎわっていました。

2016.5.8掲載 フィンランド ヘルシンキ ウスペンスキ寺院

 2013.7.18撮影
 フィンランド ヘルシンキ ウスペンスキ寺院(Uspenskin katedraali)は北欧最大規模を誇るロシア正教の教会です。ヘルシンキ大聖堂(写真の左側奥に見える白い建物)からほどない沿岸の丘に聳えたつスラブ・ビザンチン様式の建物で、赤レンガ造りの重厚な外観と黄金色に輝く13個のクーポラが印象的です。クーポラ内部の天井に描かれた沢山の星も神秘的な雰囲気を醸し出してくれます。
ガイドブックでは開館時間は9:30となっていたため、外で待っていましたが、開館時間が異なっていたのか、実際に入場できたのは10時でした。

2016.5.1掲載 フィンランド ヘルシンキ ヘルシンキ大聖堂

 2013.7.18撮影
 フィンランド ヘルシンキ ヘルシンキ大聖堂 ヘルシンキ大聖堂(Tuomiokirkko)はいつもヘルシンキの街を見守っている白亜の教会です。 フィンランドがロシアから独立をはたす1917年までは、聖ニコラス教会と呼ばれていたそうです。ルーテル派の総本山で、1852年にドイツ人建築家カール・ルドヴィヒ・エンゲルの設計でネオ・クラシック様式に改築されましたが、初めは、真ん中のドームがひとつあるだけだったそうです。その後、カールの後継者エルンスト・ロールマンにより、鐘楼や礼拝堂や4つの小さなドームがつけくわえられ、屋根に12使徒の像が飾られています。大聖堂の手前には約40万個の御影石が敷き詰められた元老院広場(セナーティ広場:Senaatintori)が広がっており、石畳の真ん中には、かつてフィンランドを統治していたロシア皇帝アレクサンダー2世の像が建っています。
ヘルシンキの小高い丘の上に建っているため、大階段からはヘルシンキの街並みを見ることができまました。

2016.4.24掲載 フィンランド ヘルシンキ スンメンリンナ 水辺の要塞

 2013.7.17撮影
 フィンランド ヘルシンキ スンメンリンナ 水辺の要塞 スオメンリンナは、ヘルシンキにある不整地かつ離れた島々に建設された、変則的な形状の星形要塞です。 スウェーデン、ロシア、フィンランドという3か国の国防におけるスオメンリンナの歴史的意義が、この要塞に独自の重要性を与えています。もともと群島船団の基地であったスオメンリンナは、フィンランドがスウェーデン王国の一部であった18世紀半ばに構築され、1991年にはユネスコの世界遺産に指定されています。 スオメンリンナには6つの島がありますが、それぞれの島の持つ形が多彩な雰囲気を醸し出していました。
水辺の緑に囲まれた場所ということで、多くの観光客や家族連れが観光・遊覧に訪れていました。

2016.4.17掲載 ルーマニア ブラショフ郊外 ブラン城

 2013.7.16撮影
 ルーマニア ブラショフ郊外 ブラン城 ブラン城は「吸血鬼 ドラキュラ」の居城モデルとして知られるお城で、ブラショフの南西26kmの所にあります。ブチェジ山麓のブラン村の岩山の上に聳える典型的な中世の城砦です。14世紀末にワラキア公ヴァラド1世がここを居城とし、彼の孫にあたるヴァラド・ツェベシュがドラキュラのモデルとなっています。ツェベシュとはルーマニア語で串刺しを意味しており、オスマン朝軍の兵士を串刺しにして並べるという、彼の残虐さを現しています。
城内にはドラキュラ関連のグッズも飾られており、多くの観光客でにぎわっていました。

2016.4.10掲載 ルーマニア シナイア ペレシュ城

 2013.7.16撮影
 ルーマニア シナイア ペレシュ城 ペレシュ城はルーマニアの初代国王カロル1世によって夏の離宮として建てられたものです。1875年から建て始められ、1914年に完成したのですが、カロル1世が亡くなる数ヶ月前のことだったそうです。ペレシュ城はヨーロッパで最初にセントラル・ヒーティングと電気を備えた城だとされています。同じ敷地の奥にはペリショール城があります。こちらはカロル1世の狩猟用のお城とのことでした。
 シナイア僧院からは歩いてもすぐ行ける場所にあり、観光巡りにはもってこいという感じでした。しかし、我々は時間の関係もあったようで、ペリショール城のみ内部の見学を行うことができました。

2016.4.3掲載 ルーマニア シナイア シナイア僧院

 2013.7.16撮影
 ルーマニア シナイア シナイア僧院 シナイアはブカレストから北へ約120kmの所にあり、2000m級の山々が緩やかに連なり、ルーマニアの中央を”つ”の字型に走っているカルパチア山脈に抱かれるように存在するブチェジ山の中腹にあります。このため「カルパチアの真珠」とも呼ばれ、シナイヤ僧院の建立とともに歴史が始まった場所です。シナイヤ僧院は17世紀にワラキア公カンタクジノがこの地を訪れたのを記念して造られた僧院です。19世紀にドイツから招かれてルーマニアの国王になったカロル1世が入口正面に新しく大きな建物を建て、現在はそちらが中心的存在になっていますが、写真は古い方の建物で、ポーチ以外は17世紀に建立されたままのものだそうです。壁のフレスコ画は一見の価値があります。この地は夏は避暑地、冬はスキーリゾート地として1年中にぎわっているそうです。

2016.3.27掲載 ルーマニア ブカレスト 大主教教会

 2013.7.15撮影
 ルーマニア ブカレスト 大主教教会 大主教教会は統一広場近くのミトロポリエの丘の上にあり、3つのドームが目印のルーマニア正教の総本山です。1655年にワラキア公ラドゥ・レオンの館の中に建てられ、その後300年以上が経過して、1925年に大主教教会として承認された歴史ある教会で、現在、正教会において、信徒数第2位を誇っているそうです。内部は金が多く使用されているようできらびやかな感じでした。

2016.3.20掲載 ルーマニア ブカレスト 国民の館屋上から見た統一広場方面

 2013.7.15撮影
 ルーマニア ブカレスト 国民の館屋上から見た統一広場方面 国民の館屋上にはガイドツアーで行くことができ、周囲の風景を楽しむことができます。写真中央の通りを進んだ先の並木が途切れている所が統一広場です。統一広場には周囲1km程ある噴水群があり、周囲でのんびりと過ごすことができます。ただし、噴水も結構止まっている時間があるそうです。我々が広場の横を通った時は往復とも勢いよく水が出ていました。国民の館前から統一広場に続く大通りが統一大通りと呼ばれ、大統領ニコラエ・チャウシェスクがパリのシャンゼリゼ通りを真似て、旧市街地をつぶして造った大通りだそうです。

2016.3.13掲載 ルーマニア ブカレスト 国民の館

 2013.7.15撮影
 ルーマニア ブカレスト 国民の館 国民の館(こくみんのやかた、ルーマニア語: Casa Poporului)は、ルーマニアの首都ブカレストにあるルーマニア議会の議事堂および観光施設のことです。1980年代に、当時の大統領ニコラエ・チャウシェスクが宮殿として造成したもので、建築物は、幅275m、奥行き235m、高さ84m、地上10階、地下4階建てで、延べ床面積の総計は330000m2、部屋数も3107室あり、アメリカの国防総省(ペンタゴン)に次ぐ世界第二位の大きさを誇る巨大建造物で、建設費用は当時の日本円に換算して1500億円とのことです。 さらにエレベータ49基、すべてクリスタル製のシャンデリアは2800基以上あり、様々な色の大理石、マホガニーやオークなどの木材、シャンデリア用のクリスタルはすべてルーマニア製で、至る所に金銀の装飾が施され、贅の限りを尽くした絢爛豪華な大宮殿です。
 見学ツアーに参加しましたが、電力不足とかで照明が抑えられており、その絢爛さとはうらはらに、館内は空虚感で覆い尽くされているような感じがしました。

2016.3.6掲載 モルドバ オールドオルヘイ オルヘイ・ヴェッキ洞窟教会

 2013.7.14撮影
 モルドバ オールドオルヘイ オルヘイ・ヴェッキ洞窟教会 モルドバは旧ソビエト連邦を構成していた国家の一つで、ルーマニアとウクライナに国境を接している内陸国です。地理的・歴史的・文化的にも東西の架け橋であり、現在でもそれら古きよき文化を継承しています。割と平坦な国土はワイン作りにも適しており、モルドバのワイン文化は3000年以上の歴史を誇っているそうです。首都はキシナウでオルヘイ・ヴェッキ洞窟教会は北東約60kmの位置にあります。のどかな田園風景を一望できる断崖絶壁の上にあります。
 洞窟教会は写真中央部に見える塔の地下にあり、洞窟内には写真右に見られる祭壇等が造られており、4万年前から存在しているとのことです。なお、断崖左奥に見える教会は新しいオルヘイ・ヴェッキ教会です。

2016.2.28掲載 ドイツ ヴュルツブルク マルクト広場に建つマリエンカペレ

 2013.7.13撮影
 ドイツ ヴュルツブルク マルクト広場に建つマリエンカペレ マルクト広場(ドイツ語: Marktplatz)は市場を意味するMarktを含む名称だそうで、ここの広場も市場で賑っていました。この広場の北側に建つマリエンカペレ(マリア礼拝堂の意)は14世紀から15世紀に100年以上かけて建てられた後期ゴシックのホール式教会で入口にはリーメンシュナイダーによるアダムとイブの彫像が飾られています。
 赤と白で彩られたゴシック様式の外観が一際目立っていました。

2016.2.21掲載 ドイツ ヴュルツブルク 南側庭園から見たレジデンツ

 2013.7.13撮影
 ドイツ ヴュルツブルク レジデンツ ヴュルツブルクのレジデンツ(独:Würzburger Residenz)は、ドイツのヴュルツブルクにある大司教の宮殿です。18世紀にバルタザール・ノイマンによる設計で、バロック建築様式を代表するヨーロッパでも屈指の宮殿だそうです。 建物内には様々な部屋がありますが、中でも有名なのは「階段の間」であり、柱の無い広大な吹き抜けに、画家ティエポロの描いた、世界で一番大きいフレスコ天井一枚画があります。また、レジデンツのまわりには庭園が広がっており、緑を楽しむことができます。
 写真は南側にある庭園から見たレジデンツで、庭園の中央にある丸い池には中央にある噴水とともにレジデンツの建物や庭園の木々が写りこんでおり、幾何学模様と自然とが庭全体に溶け込んでいるようでした。

2016.2.14掲載 2.15訂正 ドイツ ヴュルツブルク マリエンベルク要塞から見たアルテ・マイン橋とヴュルツブルクの街並み

 2013.7.13撮影
 ドイツ ヴュルツブルク マリエンベルク要塞から見たアルテ・マイン橋とヴュルツブルクの街並み フランクフルトとニュルンベルクのほぼ中間に位置するマイン川沿いの街、ヴュルツブルク。ここにはユネスコ世界遺産に登録されたレジデンツや、ヴュルツブルク市街を一望できるマリエンベルク要塞という立派な城があり中世からの趣を楽しむことができます。
 アルテ・マイン橋はマイン川に架かる橋で15~16世紀に建造されたものだそうです。橋には聖人の彫像12体が立ち並んでいました。
 友人より行った場所を間違えるなとの指摘がありましたので、間違いを訂正させていただきました。いかに友人まかせで旅行しているかがわかってしまいました。