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〒891-0141 鹿児島市谷山中央

中's ギャラリーgallery 2017年冬~2017年夏掲載


 2014年初春から2014年夏にかけて出かけた立川周辺の名所・旧跡の写真が中心です。

2017.8.27掲載 東京都 墨田区 押上 東京スカイツリー

 2014.6.8撮影
 東京都 墨田区 押上 東京スカイツリー 東京スカイツリーは、東京都墨田区押上一丁目にある電波塔(送信所)です。観光・商業施設やオフィスビルが併設されており、ツリーを含め周辺施設は「東京スカイツリータウン」と呼ばれ、2008年(平成20年)着工、2012年(平成24年)5月に電波塔・観光施設として開業しています。東京スカイツリーの建設目的は東京タワーが位置する都心部では超高層建築物が林立し、その影となる部分に電波が届きにくくなる問題を低減するほかにワンセグやマルチメディア放送といった携帯機器向けの放送を快適に視聴できるようにすることも建設目的の一つとされました。
 初めて訪れましたが、あいにくの天気で眺望は今一つでしたが、混雑することもなく短時間で全体を散策することができました。

2017.8.20掲載 東京都 江東区 青海 ダイバーシティ東京 ガンダム像

 2014.6.8撮影
 東京都 江東区 青海 ダイバーシティ東京 ガンダム像 ダイバーシティ東京のフェスティバル広場に設置された等身大のガンダム像「RG1/1 RX-78-2ガンダムVer.GFT」は2009年夏にお台場・潮風公園に初めて登場し、52日間で約415万人を動員して大きな反響を呼んだそうです。2010年夏には、ビーム・サーベルを右手に持った新たな姿で「模型の世界首都 静岡ホビーフェア」に登場。そして2012年春に再び臨海副都心エリアの大地を踏みしめ、約5年間この地で来場者を喜ばせていました。残念ながら今年(2017年)3月で役割を終え撤去されたそうです。
 訪れた時は昼間のショーの時間帯に合わせて訪れたので、ナレーションとともにガンダムの頭部が左右に稼動、また頭部や目の部分、両肩や両膝の警告ライトなど、多くの箇所が光ったり、両胸のスリット部や足首部分、背中のバーニアなど複数箇所から排気を表現したミストが排出されたりして、見る人を楽しませてくれていました。
 なお、今年(2017年)秋には新たなガンダム像(「機動戦士ガンダムUC(ユニコーン)」に登場する主人公機「ユニコーンガンダム」)が建てられるそうです。

2017.8.13掲載 東京都 台東区 浅草 浅草寺

 2014.6.8撮影
 東京都 台東区 浅草 浅草寺 浅草寺は628年に創建された都内最古の寺院です。現世利益の「浅草観音」として多くの人から信仰され、国内外から年間約3000万人もの参拝者が訪れるそうです。江戸時代には幕府の祈願所となり、江戸文化の中心地として繁栄していました。今もその面影を残し、ほおずき市、羽子板市等の市や浅草神社の三社祭など、多くの江戸名物行事が行われています。また、雷門に架かる大提灯は全国的に有名です。
 都内に住んでいても、なかなか訪れる機会がないのですが、たまたま田舎から上京してきた甥っ子のために東京観光として訪れることができました。
 ※写真右の五重塔は2016年6月から2017年9月まで改修工事が行われているそうで、写真は改修前の姿をとどめたことになりました。

2017.8.6掲載 東京都 昭島市 多摩川自然散策コース

 2014.5.30撮影
 東京都 昭島市 多摩川自然散策コース 昭島市の観光案内に載っていた多摩川自然散策コースをたどってみました。拝島駅から南下し、多摩川に出ると九ヶ村用水取水口跡(写真右上)の看板が目に付く。江戸時代から昭和のはじめ頃まで近辺の水田を潤すため使われていたが、水量が減ったため使われなくなったそうだ。そのために下流側に昭和用水堰(写真右下)が造られ、そこから水が取り込まれるようになったそうです。さらに多摩川沿いに川下に向かうといくつかの渡し跡の記念碑を見ることができます(写真下:右から拝島の渡し跡、平の渡し跡、築地の渡し跡)。また、 八高線鉄橋近くには1945年(昭和20年)に起きた列車の衝突事故を忘れないように事故にあった列車の車輪が置かれていました。さらに下流に向かうと、多摩川にもこんな場所があるのかと思ってしまうほどの岩場があり(写真左上)、ちょっと驚いてしまいました。

2017.7.30掲載 静岡県 伊東市 城ケ崎自然研究路

 2014.5.24撮影
 静岡県 伊東市 城ケ崎自然研究路 天城山系の溶岩がなだれ込んでできた城ケ崎海岸は総延長15kmの雄大なリアス式海岸です。海岸は絶壁が連なり、岬から岬へと続く様は、溶岩と柱状節理と海の碧さのコントラストが壮観です。自然の美しさを保ち訪れる人に自然の驚異を教えています。この城ケ崎海岸の海岸線はピクニック気分で観光客が気軽に楽しめる門脇岬を中心として灯台や海の吊り橋のある東側にはピクニカルコース、アップダウンがありハイキングとして楽しめる西側には自然研究路として遊歩道が整備されており、海岸線を散策できるようになっています。自然研究路側は約9kmの気軽にというわけにはいきませんので、訪れる人もピクニカルコース側ほどではありませんが、昔から天然のプールとして親しまれている大淀・小淀(写真左)や橋立ての吊り橋(写真右:吊り橋 長さ60m、高さ16m)等があり、のんびりと景色を楽しみながら同時に海岸のだいご味を味わうことができます。 

2017.7.23掲載 鹿児島県 鹿屋市 かのやばら園

 2014.5.19撮影
 鹿児島県 鹿屋市 かのやばら園 かのやばら園は、鹿屋市郊外の標高約160mの霧島ヶ丘公園の東側丘陵地にあり、毎年春・秋のバラの開花のシーズンには多彩なイベントが開かれ、県内外からたくさんの観光客が訪れる場所です。バラ園はもともと1993年(平成5年)に開設されたが現在のバラ園は2004年(平成16年)度から整備され、2006年(平成18年)4月にリニューアルオープンしたそうで、敷地面積8ha、5万株のばらが植栽され、日本一の規模を誇るバラ園となっています。
園内にはバラグッズの売店やカフェ食堂、多目的ホールのある「ばらの館」、ガーデンステージ等の施設や、年間を通して切り花などが楽しめる温室がありました。

2017.7.15掲載 鹿児島県 垂水市 道の駅たるみずから見た桜島

 2014.5.19撮影
 鹿児島県 垂水市 道の駅たるみずから見た桜島 道の駅たるみずは、霧島から桜島、佐多岬から鹿児島市へのルート上にあり、 都市部との交流の促進を目指した「体験型観光」により重要な役割を担うものと期待されている場所とのことでした。 また、ラドン含有量34倍と非常に珍しい天然ラドン温泉を活用した温泉施設や地域の農林水産物やそれらを原料とした2次加工品を多数販売していました。
 ラドン温泉に入らなくても、海沿いに長さ60m程の足湯(写真左側)があり、ここから桜島や錦江湾の景色を堪能することができ、優雅な一時を過ごすことができます。
※鹿児島の話題を掲載したためではないと思いますが、2017.7.11 11:56に錦江湾を震源とする最大深度5強(鹿児島市 喜入)の地震が発生してしまいました。

2017.7.9掲載 鹿児島県 南九州市 番所鼻自然公園・射楯兵主神社(釜蓋神社)

 2014.5.17撮影
 鹿児島県 南九州市 番所鼻自然公園 番所鼻自然公園(ばんどころはなしぜんこうえん)は開聞岳と海と空が織り成す大スケールのパノラマに自然の岩礁が美しい曲線を描く、景勝観光地です。 かつて薩摩藩の番所(検問所)が置かれていたことから、このように呼ばれています。 江戸時代の番所は人やモノの流れをチェックする重要な役割を担っていましたので、番所があったということは交通の要所であった証。実はこの地は昔は船着場で、農産物や日用品を運ぶ船が頻繁に出入りしていた場所でした。 なお、一般的に「番所」=「ばんしょ」と呼びますが、ここでは「ばんどころ」と呼ぶそうです。 また、近くの海にはタツノオトシゴが住んでいるということで、奥にはタツノオトシゴハウス(写真:右下)があり、実物を見ることができます。車か何かのコマーシャルにも最近出てきていました。
また、近くには射楯兵主神社(釜蓋神社)(写真:右上)があります。入り江の岩礁が突き出た所に鎮座しています釜蓋神社の御祭神はスサノオノミコト。武の神様で厄除け、開運にもご利益があり、芸能人やスポーツ選手も訪れる話題のパワースポットだそうです。釜の蓋を頭にのせ、鳥居から拝殿まで落とさずに行くことができれば願いが叶うそうです。神社の裏にある大海原と開聞岳を望む絶景ポイント「希望の岬」は新しいパワーが湧き、清浄な気を感じられる場所です。
※2017.7.9のNHKのど自慢は、たまたま南九州市からの放送でした。

2017.7.2掲載 東京都 国分寺市 武蔵国分尼寺跡

 2014.5.13撮影
 東京都 国分寺市 武蔵国分尼寺跡 武蔵国分尼寺跡は西元町四丁目のJR武蔵野線西側に広がっており、国指定史跡武蔵国分寺跡に一括して指定されています。史跡指定地は、公有地化と整備事業を終え、国分寺市最初の市立歴史公園として平成15年4月に開園したそうです。確認調査の成果に基づき、尼寺伽藍の中枢部を構成する中門・金堂・尼坊など主要建物や区画施設である掘立柱塀を、埋没保存されているその位置で建物平面などを復元的に表示していました。このほか、中門と金堂の間で発見された幢竿遺構(儀式などの際、周囲を荘厳するための旗などを掲げる柱跡)等もありました。
 近くには特に目立つ建物もなく、周辺の人々がのんびりと散歩して楽しんでいるという感じの場所でした。

2017.6.25掲載 千葉県 夷隅郡 御宿町 メキシコ記念公園

 2014.5.10撮影
 千葉県 夷隅郡 御宿町 メキシコ記念公園 メキシコ記念公園は「日・西・墨三国交通発祥記念之碑(通称:メキシコ塔)を中心とした丘の上の公園です。1609年、スペイン領フィリピン総督ドン・ロドリゴ一行の乗るサン・フランシスコ号が、メキシコへの帰港中に岩和田の田尻沖で座礁し、当時の村民たちが総出による献身的な救助で、一行317名が救助された歴史的事実から、祖先の美挙を後世に伝え、永遠なる国際親睦を記念して建立されたそうです。また、これを桟に日本・メキシコ(当時スペイン領)・スペインの友好関係がはじまったとのことです。高台にあるこの公園は、御宿海岸が一望できる絶好のビューポイントで、ちばの眺望100景にも選ばれています。
 月の砂漠のすぐ近くですが、5月の連休明けとはいえ訪れる人も少なく、ゆっくりと時を過ごせる場所でした。

2017.6.18掲載 東京都 国分寺市 殿ヶ谷戸庭園

 2014.5.7撮影
 東京都 国分寺市 殿ヶ谷戸庭園 殿ヶ谷戸庭園(とのがやとていえん)は、東京都国分寺市にある有料の都立庭園です。国分寺崖線の南側斜面を利用し、湧水と植生を巧みに生かした回遊式林泉庭園です。公園の名称は、昔、この地が国分寺村殿ヶ谷戸という地名であったことに由来しており、もともとは1913年(大正2年)に作られた別荘で、1929年(昭和4年)に三菱財閥の岩崎家の所有となり、和洋折衷の回廊式庭園となったものとのことでした。1974年(昭和49年)に東京都が購入し、都立公園として有料開放されて現在にいたっているそうです。2011年(平成23年)9月には、国指定名勝に選ばれています。また、園内の「次郎弁天の池」は東京都名湧水57選にも選ばれています。 庭園内では、年間を通じ様々な行事が催されており、特に「紅葉を楽しむ会」(11月下旬頃)をはじめとする、秋冬の行事が人気だそうです。
 立川に住んでずいぶんになりますが、こんな近くに趣のある庭園があるとは知りませんでした。

2017.6.11掲載 茨城県 那珂郡 東海村 村松山虚空蔵堂

 2014.4.27撮影
 茨城県 那珂郡 東海村 村松山虚空蔵堂 村松山虚空蔵堂(むらまつさんこくうぞうどう)は茨城県那珂郡東海村にある真言宗豊山派の寺院(寺号は日高寺)です。本尊は空海(弘法大師)作の伝承をもつ虚空蔵菩薩です。三重県伊勢市の伊勢朝熊山金剛證寺及び福島県河沼郡柳津町の圓蔵寺とともに日本三大虚空蔵堂の一つとされています。地元では村松山の虚空蔵さんと呼ばれ親しまれているほか、茨城県北部や栃木県下では虚空蔵さんと言えば当寺を指すそうで、厄払い、特に人生で初めての厄年である十三歳にここを参拝すると、知恵と福徳が授けられると伝えられ、多くの参拝者が訪れているそうです。
 1933年(明治33年)に近隣の民家の火災から仁王門、本堂、三重塔、鐘楼等の堂塔伽藍すべてが類焼しましたが、現在は再建されています。三重塔(写真右上)は平成になって(1998年(平成10年))から再建されたものですが、1716年(享保4年)建立の塔を再建したものだそうです。

2017.6.4掲載 埼玉県 秩父郡 皆野町 秩父華厳の滝

 2014.4.19撮影
 埼玉県 秩父郡 皆野町 秩父華厳の滝 秩父華厳の滝は皆野町にある落差12m程度の小さな滝です。 梅雨や秋雨期を除いては水量はそれほど多くは無く、それほど迫力はありませんが、 一直線に流れ落ちる形は日光の華厳の姿に良く似ているということで、「秩父華厳」という名がつけられているそうです。 特に、紅葉の時期の秩父華厳の滝は、山肌を色とりどりの木々が彩り、その間を澄んだ 清流が流れ落ちる様は、素晴らしい景観だそうです。 秩父華厳の滝の特徴でもある、赤い岩肌は、滝の水しぶきによって濡れ、 より一層赤みを増して映えるそうです。 また厳寒期には、滝が凍りつき、神秘的な姿も見ることが出来るようです。その美しさもあり、全国の滝の中で10位に選ばれているようです。
 前回訪れた時、周囲の木々の様子から紅葉の時期はきれいだろうなと思っていたので、次に訪れるのは秋と思っていたのですが、今回も新緑の季節に訪れてしまいました。

2017.5.27掲載 東京都 国分寺市 姿見の池/西恋ヶ窪緑地

 2014.4.17撮影
 東京都 国分寺市 姿見の池/西恋ヶ窪緑地 姿見の池は、 現在の府中街道とほぼ同じ道筋にあたる東山道武蔵野路や鎌倉上道の宿場町であった恋ヶ窪の遊女達が、朝な夕なに自らの姿を映して見ていた ことから、「姿見の池」と呼ばれるようになったと言い伝えられています。 恋ヶ窪という地名の由来の一つとも云われ、傾城・夙妻太夫が武将・畠山重忠を慕って 身を投げた池といわれています。文学作品にもよく登場する名所のようです。 平成10年、東京都と国分寺市は、湿地、用水路、水辺林等を含めた池周辺地域を東京都指定「国分寺姿見の池緑地保全地域」 として整備し、かつての武蔵野の里山風景を見ることができるようにしました。
 西恋ヶ窪緑地は国分寺崖線の最北端に位置する約14,000㎡の樹林地です。遊歩道が整備され、貴重な自然環境が維持されています。かつて、X字型に交わる道があったことから、「エックス山」とも呼ばれているようです。
 いずれの場所も「ぶらり国・府」にて野川源流と武蔵野コースとして国分寺駅の北口周辺を徒歩で散策できる場所として紹介されていました。

2017.5.22掲載 東京都 国分寺市 新幹線資料館

 2014.4.15撮影
 東京都 国分寺市 新幹線資料館 新幹線資料館はJR国立駅の北口から真っすぐに歩き、交番を通り過ぎた後に左に曲がると見える国分寺市ひかりプラザの屋外(建物の脇)にあります。初期のモデルである団子鼻のこの新幹線(新幹線試験電車951形)は、1993年(平成3年)12月7日に道を挟んだ場所にある「公営財団法人鉄道総合技術研究所」から国分寺市に無償譲渡されて、新幹線資料館として開館したものだそうです。この車両は、1969年(昭和44年)に製造され、1972年(昭和47年)に開通前の山陽新幹線西明石から姫路間で、時速286キロのスピード世界記録を出した記念すべき車両(全長約25メートル・高さ約4メートル・幅約3.4メートル・重量約60トン)とのことでした。
 車内は、新幹線発展の歴史をパネル・模型・ビデオなどで紹介できるように改修してありましたが、運転席や座席も残っていました。

2017.5.13掲載 東京都 立川市 昭和記念公園

 2014.4.13撮影
 東京都 立川市 昭和記念公園 昭和記念公園は昭和天皇御在位五十年記念事業の一環として、現在及び将来を担う国民が自然的環境の中で健全な心身を育み、英知を養う場とするために、戦後米軍が接収した旧立川飛行場の立川基地跡地のうち、180haを記念公園として建設することが閣議決定され、「緑の回復と人間性の向上」をテーマに1978年(昭和53年)度より国土交通省の手で施設整備が進められてきた国営の公園です。1983年(昭和58年)10月26日、昭和天皇臨席のもとに約70haで開園した後、レインボープールや子供の森、日本庭園、砂川口、盆栽苑等次々と施設が整備されています。公園は立川基地跡に開設されており、レクリエーション施設としての面もありますが、大規模な災害が発生した場合は、避難場所としての機能を果たすよう設計されており、立川市と昭島市の広域避難場所の一つに指定されています。
 歩いて行ける距離にありますが、初めて中に入ってみました。訪れた日は無料開放日でもあったためか、多くの人々が訪れていました。

2017.5.7掲載 東京都 日野市 向島用水親水路

 2014.4.11撮影
 東京都 日野市 向島用水親水路 向島用水親水路は高幡不動駅近くにある自然と触れ合える親水路です。日野市には多摩川、浅川から取り入れた用水路が網の目のように張り巡され、その水は田を潤し続けていましたが、周辺が宅地化するに従って、田も減り、なによりも水源であった川が汚れてしまったため、次第に本来の役割を失って、排水路となっていました。向島用水路も例外ではありませんでしたが「緑と清流のまち、ひの!」のスローガンのもと、水辺の再生が始まり、今日に至っているそうです。
 向島用水親水路はそのシンボル的な場所で、流れを近くの潤徳小学校の敷地に引き入れ、ビオトープを作り、子どもたちはここで水と自然との関わりを学んでいるそうです。親水路には昔活躍した水車も再現され、実際に使われることもあるそうです。憩いの場としてだけでなく、秋祭りの時期には縁日も開かれ、交流の場としても大活躍しているそうです。

2017.5.1掲載 静岡県 熱海市 起雲閣

 2014.4.8撮影
 静岡県 熱海市 起雲閣 起雲閣は1919年(大正8年)に別荘として築かれ「熱海の三大別荘」と賞賛された名邸が基となっています。1947年(昭和22年)に旅館として生まれ変わり、熱海を代表する宿として数多くの宿泊客を迎え、山本有三、志賀直哉、谷崎潤一郎、太宰治、舟橋聖一、武田泰淳など、日本を代表する文豪たちにも愛されていたそうです。今は熱海市の文化財として一般公開されているということで散策してみました。 市街地とは思えない緑豊かな庭園や日本家屋の美しさをとどめる本館(和館)とはなれ等、日本、中国、欧州などの装飾や様式を融合させた独特の雰囲気を持つ洋館でした。

2017.4.22掲載 東京都 日野市 市役所前桜並木/普門寺観音堂

 2014.4.7撮影
 東京都 日野市 市役所前桜並木/普門寺観音堂 桜の季節、日野橋から日野市役所周辺まで満開の桜を楽しみながら日野市の旧跡・名所を散策しました。
普門寺観音堂は市指定の有形文化財で下河原の廃寺西明寺(福地蔵のあたり)にあった堂宇を移築したもので、1807年(文化4年)に建立されたものだそうです。  1877年(明治10年)に普門寺へ曳き屋し組み直し、その後、1912年(大正元年)になって、大改造がなされ、普門寺の本堂として使われていましたが、度重なる改築で建物の形は大きく変貌していたが、1988年(昭和63年)、本堂の新築にともなって調査修理が行われ、当初の形と考えられる禅宗様の三間堂(さんげんどう)の姿で現在の場所に復原されたそうです。

2017.4.16掲載 東京都 日野市 浅川沿い(向川原団地付近)

 2014.4.1撮影
 東京都 日野市 浅川沿い(向川原団地付近) 高幡不動尊を訪れたついでに、浅川沿いを散策し、土手の桜を楽しみました。向河原団地の北側には土手に沿って桜並木が続いていました。この桜並木は1959年(昭和34年)、現天皇の御成婚記念として配られた苗木をまとめて植樹されたものとのことで、現在は憩いの場となっていました。

2017.4.9掲載 東京都 日野市 高幡不動尊(高幡山明王院金剛寺)

 2014.4.1撮影
 東京都 日野市 高幡不動尊(高幡山明王院金剛寺) 高幡不動尊は真言宗智山派別格本山で京都智積院を総本山とする関東屈指の古刹であり、高幡不動として広く知られています。関東三大不動の一つといわれており、年中行事(初詣、毎月28日の縁日、節分会、萬灯会など)に加え、境内地四千数百坪と、接続する山林を合わせて三万坪からなる敷地に織り成される四季を彩る自然と景観風情の中で、あじさい祭り、紅葉祭りなどの催しも行われているいこいの場所でもあります。
 その歴史は1100年も前、当時の清和天皇が当地を東関鎮護の霊場とする勅願によって、平安時代初期に慈覚大師円仁が、山中に不動堂を建立し、不動明王を安置したのに始まり、 1335年(建武2年)8月4日夜の大風によって山中の堂宇が倒壊し、時の住僧儀海上人が1342年(康永元年)現在の場所に移し建てたのが、今見る不動堂(写真左上)だそうです。
 関東では特筆する古文化財で、後に建てられた仁王門(写真左下)とともに国指定重要文化財に指定されているそうです。

2017.4.3掲載 東京都 国分寺市 お鷹の道・真姿の池湧水群

 2014.3.25撮影
 東京都 国分寺市 お鷹の道・真姿の池湧水群 この地は江戸時代に尾張徳川家の御鷹場に指定されていたため、それにちなみ、崖線下の湧水が集まり野川にそそぐ清流沿いの小径を“お鷹の道”と名づけ、現在約350メ-トルを遊歩道として整備しているそうです。四季折々の散策路として人気があり、国分寺を代表する名所として親しまれてい ます。その一角に 真姿の池と呼ばれる湧水があります。これらをはじめとする崖線下の湧水群は、 上記の「お鷹の道」と合わせた環境の良さを評価され、環境庁の「全国名水百選」のひとつに選ばれています。また、東京都 の名湧水57選にも入っています。真姿の池は848年(嘉祥元年)、絶世の美女といわれた玉造小町が病気に苦しみ、病の平癒を願い全国行脚をした際に、武蔵国分寺で願をかけたところ、「池で身を清めよ」との霊示を受けて快癒したとの言い伝えがあるそうで、現在は弁財天が祀られています。
 武蔵国分寺跡の近くですが、ひっそりとしており、なかなか趣のある場所でした。

2017.3.26掲載 東京都 国分寺市 武蔵国分寺跡・国分寺楼門

 2014.3.25撮影
 東京都 国分寺市 武蔵国分寺跡・国分寺楼門 武蔵国分寺跡は奈良時代に聖武天皇の詔により日本各地に建立された国分寺のうち、武蔵国国分寺・国分尼寺の寺院跡にあたるものです。尼寺区域は調査が終わっており歴史公園として整備されていますが(後日紹介予定)、僧寺区域は整備事業の一環で発掘調査中とのことです。史跡指定範囲は時代が下るごとに広がり、現在は11haにおよんでいる(東山道武蔵路を含まず)そうです。推定される寺域は僧寺金堂を中心に東西1,500m、南北1,000mに範囲におよぶとみられています。国分寺崖線の南側すぐの位置にあり、かつては東山道武蔵路を挟む形で東側には武蔵国分寺、西側には武蔵国分尼寺が立地していました。現在は、両寺院の間を府中街道(埼玉県道・東京都道17号所沢府中線)とJR武蔵野線が通過しています。
  史跡指定地内には、鎌倉時代末期の分倍河原の合戦の兵火で旧武蔵国分寺が焼失した後に、新田義貞の寄進によって再建された武蔵国分寺(真言宗豊山派)もありました。武蔵国分寺跡だけでは野原が広がっているだけで寂しいので、直ぐ近くにあった武蔵国分寺(真言宗豊山派)の楼門(写真右)も掲載しました。

2017.3.19掲載 東京都 立川市 阿豆佐味天神社

 2014.3.12撮影
 東京都 立川市 阿豆佐味天神社 阿豆佐味天神社は、砂川の新田開発の際に、村の鎮守の神として1629年(寛永6年)に創建されたものです。 ご祭神は、医薬・健康・知恵の神として名高い少彦名命(すくなひこなのみこと)、文学・芸術の神 天児屋根命(あめのこやねのみこと)のお二柱とのことです。境内には 立川水天宮(写真右下)もあり、古来より安産・子授けの守り神として崇められているそうです。 また、蚕影神社(猫返し神社、養蚕の神)(写真右上)、八雲神社(厄除け)、疱瘡社(疫病除け、縁結び)、稲荷社(五穀豊穣、招福財福)、天神社(学問)、御嶽神社(火難盗難除け)、浅間神社(縁結び、安産)、金刀比羅社(交通安全)、八坂大神社(疫病除け)が境内社としてあります。
 蚕影神社が猫返し神社と呼ばれるようになったのは、ジャズピアニストの山下洋輔氏が自身の飼い猫がいなくなった時、ここで願掛けした所、猫が戻ってきたそうで、これを書物で猫返し神社と冗談で紹介したことが発端だそうです。

2017.3.13掲載 千葉県 いすみ市 椿公園

 2014.3.22撮影
 千葉県 いすみ市 椿公園 椿公園は、1994年(平成6年)に開設されたそうで、広大大な面積(約2,754ha)を誇り山林の起伏を利用した自然豊かな公園になっています。四季折々の樹木が植栽されているだけでなく、70m級の大吊り橋やいろいろな施設が配置されていました。椿という名がつけられているだけに、約1,000種/1,000本の椿が花を咲かせる時期(2月~3月)には多くの人々が訪れるそうです。
 訪れたのが春のお彼岸の時期でしたが、まだまだ咲いている椿があちことにあり、時間が遅かったためか、人も少なくゆっくりと見て回ることができました。
※椿公園の椿は、多品種のため開花時期がそれぞれ異なり、一斉に咲き誇ることはないそうです。

2017.3.5掲載 東京都 立川市 玉川上水(見影橋付近)

 2014.3.12撮影
 東京都 立川市 玉川上水(見影橋付近)玉川上水は、江戸の人口が増えて井戸や小川だけでは飲料水を賄えなくなったため、江戸幕府が多摩川の水を江戸に引くことを計画し、1653年(承応2年)に玉川庄右衛門、清右衛門の二人の兄弟が完成させたといわれています。 上水は取水口である多摩川の羽村から四谷大木戸までの43kmに及ぶものですが、この間の落差が小さく勾配が緩やかなため、うまく水を流すのに苦心したと伝えられています。 現在は、玉川上水緑道として杉並区の浅間橋から福生市の平和橋までの約24kmが整備されているそうで、川面には水鳥が楽しんでいるのを見ることができました。(写真右下)
 訪れたのが早春だったため、桜の季節とはいきませんでしたが、早咲きの花がちらほらと咲いていました。(写真右上)

2017.2.28掲載 東京都 立川市 矢川弁財天

 2014.3.4撮影
 東京都 立川市 矢川弁財天 矢川弁財天は矢川緑地の西側にあり、昭和16年に矢川緑地の西にあるケヤキの大木の傍から、国の命令で、現在地に移って来たそうです。現在はみのわ通りで矢川緑地と分断された位置になっています。こちらでは“水神様”である「弁財天様」と、その“使いの神”と言われている「龍神様」と「白蛇様」の両方を祀っているそうです。矢川弁財天の敷地内には、色鮮やな鯉たちが泳ぐ大きな池があり(写真左下)、この池には矢川からの流れも注ぎ込んでいるそうです。 境内にある「狛蛇」は左巻きと右巻きのとぐろを巻いて狛犬のように向き合っています。(写真右) 「狛蛇」の手前にある「手水舎」(ちょうずや)は、地下から湧水を汲み上げていて、飲むことも出来ます。この湧水でお金を清めたところ「大金を入手した」という話や「長患いが治った」という話もあるそうです。
 現在はみのわ通りで分断されてしまって、ちょっと残念な感じでした。

2017.2.19掲載 東京都 府中市 新田川分梅公園・分倍古戦場碑

 2014.1.1撮影
 東京都 府中市 新田川分梅公園・分倍古戦場碑 分倍古戦場は鎌倉時代末期1333年(元弘3年)5月に、上州(群馬県)に討幕の兵を挙げた新田義貞が鎌倉幕府軍を打ち破りながら南下し、5月16日、北条泰家率いる幕府軍を下した場所です。この後、一気に鎌倉に攻め込んだと言われています。「太平記」によれば、このときの新田軍は10万、対する幕府軍はこれをやや上回ったと記されています。この歴史的な合戦の舞台となった分倍河原に、新田氏の子孫で元男爵新田義美氏の筆による記念碑(写真:右)が昭和10年に建てられたそうです。
 これまで20年以上生活していた居住地の周辺を、よく知らなかったのですが、2014年になり昼間の時間に余裕が出てきたため、健康のためにも散策してみようと思い、歩き回ることを初めて見ました。どの程度続くはわかりませんが、目ぼしい所は訪れてみようと思っています。今回は大國魂神社で初詣をした後、その足で、新田川緑道を経由して立川まで歩いてみました。