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〒891-0141 鹿児島県鹿児島市谷山中央

中's ギャラリーgallery 2022年掲載


 2020年秋以降に撮影した鹿児島の観光地の写真が中心です。

2022.12.25掲載 鹿児島県 肝属郡・南大隅町 台場公園 

 2022.8.4撮影
  鹿児島県 肝属郡・南大隅町 台場公園 台場公園(だいばこうえん)は鹿児島県南大隅町にある砲台(台場)跡を公園に整備したものです。ここは江戸時代末期の幕末の時代におきた「薩英戦争」の戦跡です。 薩英戦争は1863年(文久3年)に起きた薩摩藩と大英帝国との間で行われた錦江湾での戦闘のことで、1862年(文久2年)に起きた在日イギリス人を薩摩藩士が殺傷した「生麦事件」の報復として大英帝国が艦隊を派遣したことに起因します。薩摩藩は錦江湾に砲台を築き対抗しようとしました。 その時の砲台跡が殆ど原型をとどめている史跡公園となっています。原の海岸には、高さ3m、幅4mの花崗岩で築いた石垣が海に面して60mにわたり構築してあります。この台場は、幕末に異国船に備えて砲台が設置され、生麦事件の後、薩英戦争直前に約400人の薩軍が急いで拡幅構築を行ったのですが、この砲台から実際に砲弾を撃つことはありませんでした。町内二川には製鉄炉跡もあり、付近は製鉄に必要な木炭の豊富な産地でもありました。この台場公園は錦江湾に囲まれ、錦江湾に広がる大パノラマは熱い感動を呼びます。

2022.12.18掲載 鹿児島県 鹿児島市 マリンポート鹿児島のイルミネーション

 2022.12.12撮影
  鹿児島県 鹿児島市 マリンポート鹿児島のイルミネーション マリンポート鹿児島(まりんぽーとかごしま)は国内外のクルーズ船が停泊する国際交流港です。マリンポートには港以外にもヘリポートや芝生広場、遊歩道などがあり、散策やレジャーにも利用できます。豪華客船を眺めた後は、グランドレベルでの桜島、芝生の緑とアンツーカーの茶褐色、青い錦江湾と桜島の色合いが素敵な場所で、沖合を往来する船も絶景に色を添えてくれます。しかし、コロナ禍のここ3年はクルーズ船の姿もなく、寂しい感じでした。年末に毎年彩られるイルミネーションだけは毎年行われ、今年もかわいらしくライトアップされていました。
 ※12月の催しでしたので、撮影順を飛ばして掲載しました。

2022.12.11掲載 宮崎県 都城市 早水神社・沖水古墳

 2022.6.15撮影
  宮崎県 都城市 早水神社・沖水古墳 早水神社(はやみずじんじゃ)は創建は不明ですが、戦国時代の初期に島津忠相、忠親父子が再興したと記録に残されています。神社は諸県君の娘・髪長媛出生地に、媛と父、牛諸井とを祭祀したものといわれているそうです。応神天皇を正祀したのは、天皇と髪長媛の因縁によるもと伝えられているそうです。都城市上長飯の地名は、髪長媛の転化、牛諸井は早水神社の境内の湧水(井水)にちなむものです(写真右下)。また、早水は古語で泉の「そうず」が転じたものといわれています。一日の湧水量が8000m3という早水池を中心に、早水公園として指定され、体育文化センター、市立植物園などがあり、市民の憩いの場となっています。境内には、県指定の沖水古墳(おきみずこふん)一基があります(写真右上)。江戸時代以降になって記紀の研究などから、仁徳天皇の后の髪長媛の誕生地説が生まれたそうです。 髪長媛は、諸県君牛諸井の娘で応神天皇に召されましたが、皇太子の仁徳天皇が彼女の美貌に惹かれて、皇太子妃に譲り受けたといわれています。境内にある泉は髪長媛が使った泉で、顔を洗うと美人になるという言い伝えがあるそうです。

2022.12.4掲載 宮崎県 都城市 母智丘公園からの展望

 2022.6.15撮影
  宮崎県 都城市 母智丘公園からの展望 母智丘公園(もちおこうえん)は日本の桜の名所100選に選ばれた公園です。園内には、約2600本の桜が植樹されており、公園入口から2km続く桜並木をはじめ、ぼんぼりに照らされた夜桜、母智丘頂上から園内に咲く桜の全景を観賞できたりとさまざまな角度から花見を楽しめ、毎年3月下旬から4月上旬にかけては桜祭りも開催されます。また、母智丘頂上には、母智丘神社再興工事の時に発掘された巨石群が点在し、安産や縁結びの神石として崇められています。巨石は、石器時代に丘の上に群立していたものと考えられており、付近からは多くの土器や石器も発見されています。

2022.11.27掲載 宮崎県 都城市 母智丘神社

 2022.6.15撮影
  宮崎県 都城市 母智丘神社 母智丘神社(もちおじんじゃ)は宮崎県の南西端に位置する都城市にあります。JR西都城駅前から北西に5km、九州でも屈指の桜の名所「日本の桜の名所100選」母智丘公園の頂上に鎮座しています。 このお社はもと石峰稲荷明神といって、丘の頂きに大きな神石があり、巌の下には洞穴もあって白狐が住むといわれ、牛馬の加護はもとより、万能の神様として霊験あらたかなお社です。 たまたま明治三年上荘内郷の地頭となった三島通庸が一大修理を加えて社殿を改築し、祭神も豊受姫神、大年神と定め、また四方からの参道を便利にして庄内郷の総鎮守としたそうです。 その後参道には町の篤志家によってよしの桜が植えられ、花どきにもなれば一大花のトンネルとなり、西日本一を誇るさくらの名所と呼ばれるようになったそうです。社殿裏には巨石群が散在しています(写真右)。明治三年社殿再興の時に発掘されたそうです。その中に世にも珍しい、縁結び、安産、無病息災など霊験あらたかな陰陽石があります。

2022.11.20掲載 鹿児島県 鹿児島市 滝之下大滝

 2022.6.9撮影
  鹿児島県 鹿児島市 滝之下大滝 滝之下大滝(たきのしたおおたき)は鹿児島市中山町(市街地周辺の住宅地近く)にあります。永田川支流の滝之下川を上流へ向かうと,市民が私有地を一般開放している大滝川公園内の広場から大滝を見ることができます。そこからは,落差約20mの滝の迫力を間近で感じることができます。滝の上には,指宿スカイラインの赤い大滝橋が架かっており(写真左),大滝橋の下あたりは大きな岩のある渓流となっています。 敷地内には,祠やレンガで造られた煙突のような建造物などがありとても雰囲気があります。

2022.11.13掲載 鹿児島県 鹿児島市 自宅から見た皆既月・天王星

 2022.11.8撮影
  鹿児島県 鹿児島市 自宅から見た皆既月食・天王星 皆既月食と惑星食が442年ぶりに見られるというので、頑張って撮影してみました。しかし、カメラの固定が上手くいかず、思ったような撮影にはなりませんでした。それでも撮影した中からまともなものを取り出して掲載しました。皆既月食は19時16分頃から約1時間30分程続き、その間に惑星食(今回は天王星)が約1時間弱続いていました。天王星は皆既月食がおきると見えるようになり、鹿児島からは20時20分頃に月の後に隠れました。中央の写真はその直前に撮影したものです(月の左下に接して見える点が天王星です)。その後、皆既月食が終わり部分月食にになってから約30分後に天王星の食が終わったので撮影しましたが、月が明るすぎてうまく撮影できませんでした(写真右下)。

2022.11.6掲載 鹿児島県 志布志市 山宮神社

 2022.5.27撮影
  鹿児島県 志布志市 山宮神社 安楽山宮神社(やすらやまみやじんじゃ)とも称される山宮神社(やまみやじんじゃ)は、709年(和銅2年)、御在所岳(ございしょだけ)の山頂に天智天皇を祀って山宮大明神(やまみやだいみょうじん)と号し、その廟を山頂に祀ったのが創始と伝えられています。志布志には天智天皇が侍女から二の妃となった玉依姫(たまよりひめ(薩摩国頴娃の豪族の娘))に心をひかれ晩年を志布志にて過ごされたとの伝説があり、天皇にちなんだ地名事跡が多く残されています。山宮神社もその一つと伝えられ、807年(大同2年)には、近隣の山口大明神(大友皇子)、若宮神社(持統天皇)、中宮神社(玉依姫)、鎮母神社(倭姫王)、蒲葵御前社(乙姫)を合祀し山口六社大明神(やまぐちろくしゃだいみょうじん)として現在地に祭られたとされています。
 天智天皇の御手植えと言われる「大クス」が立っています。高さ23.6m、幹周17.1m、推定樹齢1000年という巨木で、「志布志の大クス」の名称で国の天然記念物に指定されています。

2022.10.30掲載 鹿児島県 志布志市 蓬の郷・親水公園

 2022.5.27撮影
  鹿児島県 志布志市 蓬の郷・親水公園(よもぎのさと・しんすいこうえん)は志布志市有明の普現堂湧水源の近くにある観光拠点施設で、温浴施設は普現堂湧水源の冷泉を使っています。レストラン「せせらぎ亭」では、いい水で育った有明産うなぎをはじめ、志布志の味覚を楽しめます。併設されている親水公園は湧水を利用した池を中心に自然が広がっていました。ここでは地域の物産も販売しているようでした。

2022.10.23掲載 鹿児島県 志布志市 岳野山・笠祇神社

 2022.5.27撮影
  鹿児島県 志布志市 岳野山・笠祇神社(たけのやま・かさぎじんじゃ)は有明町役場の北側にある標高274mの岳野山の山頂近くにある神社です。神社には12体の干支の石像や石灯篭・開運蛙などがあります。干支の石像は地域振興を目的に地元の有志により、1996年のネズミを皮切りに毎年一体すつ制作され、2007年のイノシシまで12年かけて完成したそうで、力作揃いの干支の石像作品がそろっています。

2022.10.16掲載 鹿児島県 志布志市 岳野山展望所

 2022.5.27撮影
  鹿児島県 志布志市 岳野山展望所(たけのやまてんぼうじょ)は有明町役場の北側にある標高274mの岳野山にある展望所です。「九州セルラー電話」時代からの基地局の2階部分が、展望台と休憩施設になっています。眼下には広大な菱田川を挟んでのどかな田園地帯が広がり(写真上)、志布志湾を見渡す絶景が楽しめます(写真左下)。さらに天気が良ければ志布志湾沖にあるビロウ島、遠く開聞岳や霧島連山などの一大パノラマを目の当たりにできます。

2022.10.9掲載 鹿児島県 曽於市 三連轟の滝

 2022.5.7撮影
  鹿児島県 曽於市 三連轟の滝 三連轟の滝(さんれんとどろのたき)は鹿児島県曽於市の最北部、宮崎県都城市との市境も近い辺りを流れる溝ノ口川にある滝で、桐原の滝の下流にあります。溝ノ口川はやがて庄内川に注ぎ、その庄内川は大淀川に注いでいます。すなわち溝ノ口川は、宮崎県を代表する河川である大淀川の支川ということになります。堅く固まった凝灰岩が溝ノ口川の水により削られて段差ができたもので、三連轟や甌穴群、下流にある関之尾滝も同じ溶結凝灰岩(火砕流堆積物などが温度と圧力により固まったもの)でできています。木々の香りに包まれて、清々しい空気を滝と一緒に満喫できます。 自然の力でつくられた、独特の岩の形状もおもしろく、轟音を胸に響かせることより三連とどろと呼ばれているようです。 この溶結凝灰岩の岩盤層は33~34万年前に起きた加久藤カルデラの大噴火(“破局噴火”とも呼ばれる)による火砕流堆積物が自らの熱と圧力によって岩石化したものだそうです。
 訪れた時は近年の大雨の影響で、一部景観が変わってしまっていました。また、水の流れも弱かったため、豪快な滝の様子を撮影することはできませんでした。

2022.10.2掲載 鹿児島県 曽於市 桐原の滝

 2022.5.7撮影
  鹿児島県 曽於市 桐原の滝 桐原の滝(きりはらのたき)は大淀川の上流にある大川原峡の名所のひとつで、幅40m・落差12mの豪快な景観の滝です。34万年前の加久藤噴火に由来する溶結凝灰岩が削られて形成されたものです。キャンプ場のすぐ近くで、そこから歩いて行くこともできます。曽於八景のひとつになっており、地質を学ぶことができるジオサイトとしても登録されています。大変豊かな水量が幾筋にも落ちる姿は美しく、光の加減によっては綺麗に虹が架かることもあるそうです。

2022.9.25掲載 鹿児島県 曽於市 悠久の森

 2022.5.7撮影
  鹿児島県 曽於市 悠久の森 悠久の森(ゆうきゅうのもり)は針・広葉樹の森で、森の中のせせらぎに沿って遊歩道があり、コース全長は往復で約7km、。水の流れる音、木々のざわめき、鳥の声、やさしく差し込む木漏れ日が心地よい場所です。「悠久の森」というネーミングには「緑ときらめきの感動を与えてくれる森を子孫に引き継ぎ、永久に残していこう」という気持ちがこめられているそうです。まさに永久に残したい美しいこの森では、自然の恵みを年間を通して享受することができます。春は新緑の美しさを愛で、秋は紅葉のほかワラビ・木の実などを見つけることができます。11月にはウォーキング大会も開催され、楽しみながら自然体験ができます。緑の濃い春から夏にかけてもいいですが、紅葉の名所でもあります。

2022.9.18掲載 鹿児島県 姶良市 山田の凱旋門

 2022.5.7撮影
  鹿児島県 姶良市 山田の凱旋門 山田の凱旋門(やまだのがいせんもん)は、1904年(明治37年)~1905年(明治38年)日露戦争に山田村(当時)から従軍した人たちの無事帰還を記念して、1906年(明治39年)3月山田村兵事会が建設した日本では珍しい凱旋門です。上部はアーチ型に組まれ、中央にタテ60cm、ヨコ121cmの石がはめ込まれています。 高さ4.7m、幅4.88mの門柱には、西南の役、日清、日露、大東亜戦争の眠れる勇士1,200柱が祀ってあります。 2001年(平成13年)8月28日に国の登録有形民俗文化財に登録されました。 石造りの凱旋門越しに桜島というわけにはいきませんが、後方の100段ほどの石段を登ったところに招魂社(しょうこんしゃ)(写真右下)があり、境内から桜島が望めます(写真右上)。

2022.9.11掲載 鹿児島県 姶良郡・湧水町 観光SL会館の蒸気機関車

 2022.4.22撮影
 鹿児島県 姶良郡・湧水町 観光SL会館の蒸気機関車 観光SL会館(かんこうえすえるかいかん)は、JR肥薩線と吉都線の吉松駅前にある施設で、国家の威信をかけて建設された肥薩線の経緯を知ることのできる資料館です。SLの写真、信号機、駅員の制服などを紹介しています。広場には近代化産業遺産に認定されたC55型蒸気機関車(写真)や石倉を展示しています。

2022.9.4掲載 鹿児島県 姶良郡・湧水町 丸池湧水

 2022.4.22撮影
 鹿児島県 姶良郡・湧水町 丸池湧水 丸池湧水(まるいけゆうすい)は、日量約6万トンの水が湧き出し、霧島山系の湧水群にあってもその規模は大きいものです。この湧水は,栗野岳標高600m付近に降った雨が地中を流れ,約35年の歳月をかけ 湧水しているそうです。栗野地域のほぼ全体の生活用水に利用されています。 1922年(大正11年)までは国の管理下であったようですが、この年に町が払い下げを受けています。その後、当時のお金で1,101円50銭を投じて、現在のような堤防を造ったそうです。そして澄んだ水は、1985年(昭和60年)に「日本名水百選」に選定されています。春は桜、夏はホタルの名所としても知られていて、水路沿いの石畳の小道は散策にぴったりです。9月初旬には、この丸池湧水の恩恵に感謝する「名水丸池感謝の夕べ」が行われ、丸池内、周辺に約1,000本の竹灯篭を浮かべ、幻想的な姿に変身します。
※4年ぶりに訪れましたので、再度掲載しました。

2022.8.28掲載 鹿児島県 姶良郡・湧水町 霧島アートの森

 2022.4.22撮影
 鹿児島県 姶良郡・湧水町 霧島アートの森 霧島アートの森(きりしまあーとのもり)は、霧島連山の北、栗野岳の標高約700mの高原にあり、霧島の自然の中に、芸術性の高いアート作品を配置した野外美術館です。 広大な園内には、国内外の著名な作家たちによる大小さまざまのユニークな作品23点が展示されています。日本を代表する芸術家草間彌生さんはじめ個性的な作品を目にすると、思わず立ち止まりたくなります。石や鉄・プラスチックなど、いろいろな素材でつくられたこれらの作品は、もともとの地形や樹木を生かしてバランスよく展示され、約2kmの園路を散策しながら、じかに手でふれたり座ったりして鑑賞できるようになっています。また、スマートな外観のアートホールもあり、 展示品の横にはそれぞれ作品や作者の紹介カードが置かれ、持ち帰れるようになっています。さらに、桜島も自然が造ったアートとして、ホール階段から屋外アートの横に入るように設計されています。

2022.8.21掲載 鹿児島県 姶良郡・湧水町 栗野岳枕木階段からの眺望

 2022.4.22撮影
 鹿児島県 姶良郡・湧水町 栗野岳枕木階段からの眺望 栗野岳枕木階段(くりのだけまくらぎかいだん)は、1988年(昭和63年)に廃線となった旧国鉄山野線の枕木7000本を利用した、山頂へと延びる階段で、栗野岳の麓にあります。左561段、右555段と枕木の数が異なりますが、枕木階段としては日本一です。上った先には展望台があり、ここから伊佐平野や錦江湾、桜島、霧島連山を眺めることができ、緑の大地、山々、海と絶妙の色合いで魅了してくれます。枕木も山にしっくり溶け込んでいます。
 残念ながら訪れたこの日は錦江湾や桜島はぼんやりとしか見えていなかったため、気に入った写真を撮ることができず掲載できませんでした。
 伊佐平野の先には国見岳と思われる山が枕木階段の左手に見えていました。

2022.8.14掲載 鹿児島県 姶良郡・湧水町 栗野岳枕木階段

 2022.4.22撮影
 鹿児島県 姶良郡・湧水町 栗野岳枕木階段 栗野岳枕木階段(くりのだけまくらぎかいだん)は、1988年(昭和63年)に廃線となった旧国鉄山野線の枕木7000本を利用した、山頂へと延びる階段で、栗野岳の麓にあります。左561段、右555段と枕木の数が異なりますが、枕木階段としては日本一です。上った先には展望台があり、ここから伊佐平野や錦江湾、桜島、霧島連山を眺めることができ、緑の大地、山々、海と絶妙の色合いで魅了してくれます。枕木も山にしっくり溶け込んでいます。

2022.8.7掲載 鹿児島県 南さつま市 くじらの眠る丘

 2022.4.20撮影
 鹿児島県 南さつま市 くじらの眠る丘 くじらの眠る丘(くじらのねむるおか)は、鹿児島県南さつま市大浦町にある施設です。中心施設は、くじらの形をした変わった建物です(写真左)。2002年(平成14年)に、付近の小湊干拓の海岸で、座礁した14頭のマッコウクジラの内1頭を骨格標本として永久保存し、後世へ座礁の記録を残すために建設されたものです。 1階の前面がガラス張りでクジラの骨格全体を見渡せ(写真右)、2階のロフトからは骨格を見下ろせる造りになっています。屋上(ホエールステージ)にも上がることができ、展示施設前に設置されている座礁クジラのモニュメント(座礁くじら記念碑)と施設周辺を見渡すことができます。 また、当時の11日間に及ぶ救出作業の様子も紹介しており、座礁したクジラとの11日間に及ぶ活動に携わった方々の想いが、垣間見えてくるようです。

2022.7.31掲載 鹿児島県 南さつま市 木花咲耶姫

 2022.4.20撮影
 鹿児島県 南さつま市 木花咲耶姫 木花咲耶姫(このはなさくやひめ)は、桜の如く華やかに咲いて、桜のように儚く散った絶世の美女、まさに美人薄命を絵に描いたような神様です。 天照大御神(あまてらすおおみかみ)の天孫、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)に笠沙の岬(※)で出会い、一目惚れされ、妻となったとあります。日本神話で最も美しいと誉れ高い女神です。 古事記や日本書紀などでは別名で登場することも多く、山の神の娘であったころの名は、神阿多都比売(かむあたつひめ)や神吾田鹿葦津姫(かむあたかあしつひめ)などと表記されています。 木花咲耶姫(このはなさくやひめ)は3人の御子を産みました。その三男である彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)ですが、山幸彦という別名で知る人も多いのではないでしょうか。 この花咲くや姫は、神話に描かれたストーリーから、幅広いご利益・ご神徳がある神様として日本全国の神社に祀られています。 主には、火難除け、安産・子授けのほか、農業、漁業、織物業、酒造業、海上安全・航海安全などに関する御祭神です。その裏付けとなる神話があります。
(※)笠沙は、鹿児島県薩摩半島の西南部の、鹿児島市から西へ50Kmの野間半島の野間岬に位置し、三方を東シナ海に囲まれ、急峻な断崖が多く、変化に富んだリアス式海岸は絶景となっており、昔から焼酎の杜氏を輩出してきた黒瀬集落、石垣の集落をはじめ農村と漁村の両方が点在しています。
「笠沙」の地名は、「古事記」天孫降臨の段に登場する「笠沙之御前」(笠沙の岬)に因んだものです。ということで、笠沙の地がある南さつま市では木花咲耶姫の碑が建っています。(写真左:道の駅 きんぽう木花館、写真右:歴史交流館金峰)

2022.7.24掲載 鹿児島県 日置市 千本楠

 2022.4.20撮影
 鹿児島県 日置市 千本楠 千本楠(せんぼんくす)は、大汝牟遅神社境内前の道路を挟み,正面に150m程行った所にある樹木が群生する場所のことです。 案内には,「この中の倒れ伏して朽ちた楠が親木と伝えられ,当時は根回り18m余りあった」と書かれており,1910年(明治43年)の日英博覧会に出品した楠材の切株は樹齢800年以上と推定されています。樹齢800年以上の大クスがあたかも寝ているように連なり、また天空に伸びあがるように梢を伸ばしています。その姿は臥龍を思わせ、20数本しかない楠が千本あるように見えます。倒れて朽ちた根回り18mの楠が親木とされ、神話によると大汝牟遅下向の時に楠の枝を地に差し、それが根付いて親木になったと言われています。 また,「大汝牟遅命下向の時,楠の木の杖を地にさされたところ,これが根付いて親木となり増えた」とも伝えられています。
この千本楠はNHKで2016年(平成28年)に放送された大河ファンタジー「精霊の守り人」のロケ地にもなったそうです。 そこに一歩足を踏み入れると,何本もの大楠が天高くそびえ,自分が小さくなってしまったかのような不思議な感覚を体験できます。

2022.7.17掲載 鹿児島県 日置市 大汝牟遅神社

 2022.4.20撮影
 鹿児島県 日置市 大汝牟遅神社 大汝牟遅神社(おおなむちじんじゃ)は、創建は不明ですが神代(かみよ)の昔,瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が霧島に降臨した後、しばらく宮居(みやい)されたと言われる場所です。また,伊作島津家の宗社として,歴代当主の御加護が厚く,忠良(日新公),貴久,義久,義弘,家久,光久等の造営の記録が神社に残っています。明るい赤塗りと彫刻の美しい宮で、古事記に記されている貝のモニュメントもあり、毎年元旦に吹上浜の砂を盛った貝をお供えするそうです。500年の歴史がある流鏑馬も毎年11月23日に行われています。社殿の右奥には,大汝牟遅神社の御神木があります(写真右)。近くの案内には,『樹齢千年以上,幹周りは約14m,「先ず心に願いごとを強く念じ,この御神木をやさしく三回撫でながら願いごとを唱えてください。また,自分の身体の悪い所も,その手で撫でてください。」』と書かれています。 御神木はかなりの存在感があり,数字以上の大きさを感じさせます。 また,他の案内には,『木の上に鳥が見えます。”フクロウに見える人は福を授けます”と御神木の声です』と書かれていますので,探してみるのもありかな。 他にも社殿前の2本の銀杏の木(夫婦銀杏:左側:男性用、右側:女性用)も御神木とされています。その他,「イシノコンボサア」という子授け・安産の願掛け石などもあります(写真左下)。とにかくさまざまなパワーアイテムが境内にはありました。

2022.7.10掲載 鹿児島県 出水市 出水麓武家屋敷群

 2021.10.14撮影
 鹿児島県 出水市 出水麓武家屋敷群 出水麓武家屋敷群(いずみふもとぶけやしきぐん)は、約46ha、東京ドーム9個分とも言われる広さがあります。 江戸時代、薩摩藩が設置した「外城」と呼ばれる地方支配の拠点の一つとして形作られた武衛屋敷群です。「外城」で政務や地方警護を担う武士の住居と陣地を兼ねた町は麓と呼ばれ、藩内には約100か所存在したと言われていますが、その中でも肥後国(現在の熊本県)との境に近く、防衛上重要な場所であった出水麓の「外城」は、藩内で最初に築かれ、規模も最大であったと言われています。 国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。 現存する武家屋敷は復元したものですが、碁盤の目のような町割や、川石を積み上げた石垣や緑の生け垣などは、400年前からほとんど変わっておらず、当時の面影を残しています。

2022.7.3掲載 鹿児島県 出水市 出水御仮屋門

 2021.10.14撮影
 鹿児島県 出水市 出水御仮屋門 出水御仮屋門(いずみおかりやもん)は、 16世紀末頃の建造とされ、腕木3本で軒を支える他に例を見ない構造が特徴の控柱付腕木門です。現在は、出水小学校の正門となっています。一時期豊臣秀吉の直轄領となっていた出水ですが、1599年(慶長4年)、再び島津氏領となりました。島津義弘は国境の地・出水に移ることを考え、地頭本田正親に命じ、帖佐鍋倉の門を移転したと伝えられます。移転当時の場所が現在地であるかは定かではありませんが、現在の出水小学校の敷地が御仮屋にあたり、出水小学校の正門として現在使われている門が御仮屋門になります。義弘公の移住は実現せず、晩年は加治木に移り住んだそうですが、門はそのまま残されたそうです。

2022.6.26掲載 宮崎県 都城市 あじさい公園

 2022.6.15撮影
 宮崎県 都城市 あじさい公園 あじさい公園(あじさいこうえん)は、島津藩の出城のあった「松尾城祉」周辺に整備された史跡公園で、標高約200mの高台にあり、総面積6.9haの広さを誇っています。園内には四季折々に咲く木花40種以上50000本が植栽されており、あじさいは21種類、28,000本があり、現在も植栽が続けられているそうです。毎年梅雨の頃になると白や赤、青など約21種28,000本のあじさいがいっせいに花をつけ、訪れた人の目を楽しませてくれます。 園内には石を並べて大小10の滝をつくった修景池、休憩展示施設などがあり、遊歩道を登って行くと頂上部には旧島津藩の出城「松尾城」をイメージしたしたという高さ15mのお城の形をした展望台があり、都城盆地を眼下に、霧島連山等を一望出来ます。 初夏を彩るあじさい、春には桜、秋には紅葉を楽しみながら、散策できる公園です。
 ※時期ものでしたので、時系列を無視して早速掲載しました。

2022.6.19掲載 鹿児島県 霧島市 若尊鼻・若尊神社

 2021.10.4撮影
 鹿児島県 霧島市 若尊鼻・若尊神社 若尊鼻(わかみこばな)は錦江湾奥に突き出た岬で、海沿いに約1km程の遊歩道があり、その先に若尊神社(わかみこじんじゃ)があります。霧島錦江湾国立公園の若尊鼻海域公園地区に指定されています。神話で日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が熊襲征伐のため上陸した地といわれています。海を隔てた桜島を眺めながら、木のトンネルを潜り、岩の間の道を通り抜けながら歩くと、ヤマトタケルのパワーをもらえるような感じがします。
 若尊神社の鳥居の奥には波に穿(うが)たれた洞穴があり(写真中央上)、そこには日本の初代天皇とされる神話・伝説上の人物である神武天皇・日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が祭られています。岬の突端は沖合へ500m程突き出しているため、海をとても近くに感じる事ができます。 そして海の奥には桜島が常に見えています。活火山を眼前に望みながら海辺を歩くことができます。

2022.6.12掲載 鹿児島県 霧島市 黒酢の郷「桷志田」

 2021.10.4撮影
 鹿児島県 霧島市 黒酢の郷「桷志田」 黒酢の郷「桷志田」(くろずのさと かくいだ)は従来の黒酢醸造に対するイメージに縛られず、さらに進化した黒酢文化を発信すべく、壷畑見学・黒酢レストラン・黒酢直売の3つを融合した“食と健康をつなぐ”日本初の黒酢専門レストランです。体に良いと注目の黒酢料理が味わえる他、家庭で味わえる黒酢関連商品の売店や黒酢の製造工程が学べる壷畑見学など幅広い年代で楽しめるに施設です。料理(野菜)は自家菜園の有機野菜(JAS規格認定)を使用し、黒酢料理に合う桷志田独自で製造を行うクラフトビアや直輸入ワインなども楽しめるそうです。
 壺づくりの純米黒酢は江戸時代(約200年前)より今日まで同じ製法を守って造られています。 薩摩焼の壺の中で蒸し米と麹、天然のわき水だけを原料に、野外でじっくりと発酵・熟成させるのです。これらの壺が並べられているのが黒酢の壺畑です。

2022.6.5掲載 鹿児島県 姶良市 山田の里かかし祭り

 2021.10.4撮影
 鹿児島県 姶良市 山田の里かかし祭り 山田の里かかし祭り(やまだのさとかかしまつり)は、姶良市の山田地区の活性化を目指し、1994年(平成6年)から始められ秋の風物詩となっています。当日は多くのかかしが並び、子供からお年を召した方まで楽しめるような趣向を凝らした、かかし作品が多数展示されていました。アニメのキャラクターや大河ドラマの主人公などその年に流行した物をかかしに取り入れる事が多いようです。 応募作品のかかしから優秀作品を表彰するほか、農産物販売・フリーマーケットやヨーヨーすくいなど出店も色々あります。ステージでは各種団体によるステージライブもあり賑わいながらもほっこり日本の原風景に触れられるお祭りになっていました。

2022.5.29掲載 鹿児島県 南九州市 射楯兵主神社(釜蓋神社)

 2021.4.23撮影
 鹿児島県 南九州市 射楯兵主神社(釜蓋神社) 南九州市の海岸線にあるのが、射楯兵主神社(いたてつわものぬしじんじゃ)です。通称を釜蓋神社(かまふたじんじゃ)といい、入り江の岩礁が突き出た所に鎮座する神社の御祭神はスサノオノミコトです。天智天皇と妃の大宮姫をもてなすため大量の米を蒸していると突風が吹き、釜蓋がこの地に飛ばされたのを祀ったことから、釜蓋神社と呼ぶようになったそうです。創建年代は不詳ですが、古くから武の神様として敬られ、勝負事や開運にご利益があるといわれています。昔は祈願すると敵の弾が当たらず無事に帰還できると伝わり、今ではアスリートや受験生など多くの参拝者で賑わっているようです。 釜の蓋を頭に載せて祈願するユニークな「釜蓋願掛け」(釜の蓋を頭にのせ、鳥居から拝殿まで落とさずに行くことができれば願いが叶うと言われています)や素焼きの釜蓋を投げる「釜蓋投げ」は,勝負事や開運・開拓・厄除け・武運長久にご利益があるとされています。 岩礁と海に囲まれた神社の裏「希望の岬」からは、薩摩富士こと開聞岳と夕陽を眺める絶景ビュースポットとして人気です(写真左上)。神社の裏にある大海原と開聞岳を望む絶景ポイント「希望の岬」は新しいパワーが湧き、清浄な気を感じられる場所です。釜の蓋の形のベンチもあり、ゆったりと時間を過ごすこともできます。
 ※7年ぶりに訪問したので、新しく撮影した写真を掲載することで、再度紹介しました。

2022.5.22掲載 鹿児島県 南九州市 番所鼻自然公園

 2021.4.23撮影
 鹿児島県 南九州市 番所鼻自然公園 薩摩藩の番所があったことから名づけられた番所鼻自然公園(ばんどころばなしぜんこうえん)は、日本地図作成のために立ち寄った伊能忠敬が「天下の絶景なり」と賞賛した景勝地です。開聞岳が一望できる展望スペース、日本で唯一のタツノオトシゴ観光養殖場「タツノオトシゴハウス」や、鳴らす回数によって祈願の種類が変わる「幸せの鐘」があります。 伊能忠敬がここ番所鼻を測量で訪れたのは1810年(文化7年),66歳の頃でした。 この地に立つ石碑(写真右上)は,これを記念して1956年(昭和31年)に建立されたもので,当時の首相・鳩山一郎氏の書による「伊能忠敬先生絶賛の地」と文字が刻まれています。目前の海には,「竜の落とし子」が棲んでいます。 昇竜を連想させるその姿から,しばし「幸運の守り神」とされますが,メスから授かった卵をオスのおなかの袋で大切に育てて出産するその珍しい生態や夫婦仲がよいこともあり,古より「竜の落とし子」には安産や子宝など,五つの吉祥ありと伝えられてきたそうです。 この地を訪れる皆様の幸福を願い建てられた「幸せの鐘」は,鳴らす回数で「恋愛成就・夫婦円満」「安産」など祈願できるようです。
 ※7年ぶりに訪問したので、新しく撮影した写真を掲載することで、再度紹介しました。

2022.5.15掲載 鹿児島県 南九州市 大野岳 しろろ展望台から見た池田湖と開聞岳

 2021.4.23撮影
 鹿児島県 南九州市 大野岳 しろろ展望台から見た池田湖と開聞岳 しろろ展望台は466mの大野岳山頂にあることから「しろろ」と名付けられたそうです。
 池田湖(いけだこ)は大昔の火山活動によって形成された周囲15km、最大水深233mの九州最大のカルデラ湖です。誕生は約5700年前で、ただ1回の噴火で形成されたのではなく、周辺部も含めると6回の噴火で現在の形状になったそうです。指宿市の天然記念物に指定されている体長1.8m・胸回り60cm・体重20kgもの大うなぎが数多く生息し、また謎の生物「イッシー」が棲むといわれる神秘的な湖です。湖畔には四季折々の花々が植栽され、特に1月は菜の花が満開となり、その光景は一足早い春の訪れを感じさせてくれます。
 開聞岳(かいもんだけ)は標高924mで、コニーデの上にトロイデをのせた二重式火山で活火山です。整った山頂となだらかな稜線が美しく、秀麗「薩摩富士」の異名をとり、「日本百名山」にも数えられています。全山樹木で開聞さつきも咲きます。周囲に山がないため、南薩のほとんどの地域からその円錐形の姿を見ることができ、まさにこの地のシンボルです。

2022.5.8掲載 鹿児島県 南九州市 大野岳 きらり展望台から見た東シナ海沿岸

 2021.4.23撮影
 鹿児島県 南九州市 大野岳 きらり展望台から見た東シナ海沿岸 大野岳は,薩摩半島南端に位置する標高466mの独立峰です。 山頂からの360度の眺望は薩摩半島随一と評され,開聞岳や池田湖,東シナ海とその海岸線,茶畑や芋畑などの田園風景といった薩摩半島を代表する景観を眼下に望め,またその向こうには錦江湾,桜島や大隅半島,晴れた日には硫黄島や屋久島の遠望が広がります。きらり展望台からは海のキラキラ、太陽のキラキラ、緑のキラキラを眺望でき最高の気分になります、 海岸線をず〜っと先まで眺めると、枕崎の立神岩の姿も確認できました。

2022.5.1掲載 鹿児島県 南九州市 大野岳の茶寿階段

 2021.4.23撮影
 鹿児島県 南九州市 大野岳の茶寿階段 大野岳(おおのだけ)は薩摩半島南端に位置する標高466mの独立峰で、山頂からの360度の眺望は薩摩半島随一と評されます。 車で手軽に登れる山でありながら、九州最南端の絶景をぐるっ!と一望できる貴重な存在です。 大野岳のある南九州市は、市町村単位でのお茶の生産量日本一を誇ります。大野岳の山麓は良質なお茶の産地として知られるほか、茶の神様を祀る山とされ、大野嶽神社では毎年3月下旬~4月上旬に新茶祭りが開催されています。喜寿や米寿と並び、108歳の長寿を祝う「茶寿」(茶の字が十、十と八十八に分解できる為)という言葉もあることから、茶寿(長寿祈願)の山とされています。
 茶寿階段(ちゃじゅかいだん)は108歳を祝う茶寿という言葉に因み設置された山頂へ続く108段の階段です。 階段途中には、成人・還暦・古希・喜寿・米寿・白寿などの休憩スポットも設置されており、人生を振り返りながら、未来を夢見ながら、長寿を祈願しながら等々、それぞれの想いを抱きつつ階段を上がることができます。

2022.4.24掲載 鹿児島県 南九州市 大野嶽神社

 2021.4.23撮影
 鹿児島県 南九州市 大野嶽神社 大野嶽神社(おおのだけじんじゃ)は、大野岳の頂上近くにあります。草創年は不明ですが,1297年(永仁5年)以前に建立されたもので,古くから「大野岳権現社」と称されています。1907年(明治40年)頴娃町郡にあった天神宮と愛宕権現社が合肥され神仏混合の神社になっています。 同敷地内には,「えい茶顕彰碑」が建立されており(写真右下),春にはお茶農家が一斉に会した「新茶祭」も行われる地域とのつながりが深い神社だそうです。 境内に古井戸があり,石造りの鳥居脇には仁王像と狛犬が1対祀られています(写真右上)が,明治初期の廃仏毀釈の折に,仁王像の頭と腕を破壊されたままの状態で残っている歴史的にも価値の高い文化財になっています。 この神社には,多岐理昆賣命(たぎりひめのみこと)・熊野大隅命(くまのおおすみのみこと)・活津彦根命(かくつひこのみこと)を祭ってあります。

2022.4.17掲載 鹿児島県 霧島市 丸岡公園から見た霧島連峰

 2021.4.21撮影
 鹿児島県 霧島市 丸岡公園から見た霧島連峰 丸岡公園(まるおかこうえん)は、明治100周年記念事業の一環として霧島市横川町に建設された公園です。 園内には、一周1,000mのゴーカート場、多目的グラウンド、日本庭園、ローラースケート場などの施設のほか、宿泊、研修、合宿、会議などに利用できるコミュニティセンター、研修館、そしてバンガロー「こもれびの里」、お食事処「まるおか桜苑」などがあります。霧島連峰を一望できる眺望絶景の地にあり、県を代表する桜・つつじの名所として有名で、シーズン中には県内外から大勢の行楽客で賑わいます。
 霧島連峰(きりしまれんぽう)は、九州南部の宮崎県と鹿児島県県境付近に広がる火山群の総称であり、霧島山、霧島連山、霧島山地あるいは霧島火山群とも呼ばれています。最高峰の韓国岳(標高1,700 m)(写真左側に見える山)と、霊峰高千穂峰(標高1,574 m)(写真右側に見える山)の間や周辺に山々が連なって山塊を成しています。 有史以降も噴火を繰り返す活火山(気象庁の活火山ランク付けはB)であり、特に新燃岳(写真中央付近に見える山)と御鉢では活発な火山活動が続いています。火山噴火予知連絡会によって火山防災のために監視・観測体制の充実等の必要がある火山に選定されています。

2022.4.10掲載 鹿児島県 霧島市 丸尾滝

 2021.4.21撮影
 鹿児島県 霧島市 丸尾滝 丸尾滝(まるおのたき)は丸尾温泉から霧島神宮に向かう国道223号の道沿いにある高さ23m、幅16mの豪壮華麗な滝です。 近くの栄之尾温泉、硫黄谷温泉の温泉水を集めて流れる珍しい「湯の滝」で、秋は飛沫が紅葉に映え、冬には滝から湯けむりが立ち上り、この上なく美しい情景を見に訪れる人の波が途絶えることはありません。 四季折々さまざまな風景を楽しむことができ、山峡に豪快な音と飛沫を上げて落下する乳青色の滝は、その色だけでも独特の雰囲気を漂わせています。ライトアップされた夜は、飛沫が照明に反射してさらに幻想的な表情を見ることができます。

2022.4.3掲載 鹿児島県 霧島市 霧島神宮

 2021.4.21撮影
 鹿児島県 霧島市 霧島神宮 霧島神宮(きりしまじんぐう)は鹿児島県霧島市霧島田口にある神社です。閑寂な緑に包まれた参道を抜けると、格調高い朱塗りの荘厳な社殿があらわれます。 天孫降臨神話の主人公であるニニギノミコトを祀った霧島神宮は、創建が6世紀頃と伝わり、数少ない「神宮号」を名乗る神社です。 最初は霧島連山の高千穂峰と御鉢の間に建てられたとされますが、度重なる霧島山の噴火によって社殿の焼失と移転を繰り返してきたそうです。現在の社殿は江戸時代の1715年(正徳5年)に薩摩藩主島津吉貴が寄進してできたものです。傾斜を利用して建てられた社殿は内部のいたるところまで豪華な装飾がなされていて、建物が国宝や重要文化財に指定されています(※)。 霧島神宮に古くから伝わる9つの面である九面は、お金などの工面(くめん)に通じるとして独自の信仰があり、お守りや様々なグッズがあります。 周辺には紅葉スポットや、火山活動による美しい景観のある神水峡など、自然豊かな絶景を楽しめる場所もあり、都会を離れた神聖な空気を味わえる場所です。また、神木の杉は樹齢約800年と推定され、南九州の杉の祖先ともいわれています(写真右)。
※2022年(令和4年)2月9日(水)の官報告示により、「霧島神宮本殿(ほんでん)、幣殿(へいでん)、拝殿(はいでん)」が国宝に指定されました。また、「霧島神宮登廊下、勅使殿」は、重要文化財に指定されています。

2022.3.27掲載 鹿児島県 薩摩川内市 藤本滝

 2021.4.9撮影
 鹿児島県 薩摩川内市 藤本滝 藤本滝(ふじもとたき)は鹿児島県薩摩川内市樋脇町市比野、藤本地区にあり、その美しさから「薩摩華厳」と称されています。遊歩道が整備され、多くの人が訪れる場所となっています。薩摩川内市の「景観重要資産」第1号になっています(2009年(平成21年)指定)。落差26.2m、幅15m、滝つぼの深さが7mある2段の滝で、真夏でも周辺は涼しく、避暑に適した場所になっています。

2022.3.20掲載 鹿児島県 薩摩川内市 長野滝

 2021.4.9撮影
 鹿児島県 薩摩川内市 長野滝 長野滝(ながのたき)は鹿児島県薩摩川内市入来町にあり、苔の生す岩の切れ目から流れ落ちる落差13mの滝です。 岩の切れ目から激しく流れ落ちる滝は、滝の裏側からも眺められる“裏見の滝”で、神秘的な風景を味わうことができます。マイナスイオンたっぷりのパワースポットでもあります。 滝までの道も美しく、ムードを盛り上げてくれます。
※2018年(平成30年)の大河ドラマ“西郷どん”で西郷吉之助が島津斉彬の回復を祈願して滝行を行うシーンのロケ地(2017.11.3)になった場所です。

2022.3.13掲載 鹿児島県 薩摩川内市 国立天文台VERA入来観測局

 2021.4.9撮影
 鹿児島県 薩摩川内市 国立天文台VERA入来観測局 国立天文台VERA入来観測局(こくりつてんもんだいぶいいーあーるえーいりきかんそくきょく)は鹿児島県薩摩川内市入来町にある、鹿児島大学の入来牧場内に設置されています。国立天文台では鹿児島大学と連携し、鹿児島大学の研究者や学生にVERA入来局での観測や運用を担ってもらっているそうです。 また、入来牧場内には、鹿児島大学の1m光赤外線望遠鏡も設置されており、電波観測と光学観測をあわせた特色ある研究を進めているそうです。
 1999(平成11) 年、国立天文台は新たな宇宙観測プロジェクト「VERA」を開始しました。 VERA とは VLBI Exploration of Radio Astrometry の略で、日本語では「天文広域精測望遠鏡」の名称が与えられています。 基線長 2,000km の VLBI によって銀河系内の電波星の位置を極めて高い精度で測り、天体の三角測量をもとに銀河系の三次元地図を作成するプロジェクトです。 その観測能力を活かして、銀河系内のダークマターの分布等、銀河の謎を探る各種研究や、地球自転や地殻変動等の測定といった地球惑星科学方面での活躍も期待されています。 VERA プロジェクトのために開設された観測局のひとつが「国立天文台 VERA入来観測局」とのことです。

2022.3.6掲載 鹿児島県 肝属郡・肝付町 塚崎の大楠

 2021.4.6撮影
 鹿児島県 肝属郡・肝付町 塚崎の大楠 塚崎の大楠(つかざきのおおくす)は、鹿児島県肝属郡肝付町野崎に生育するクスノキの巨木です。塚崎古墳群1号墳(円墳)の上に生育し、肝付町役場によれば樹高25m、目通り幹周14m。推定の樹齢は1200年から1300年以上と伝わっています。幹や枝には、シダ植物のオオタニワタリを始めとしたさまざまな植物の着生が見られます。鹿児島県内では「蒲生のクス」(姶良市、国の特別天然記念物)「志布志の大クス」(志布志市、国の天然記念物)、川辺の大楠(南九州市、県指定天然記念物)に次ぐクスノキの巨木とされ、1940年(昭和15年)2月10日に史蹟名勝天然紀念物保存法(当時)に基づいて「古墳ノ上ニ生ジ目通幹圍約十二.九メートル樹勢旺盛樹上ニハおほたにわたり其ノ他多數ノ植物着生ス 樟ノ巨樹トシテ有數ノモノナリ」との理由で国の天然記念物に指定されました。近年になって樹勢の衰えが見られたため、樹勢回復の取り組みが行われているそうです。
 この付近は島津氏の始祖にあたる島津忠久が創建した大塚神社の境内地にあたり、神社の創建当時から神木とされていたと伝わっています。主幹には地上から3m付近に大きな穴があり、これは大枝が折れた痕跡だそうです(写真右上)。幹は中空になっていて、そこに大蛇が住み着いているという話や、戦乱が起こる前にその枝が折れて凶事を知らせるという言い伝えがあり、地元の人々から崇敬を受けているそうです。

 尚、塚崎古墳群は、肝付町役場本庁から東に約3Km進んだところに位置しています。この古墳群は、築造時期が4世紀後半から5世紀前半と推定され、前方後円墳5基、円墳39基の存在が確認されています。そのうち花牟礼古墳は、日本最南端の前方後円墳として知られています。塚崎古墳群は、1945年(昭和20年)2月22日に国の史跡に指定されています。

2022.2.27掲載 鹿児島県 薩摩川内市 藤川天神

 2021.3.23撮影
 鹿児島県 薩摩川内市 藤川天神 藤川天神(ふじかわてんじん)は、学問の神様として親しまれる菅原道真公をお祀りする「菅原神社」とも呼ばれています。道真公が太宰府に左遷され、さらに逃れて藤川北野の地に隠退、没したと言い伝えられています。 拝殿は1998年(平成10年)2月24日に新しく立て替えられたものです。 毎年、大晦日から三が日は大勢の初詣客で賑わい、大晦日0時から除夜祭が始まり、元旦祭、氏子初詣と続きます。 また、受験シーズンは合格を祈願する受験生や家族などで賑わいます。 境内には道真公がお手植えされた一株から繁茂したと言われる梅園が広がりその数は約150本。その内の50株は国の天然記念物に指定されています。(写真右)この梅の木は老木になると枝が四方に倒れ伏し,地面に接した所から再び根を出して新しい株となって,まるで地を這う竜のように見えることから「臥龍梅」の名がついたそうです。花は八重咲きで,毎年2月中旬から3月上旬に薄いピンク色の花を咲かせ甘い香りを漂わせ、観梅客の心をなごませます。
※「藤川天神の臥龍梅」として、1941年(昭和16年)10月3日に、国の天然記念物に指定されています。

2022.2.20掲載 鹿児島県 薩摩川内市 新田神社

 2021.3.23撮影
 鹿児島県 薩摩川内市 新田神社 新田神社(にったじんじゃ)は、神亀山(しんきさん:高さ70m)という亀の形をした小高い山の上にあります。 まつられている神様は天皇様のご先祖にあたるニニギノミコト様を中心として、ミコト様のご家族の神様、食物の神様、山の神様などたくさんの神様がおられます。かつて、薩摩国一の宮として呼ばれた風格を今でも残しています。 6月の御田植祭で奉納される棒踊り、奴踊りは県の無形民俗文化財に指定されています。 社殿に上る石段の途中には御神木のクス(写真右)など緑が茂り、緑陰をつくっています。
 古い言い伝えによりますと、『遠い神代の昔、高天原(たかまのはら)にた太陽の神様アマテラス大神様が孫にあたるニニギノミコト様に私たちの住んでいる地上の世界を治めるように命じました。ニニギノミコト様はたくさんの神様を連れ、今の鹿児島県・霧島の高千穂(たかちほ)峯におりました(天孫降臨(てんそんこうりん))。  続いて同じく今の鹿児島県・南さつま市にあたる笠狭宮(かささのみや)にうつり、山の神様の娘で大変美しいコノハナサクヤヒメ様と結婚し、その後、海路東シナ海を北上して川内の地に来ました。川内に着いたニニギノミコト様は、この地に立派な「千台(うてな)」すなわち高殿を築いて住みました。川内(せんだい)の名はこの「千台」からきています。 その後、ニニギノミコト様が亡くなった際、お墓がつくられました。これが今の「可愛山陵(えのみささぎ)」です。そしてそのニニギノミコト様を祭ったのが新田神社のはじまりといわれています。もともとは社殿がなくお山そのものが神社であったとも伝えられ、新田神社の「新田」という名前には、ニニギノミコト様が川内の地に川内川から水を引いて新しく田んぼを作られたという意味がこめられています。新田神社の名前が古文書ではじめてでてくるのは平安時代で、当時は「新田宮」と称していました。このころには薩摩国(さつまのくに)の守り神様として朝廷からも深い信仰をうけていました。』とのことです。

2022.2.13掲載 鹿児島県 鹿児島市 花尾隠れ念仏洞

 2021.3.23撮影
 鹿児島県 鹿児島市 花尾隠れ念仏洞 花尾隠れ念仏洞(はなおかくれねんぶつどう)は花尾山の裾伝いの道路から、山路を200m程上った杉木立の中の岩崖の天然の洞窟にあります。その洞窟の入口は1.4m程の高さがあります。内部は奥行きが約4m、横幅8mで、畳8畳敷程度の広さで、腰をかがめれば歩くことが化膿です。島津藩は浄土宗の信仰を厳しく禁じていたため、1876年(明治9年)に禁制を解かれるまでの約300年もの長い間、信者たちが隠れて念仏行に利用していました。
 実際は登り口に建つ石谷彦左衛門宅が会場だったそうです。夜が更けると、役人の目を盗みつつ村人が集まり、会場に念仏洞からご本尊と仏具が運び込まれて「南無阿弥陀仏」とお勤めが始まっていたようです。それでも1868年(明治初年)に発覚してしまい、多くの人が罰せられたそうです。

2022.2.6掲載 鹿児島県 鹿児島市 花尾神社

 2021.3.23撮影
 鹿児島県 鹿児島市 花尾神社 花尾神社(はなおじんじゃ)は島津氏の藩祖忠久が1218年(建保6年)源頼朝の尊像を花尾山の麓に安置したのが創建という伝統と歴史をもちます。島津忠久は、源頼朝の庶子と伝えられ、源頼朝の側室であった丹後局が生母とされています。うっそうとした森林に囲まれ、両側の苔むす老大木、緑と対照的な朱塗りの華麗な権現造の社殿は、別名「さつま日光」と呼ばれ、島津藩主の先祖である源頼朝公と、忠久公の母・丹後局が祀られています。 社殿の内壁や天井には、当時この付近に自生する草花など、400数種類の花絵で埋められ、昔のすぐれた絵画技術を鑑賞することができます。民間の尊崇も厚く、毎年秋分の日に催される大祭をはじめ安産や家内安全を祈願するため、市内外から多くの参拝者が訪れます。「郡山花尾神社の社叢林」は、2019年(平成31年)2月7日に市の天然記念物に指定されました。

2022.1.30掲載 鹿児島県 曽於郡大崎町 横瀬古墳

 2020.10.31撮影
 鹿児島県 曽於郡大崎町 横瀬古墳 横瀬古墳(よこせこふん)は古墳時代中期5世紀半ばに築かれたという全長129m、高さ15.4mの、埴輪を有する巨大な前方後円墳で、志布志湾の海岸線より約1Km入りこんだ標高約7mの水田の中にあります。鹿児島県内にある古墳では一番高く、大きさは2番目です。明治時代に盗掘された際には、直刀鎧勾玉類が出土したと言われており、その後の調査では周濠の存在も確認されています。これら数々の出土品は町中央公民館資料室に展示してあります。 また、墳丘や濠から畿内地方の土器が出土したことや、大型の畿内的古墳であることから、被葬者は中央政権から派遣された相当の権力者と推測されています。1943年(昭和18年)9月8日に国の史跡に指定されています。

2022.1.23掲載 鹿児島県 曽於郡大崎町 道の駅 くにの松原おおさき

 2020.10.31撮影
 鹿児島県 曽於郡大崎町 道の駅 くにの松原おおさき 道の駅 くにの松原おおさき(みちのえき くにのまつばらおおさき)は、鹿児島県の東南部、大隅半島の志布志湾沿いを走る国道220号線にある道の駅です。入口にはカブトムシのオブジェがあり(写真)、ひときわ目を引きます。近くにあるくにの松原は日南海岸国定公園内の大崎町に位置し、志布志湾岸に沿って延長約10km、幅10から100mに渡って数百万本ともいわれるクロマツが広がっています。 また「白砂青松百選」や「県森林浴の森70選」にも選定され、ウミガメの産卵地でもあります。 この自然豊かな場所には、くにの松原キャンプ場やレジャープール、芝生広場・遊歩道などもあります。 くにの松原キャンプ場では松林の中をセグウェイに乗ってめぐるガイドツアーも開催しています。 豊かな森林と海岸のお蔭で夏もとてもしのぎやすい良い環境です。ここに併設した「あすぱる大崎」にはレストラン、温泉、宿泊施設、物産館があり、隣接する「大崎ふれあいの里公園」と 共に利用者の多様なニーズに応える場所になっています。

2022.1.16掲載 鹿児島県 志布志市 松山城址

 2020.10.31撮影
 鹿児島県 志布志市 松山城址 松山城址(まつやまじょうし)は鹿児島県志布志市松山町の城山総合公園の一角にある松山城跡です。松山城は1188年(文治4年)平清盛の弟、頼盛の孫である重頼(しげより)が松山に来て築いた山城だとされています。城が築かれた後、4年経った1192年(建久3年)に源頼朝が鎌倉幕府を開いたがこのような時代に城を築いた重盛がいつ頃まで松山を治めたかは不明だそうです。その後、戦国時代になると島津氏や肝付氏などの勢力争いの戦乱に巻き込まれ何度か落城し、最終的には島津氏の直轄地となり、島津家の家臣が地頭となり松山を治めました。松山城は本丸、二の丸、五兵衛城(、八幡城の四つに分かれていますが、現在そのままの状態で残っているのは二の丸部分だけで松山城本丸址が運動公園の体育館です。松山城址の本丸、八幡城址を中心に14.8haの敷地が造成されてつくられた城山総合公園には、陸上競技場・体育館・テニスコート・児童広場・プール・多目的広場・自由広場等があります。松山城址展望所からの景観はすばらしく、天気の良い日、展望台からは霧島連山と桜島が一望できる景勝の地にあります。ただし、今回訪れた際には入り口が絞められており、展望所に上がることはできませんでした。地元では桜の名所として知られており、桜の季節には1000本近い桜が花を咲かせ、近郊からの花見客でにぎわうようです。

2022.1.9掲載 鹿児島県 姶良市 黒川岬

 2020.10.31撮影
 鹿児島県 姶良市 黒川岬 黒川岬(くろかわみさき)は錦江湾(鹿児島湾)の最も奥にある岬です。大小の奇岩が並び、前面には藍色の錦江湾が壮大に広がっています。その先に桜島が噴煙を上げ雄大にたたずむ美しい風景を望むことができます(写真上)。風情ある景色とは裏腹に、この付近では1549年(天文18年)6月に島津氏と肝付氏との間で激しい戦がありました。  加治木は、島津氏が統治する以前は肝付氏の領地で、本格的な三州統一に乗り出す島津氏は大隅攻略のため肝付氏とこの地で激突。島津家家臣の伊集院氏が陣を構え、肝付氏は川の向かい側に陣取り「黒川崎合戦」が繰り広げられました。実はこの合戦こそ、鉄砲が初めて戦闘で登場した場所であったといわれています。その戦の様子を『貴久公御譜』には「而日日飛羽箭、發鐵炮、經數月驚人之耳目」(連日矢が飛び交い、鉄砲を発したので、数か月人々の耳や目を驚かせた)と記されています。 時は経過し、合戦から約250年後の1801年(享和元年)、島津久徴は「黒川記」の中で錦江の由来が島津家久が詠んだ和歌「浪のおりかくる錦は磯山の梢にさらす花の色かな」にちなんでいると記しました。当初は日木山川河口の入り江が錦江とされていましたが、徐々に拡大して加治木前面の海、そして加治木自体を錦江の里と呼ぶ(詠う)人たちも現れたようです。大正時代になると新聞や教科書に鹿児島湾と併記して錦江湾と表記され、1955年(昭和30年)には厚生省が鹿児島湾を錦江湾国定公園として指定、今ではごく普通に鹿児島湾域を錦江湾と呼ぶようになっています。加治木八景のひとつでもある黒川岬。八景の名は風光明媚な近江八景になぞらえたものとされています。1962年(昭和37年)、本市加治木町出身の実業家・園田静夫氏が選定。町民や町議の賛同を得て各場所に石碑を建立しています。

2022.1.1掲載 鹿児島県 鹿児島市 自宅から見た2022年の初日の出

 2022.1.1撮影
 鹿児島県 鹿児島市 自宅から見た2022年の初日の出 令和4年元旦 自宅から見える初日の出を掲載しました。今年は青空が広がりきれいに見えていました。
 しかし、撮影した写真はもう一つでした。