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〒891-0141 鹿児島市谷山中央

中's ギャラリーgallery 2016年初秋~2016年冬掲載


 2013年夏から2014年夏にかけて出かけた関東周辺の行楽地の風景写真が中心です。

2017.2.12掲載 静岡県 浜松市西区 航空自衛隊・浜松広報館(エアーパーク)

 2014.1.12撮影
 静岡県 浜松市西区 航空自衛隊・浜松広報館(エアーパーク)浜松広報館(愛称:エアーパーク)は航空自衛隊を日本国民により多く理解してもらうことを目的として1999年4月にオープンしたそうです。戦闘機、練習機、ヘリコプターや装備品等の展示をはじめ、航空自衛隊のパイロットが使用しているフライトスーツ及びヘルメット等の体験試着、動揺フライトシミュレーターや、全天周シアター等を設置するなど、見て・触れて・楽しむ事の出来る航空自衛隊初の博物館形式の施設です。 場所は浜松基地内の南側に位置し、建物は展示資料館と展示格納庫とで構成されています。
 当日は冬晴れの休日だったためか、想像していた以上に家族連れなど多くの人で賑わっていました。

2017.2.5掲載 静岡県 静岡市清水区 薩埵峠からの景色

 2013.12.22撮影
 静岡県 静岡市清水区 薩埵峠 薩埵峠 峠下の海岸線付近は、山が海へと突き出す地形となっており、新潟県・富山県境の親不知と同様に海岸線を波にさらわれぬよう駆け抜ける必要があり、東海道の三大難所として語られてきた場所です。このため山側に迂回コースとして造られたのが薩埵峠で、 峠からの富士山と駿河湾の景色は、東海道五十三次にも残されるほどの絶景であり、高速道路(東名)の宣伝材料など、さまざまな素材にも利用されています。また、ここから見渡せる由比地区西部が東名高速道路と国道1号が並行して走る区間で交通の要所にもなっています。 現在の国道1号は海岸線を沿うように走っているため、薩埵峠は主要道路の位置づけから外れており、道幅は1車線ギリギリという狭さですが、峠の最高地点には石碑や駐車場などが整備されていました。
 今回は油井宿に車を置き、そこから徒歩で、薩埵峠を経由して興津宿までを景色を堪能しながら往復して楽しみました。峠の展望台には写真マニアが群れをなして、夕暮れ時のシャッターチャンスを待っていました。その多さに驚き、小生は夕暮れまで待たずにそそくさと通り過ぎ帰ってきてしまいました。

2017.1.29掲載 埼玉県 児玉郡神川町 神流湖・下久保ダム

 2013.12.15撮影
 埼玉県 児玉郡神川町 神流湖・下久保ダム 神流湖・下久保ダムは正確には埼玉県児玉郡神川町と群馬県藤岡市にまたがる一級河川神流川に建設されたダムです。堤高129.0mの重力式コンクリートダムで独立行政法人水資源機構が管理する多目的ダムであう。首都圏の水がめである利根川水系8ダムの一つで矢木沢ダム(利根川)に次ぐ大規模なダムだそうです。ダム湖は河川名を採って「神流湖」(かんなこ)と命名され、2005年(平成17年)に当時の鬼石町の推薦によって財団法人ダム水源地環境整備センターが選定する「ダム湖百選」に選ばれています。
 写真はダムの南側にある神山中腹標高500mの高台にある城峯公園から撮影したものです。丁度冬桜が開花している時期で紅葉とともに楽しむことができました。

2017.1.22掲載 埼玉県 児玉郡神川町 金鑚神社・御嶽山

 2013.12.15撮影
 埼玉県 児玉郡神川町 金鑚神社・御嶽山 金鑚神社は関東平野西縁、埼玉県北西部に立つ御獄山(標高343.4メートル)山麓に鎮座し、社殿後背の御室山(御室ヶ獄)を神体山として祀っています。山を神体山とするため、社殿には本殿は設けないという古代祭祀の面影を残すことで知られています。また、「武州六大明神(武蔵六所大明神)」の一社にも数えられる神社だそうです。 境内では、参道脇に立つ多宝塔(写真:下中央)が国の重要文化財に指定されています。また、御獄山の中腹にある「鏡岩」(写真:下右2番目)は国の特別天然記念物に指定されています。
 写真上は御嶽山頂上付近からみた関東平野の様子です。ちょっとしたハイキングにも適した場所だと思いました。

2017.1.15掲載 神奈川県 相模原市 城山湖・本沢ダム

 2013.12.8撮影
 神奈川県 相模原市 城山湖・本沢ダム 本沢ダム(ほんざわダム)は、相模川総合開発共同事業として城山ダム建設とそれにともなう公営電気事業として唯一の純揚水発電所である城山発電所の上池として夜間に貯水するため、1965年(昭和40年)に旧神奈川県津久井郡城山町(現・神奈川県相模原市緑区)に建設されたダムです。土砂や岩石を73メートルの高さに積み上げて築いた中央土質遮水壁型(センターコア型)ロックフィルダムであるが、堤体表面を全体にわたって草が生い茂るためアースダムの様相を呈しています。ダム湖は神奈川県企業庁が運営する揚水発電所(城山発電所)の上池として利用されています。正式名称は本沢調整池(ほんざわちょうせいち)ですが、通称は城山湖(しろやまこ)です。このため、下池の津久井湖を形成する城山ダムのダム湖(つまり津久井湖)としばしば混同されるそうです。城山発電所は電力需要の少ない夜間に、各発電所で発生する余剰発電分の電力を使用して下池の津久井湖より水をくみ上げておき、電力を必要とする昼間に津久井湖に放流して発電しています。
 久しぶりに訪れましたが、紅葉の季節だったため、ちょっと違った趣を感じました。
※これまでダムの名称を誤っていました。利用していた地図上の名前が中沢ダムとなっていたため、ずっと間違った表記を行っていました。

2017.1.8掲載 神奈川県 足柄上郡山北町 洒水の滝・最勝寺

 2013.11.24撮影
 神奈川県 足柄上郡山北町 洒水の滝・最勝寺 酒匂川の支流、滝沢川から流れ落ちる洒水の滝は、「日本の滝百選」、またその水は「全国名水百選」に選ばれている名瀑です。 「洒水」=「しゃすい」の名は、密教用語で清浄を念じてそそぐ香水を指すそうです。雄大なその姿は三段からなり、落差は一の滝は69m、二の滝は16m、三の滝は29mという豪快な滝で、古くから相模の国第一の滝とされ「新編相模国風土記稿」では、「蛇水の滝」と記されているようです。酒水の滝の手前には最勝寺がありました。 文覚上人が不動明王を安置したと伝えられ、 洒水の滝不動尊とも呼ばれているそうで、 本堂の前では、花輪で飾られた多くのお地蔵様が迎えてくれます。
 十数年ぶりに訪れましたが、滝への通路等ずいぶん整備されていました。しかし、その後に起きた土砂崩れ等で一部の場所は通行止めになっていました。

2017.1.1掲載 静岡県 富士宮市 富士山本宮浅間大社

 2013.11.24撮影
 静岡県 富士宮市 富士山本宮浅間大社 浅間大社は全国に約1300ある浅間神社の総本社であり、富士信仰の中心地として知られています。境内は広大で、本宮社地で約17,000m2になるほか、富士山の8合目以上の約385万m2も社地として所有しています。本宮の本殿は徳川家康による造営で、「浅間造」という独特の神社建築様式であり、国の重要文化財に指定されています。また、本宮境内には富士山の湧水が湧き出す「湧玉池」があり、国の特別天然記念物に指定されているそうです。
 境内から奥宮のある富士を見ることもでき、さすがという感じでした。

2016.12.25掲載 埼玉県 飯能市 鳥居観音

 2013.11.22撮影
 埼玉県 飯能市 鳥居観音 鳥居観音(正式名称は「白雲山鳥居観音」)は埼玉の奥武蔵・名栗にあり、埼玉百選に選ばれた観光名所で、広さが約30ヘクタール(東京ドーム6.5個分)、その山内各所には開祖平沼彌太郎氏(雅号:平沼桐工)が30年以上もの長い歳月をかけて築かれた建造物が存在します。山頂の救世大観音(高さ33m:写真右中央)をシンボルに、本堂・玉華門・仁王門・大鐘楼(高さ11m:写真中央)・納経塔(高さ15m:写真中央右)・平和観音のほか、玄奘三蔵塔(高さ33m:写真左上)は西遊記でお馴染みの「玄奘三蔵法師」の霊骨が祀られていることでも有名です。 またこの白雲山は、四季それぞれに花々が美しさを競うように咲きほこり、一年を通して花のついていない時季はほとんどないそうです。澄んだ空気を満喫しながらのハイキングは幅広い世代の方々に人気があり、紅葉の秋においては山全体に赤と橙の見事なグラデーションを織りなし、訪れる人々の心を魅了しているそうです。
 近場にこんな場所があるのを初めて知り、訪れてみましたが、紅葉の時期のハイキングにはもってこいの場所でした。

2016.12.18掲載 埼玉県 飯能市 有間ダム・名栗湖

 2013.11.22撮影
 埼玉県 飯能市 有間ダム・名栗湖 有間ダムは埼玉県飯能市下名栗にあるダムで、入間川の支流である有間川下流に1986年(昭和61年)に造られた多目的ダムです。ダム本体は岩石や土砂を積み上げて建設する形式のロックフィルダムになっています。埼玉県営の第1号ダムでダム湖は公募により名栗湖と命名されています。周囲にはハイキングコース、カヌー工房、さわらびの湯(温泉)、キャンプ場などがあり、都心から近いため、自然を満喫できるレクリエーション適地として楽しまれています。
 立川からも近いため、ドライブで結構訪れていますが、ちょうど紅葉の季節で穏やかな日だったため、青空と黄色く色づき始めた山々、道路沿いの赤いもみじが湖に反射して、絶妙な風景を見せてくれていました。

2016.12.11掲載 群馬県 安中市 アプトの道

 2013.11.17撮影
 群馬県 安中市 アプトの道 アプトの道は1963年(昭和38年)に廃止された旧国鉄信越線の横川駅 - 軽井沢駅間の旧線跡において、1996年(平成8年)より横川駅 - 碓氷第三橋梁(通称・めがね橋)間の全長4.7kmの廃線跡に遊歩道としての整備工事が行われ、2001年(平成13年)に完成。 2008年(平成20年)には、碓氷第三橋梁 (通称:めがね橋 写真右下2枚)- 旧熊ノ平信号場間(1.2km)の延長工事に着手し、無事に横川駅 - 旧熊ノ平信号場間の全長5.9kmが2012年(平成24年)3月末に完成し開通したものです。
 今回は、延長工事で完成した区間を旧熊ノ平信号場(写真左)側から往復しましたが、すばらしい紅葉を楽しむことができました。

2016.12.4掲載 山梨県 甲州市 大菩薩湖越しに見た富士山

 2013.11.3撮影
 山梨県 甲州市 大菩薩湖越しに見た富士山 大菩薩湖は山梨甲州市にある上日川ダム(上日川ダムは富士川水系日川に造られたダム)により堰き止められて作られたダム湖です。背後にある大菩薩峠にちなんで名づけられたのではないかと思われます。
 紅葉を見ようと甲州市近辺の景徳院、竜門峡、柄雲寺等を訪れた後、さらに北上し、大菩薩湖まで足を延ばしました。富士山には傘雲がかかっていましたが、夕日に輝くダム湖とともに絶妙な景色を見ることができました。

2016.11.28掲載 群馬県 吾妻郡 草津町 草津温泉 湯畑

 2013.10.12撮影
 群馬県 吾妻郡 草津町 草津温泉 湯畑 湯畑は温泉街の中心部に湧く源泉で、周囲がロータリー状に整備されています。デザインは当時の町長の経営するホテルに投宿した岡本太郎が手がけたものとのことです。湯が滝のように湧き出る光景は全国的にも数少なく、夜間のライトアップで湯畑を演出する催しも期間限定で行われ、観光客の目を楽しませています。写真には写っていませんが、最後の滝になって落ちる箇所には、かつて「大滝乃湯」(現在は町営温泉施設の名にされている)と呼ばれる共同湯があり、1960年頃に取り壊されるまでは草津で唯一、番台のある「滝の湯」だったそうです。また、草津の中心的な源泉ですが、同時に、湯の花を生産・採取するための施設でもあるそうです。

2016.11.20掲載 群馬県 吾妻郡 草津町 西の河原公園

 2013.10.12撮影
 群馬県 吾妻郡 草津町 西の河原公園 西の河原公園は草津温泉の温泉街西側の荒原地帯に湧く源泉の総称で、遊歩道などが整備され、気軽に温泉が湧出する様子を観察できるようになっている場所です。源泉の名称はこの付近の河原の名称から取られており、かつては町の西側にあることから西の河原(にしのかわら)と呼び、ここと地蔵の河原の2箇所を賽の河原(さいのかわら)と表現していました。現在では西の河原公園内に設置されている看板・案内図等でも西の河原を指して「さいのかわら(SAINOKAWARA)」と表記されています。
 温泉街は駐車場を探すのが大変ですが、河原の遊歩道を登りつめた国道沿いに無料の大きな駐車場があり、そこから散歩がてらに降りて行くことで結構楽しむことができます。(ちなみに帰りは坂を登ることになるので、ちょっと大変です)

2016.11.13掲載 静岡県 下田市 龍宮窟

 2013.10.6撮影
 静岡県 下田市 龍宮窟 龍宮窟は波の浸食作用によってできた洞窟(大型の海食洞)の天井が一部崩れて、直径50メートルほどの天窓が開いたものです。天窓の下に立つと外とは別世界のような不思議で神秘的な空間になっています。 洞窟の壁には、海底火山から噴出した黄褐色の火山れきが美しく層をなしています。湿度はやや高めですが、ひんやりとした感じで聞こえる音は波の音だけです。心も体もリラックスできる居心地のよい場所です。また、天井から降り注ぐ太陽の光がなんとも幻想的です。洞窟の上部には遊歩道があり、洞窟の天井を1周でき、伊豆七島を眺望できる絶景スポットでもあります。
 伊豆にこんな場所があるとは、初めて知りました。

2016.11.6掲載 山梨県 甲府市 武田神社

 2013.9.28撮影
 山梨県 甲府市 武田神社 武田神社は甲斐武田氏3代、信虎公・信玄公・勝頼公が60年余りに亘って国政を執った、「躑躅ケ崎館跡(武田氏館跡)」に、1919年(大正8年)に創建されています。境内には当時からの堀、土塁、石垣、古井戸等が残り、信玄公を始め一族の遺香を現在まで伝えると共に、神社創建の折、県内各地の崇敬者より寄進された数百種類の樹木が、四季折々の風情を呈しているそうです。
 神社そのものより周囲にある「躑躅ケ崎館跡(武田氏館跡)」が興味をそそる感じでした。

2016.10.30掲載 静岡県 賀茂郡東伊豆町 東伊豆町風力発電所

 2013.9.7撮影
 静岡県 賀茂郡東伊豆町 東伊豆町風力発電所 稲取高横の道を丘に向かい急坂を登っていった先に3基の巨大風車が音をたてて回転し、羽に痛めつけられそうな錯覚に陥るほど間近に見られる。背後には真っ青な相模灘がドーンと広がり、海岸の入江も手に取るようにわかるほどの大パノラマが広がって見えます。
 さすがに訪れる人もほとんどいないので、大パノラマを独り占めしたような気分に浸れる場所です。

2016.10.23掲載 千葉県 いすみ市 万木史跡

 2013.8.31撮影
 千葉県 いすみ市 万木史跡 万木史跡はいすみ鉄道国吉駅の北側にあたる夷隅地区に広がる史跡で、万木城跡公園を中心に田園地帯に点在していました。万木城跡は高台に天守閣を模った展望台(写真左)があり、周囲の田園風景を展望できるようになっていました。城跡の南側には海雄寺(写真下中)という小さなお寺が少し奥まった場所にあり、内部には県指定の文化財になっている、全長5.16メートルの青銅製の「万木の寝釈迦様」と呼ばれる釈迦涅槃像(写真下右)が祭ってあります。また、城跡の東側には市指定の文化財がいくつも収められている三光寺(写真上中)と妙見堂(写真上右)がありました。
 訪れた所は全国的に有名な物や場所ではありませんでしたが、夏の終わりということもあり、育った稲穂を眺めながらの散策はなかなかのものでした。

2016.10.16掲載 千葉県 館山市 館山城・城山公園

 2013.8.17撮影
 千葉県 館山市 館山城・城山公園 城山公園は館山市街の南側丘陵にあり、この場所はかつて戦国時代の武将、里見氏の居城があったそうです。公園内には、椿・梅・桜・ツツジ等の花木が小径をうずめ、季節に合わせて見事に咲き誇ると謳っていました。山頂には天守からの眺めが楽しめる三層四階天守閣様式の館山城(八犬伝博物館)が建てられており、中腹の館山市立博物館本館と併せて歴史の散策が楽しめる所になっています。
 訪れた時は工事中だったようで、天守閣には登れませんでしたが、天守閣前からでも館山市内や東京湾が一望でき、殿様気分を味わうことができました。

2016.10.9掲載 相模灘上空から伊豆半島越しに見た富士山

 2016.9.27撮影
 相模灘上空から伊豆半島越しに見た富士山 日本上空は全体的に雲に覆われていたのですが、ところどころ晴れている所もあったようで、相模湾から東京湾にかけても雲の合間から地上が見えていました。その背後にある富士山は雲の上にそびえている感じで、きれいに望むことができました。上空から見えるのはタイミングが合わないとなかなか難しいので、思わず何枚もシャッターを切っていました。

2016.10.1掲載 宮崎県 都城市 高千穂牧場から見た高千穂峰

 2016.9.26撮影
 宮崎県 都城市 高千穂牧場から見た高千穂峰 高千穂牧場は、鹿児島県との県境付近にある霧島連山のふもとに広がる、雄大な自然に囲まれた体験型牧場です。約100頭もの乳牛や30頭ほどのヒツジ等が飼育され、赤ちゃん牛等とのふれあいや乳しぼり、ソーセージやバターの手作り体験等、盛りだくさんのプログラムが用意されています。また、牧場からは霧島連山が望め、足湯に浸かりながらのんびりと過ごすこともできます。正面に見える高千穂峰(たかちほのみね)は、宮崎県と鹿児島県の県境に位置する火山で、標高は1,574 m、霧島連峰の第二峰で、都城盆地他平野部から直接望むことができ、都城盆地にしばしば発生する雲海に対し山頂部が島に見えることから霧島の名の由来ともなったとされています。

2016.9.18掲載 静岡県 榛原郡吉田町 能満寺山公園 小山城

 2013.8.11撮影
 静岡県 榛原郡吉田町 能満寺山公園 小山城 今川氏によって遠江南東部の大井川西方に築かれた山崎の砦が事の始まりだそうです。今川氏を倒した武田氏により、1571年(元亀2年)築城され、諏訪原城と共に大井川西方の防衛ラインを形成し、高天神城攻略の為の拠点となりました。1582年(天正10年)、甲州征伐のため駿河・甲斐に向け出陣した徳川家康の攻撃を受け落城したそうです。信玄後期~勝頼期の平山城の特徴(台地の突端部を利用し戦闘正面を限定させる構造)を持ち、甲州流築城術と云われる丸馬出し・三日月堀を持っています。特に三重になった三日月堀は特筆に価するそうです。
 現在は能満寺山公園として整備が進んでいます。1987年(昭和62年)に物見台があったといわれる三の丸跡に犬山城天守をモデルにした模擬天守「展望台小山城」が設けられましたが、小山城に天守閣が存在した事実は無いそうです。 せっかく写真を撮ったのですが、実物はこのような光景ではなかったとのことで残念でした。