お便りは
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〒891-0141 鹿児島県鹿児島市谷山中央
2025.4.18撮影
鹿児島県 鹿児島市 仙厳園駅 鹿児島県内では15年ぶりとなるJRの新しい駅である日豊本線の「仙巌園(せんがんえん)」駅が、今年(2025年)3月15日、鹿児島市に開業しました。「仙巌園」駅は、無人駅で、普通列車が1日に上りが31本、下りが26本のあわせて57本停車します。
ということで、この機会に仙厳園駅を訪れてみました。
ちょっと残念だったのは駅が仙厳園前にあるにもかかわらず、横断歩道が仙厳園前には直結していなかったことです。今後、改善されるのか、見ていきたいと思います。
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2025.4.4撮影
鹿児島県 鹿児島市 ライオンズ広場噴水 ライオンズ広場(らいおんずひろば)は1965年(昭和40年)に鹿児島のライオンズクラブの方々が作られた広場だそうで、
学校法人川島学園の鹿児島実業高等学校の創立地である西千石町番所小路にあります. 鹿児島実業中学館は、1915年(大正5年)に川島隼彦によってこの場所で創立されました。ライオンズ広場噴水は大きな通りの側にありますが、ここだけはちょっと静かな良い場所です。
ライオンの像の前に噴水のある池があり、噴水の水が池に流れ込んでいます。 ライオンの像は1978年(昭和53年)に建てられたそうです。
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2025.4.4撮影
鹿児島県 鹿児島市 春の木市 鹿児島の春の風物詩。庭園樹、緑化樹、花木苗、鉢花、観葉植物、盆栽、野菜苗などが販売されます。明治の中頃に始まった木市は、戦後館馬場を中心に毎年開かれるようになり、1955年(昭和30年)には庭園樹の他、鉢物や果樹苗木・金魚、小鳥など、種類も増え、出店数も150店を超えることもありました。
1958年(昭和33年)からは、春と秋の2回開催されるようになり1960年(昭和35年)には、木市の運営の円滑化と振興を図るため、鹿児島市木市振興会が結成されました。
さらに、1965年(昭和40年)春までに開かれていた館馬場(国道10号線沿い)での木市は、交通量の増加により、1965年(昭和40年)秋から、現在の市民広場で開催されるようになりました。
今では、鹿児島の春と秋の風物詩として、市民憩いの場として愛され、親しまれています。
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2025.4.4撮影
鹿児島県 鹿児島市 甲突川河畔の桜 鹿児島市の中心部を流れる甲突川は桜並木の遊歩道があり、下流からは桜島も望めます。春には約500本の桜が咲き誇り、22時までは夜桜のライトアップが行われています。
訪れた日はまだ5,6分咲き程度でしたが、週末前だったため、花見客が結構訪れていました。
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2025.3.28撮影
鹿児島県 鹿児島市 谷山臨海大橋 鹿児島市域の渋滞対策として鹿児島港を南北に結ぶ臨港道路が計画され、最初に完成したのが谷山臨海大橋(たにやまりんかいおおはし)です。1996年(平成8年)4月に完成しています。
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2025.3.13撮影
鹿児島県 鹿児島市 黎明みなと大橋 黎明みなと大橋(れいめいみなとおおはし)は鹿児島市の宇宿2丁目から東開町を結ぶ新ルートに架けられた大橋で、2014年(平成26年)に開通しました。同地区は近年、人工島「マリンポート鹿児島」や、リニューアルしたイオンモール鹿児島、オプシアミスミなどの郊外型商業施設が出店。それに伴い交通量が増加し渋滞が慢性化していました。道路を二分することにより、渋滞の緩和や港湾物流の効率化を目的として2008年(平成20年)に着工しています。名称は、県内外から寄せられた325点の応募の中から選ばれたそうです。「新時代の幕開けにふさわしい勇気と希望を与える大橋」「桜島から昇る朝日が見える大橋」であるという意味が込められているそうです。桜島や錦江湾の景観に配慮するため、橋板を支える橋げたの厚さを極力薄くする工法を採用。全体的にスリムに見えるように設計されています。当初は桁下高を4.5mで計画していたが、マストの高い小型船舶も湾内に収容できるように、桁下高を15mに修正したそうで、全長は501mです。
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2025.3.13撮影
鹿児島県 鹿児島市 マリンポート鹿児島 鹿児島港では,国際交流港湾として,アジア地域をはじめとする各国・地域と人・物・情報等が活発に行き交う拠点として必要な港湾施設の整備や,地域住民や観光客が楽しみ,憩う,快適で質の高いウォーターフロント空間の創出など,港湾機能の高度化・情報化を推進しており,賑わいの「みなと鹿児島」の創造を目指して,中央港区に「マリンポートかごしま」を整備しています。約半年ぶりに2隻が同時停泊していましたので、記念に撮影しました。今回は飛鳥Ⅱとセレブレティミレニアムが停泊していました。
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2024.3.27撮影
鹿児島県 指宿市 西南戦争戦没者招魂塚 指宿市にある西南戦争戦没者招魂塚(せいなんせんそうせんぼつしゃしょうこんづか)は山川から西南の役に出兵し戦死した人々の魂を鎮めるために建てられたそうです。石碑の側面には、死亡した人々の名前、死亡した場所、年齢等が刻まれています。「西南の役」が始まった時は、山川からも若い青年が、西郷さんに味方して多く参加したそうです。西南戦争の招魂塚は南九州市や都城市(宮崎県)にもいくつか建てられているようです。
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2024.3.15撮影
鹿児島県 指宿市 魚見岳から見た知林ヶ島 知林ヶ島は鹿児島湾(錦江湾)の入口付近に浮かぶ、湾内最大の島です。指宿市本土の田良浜の沖約800mに位置し、周囲約3km、面積約60ha、最高点約90mの無人島です。また島の北約320mのところに小島あるいは知林小島と呼ばれる面積約0.2haの小さな島があります。指宿カルデラの外輪山の一部とされています。地質としては約10.5万年前に形成された阿多火砕流からなる溶結凝灰岩の基盤の上にシラスが載っています。
3月から10月頃にかけて、干潮時に長さ約800mの砂州が出現し、大人の足であれば片道20分ほどで歩いて渡ることができる陸繋島(トンボロ)であります。
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2025.1.18撮影
鹿児島県 鹿児島市 石橋記念公園・西田橋 鹿児島市の中心を流れる甲突川には、江戸末期、肥後(現在の熊本県)の名石工「岩永三五郎」指導のもと建造された5つのアーチ石橋(玉江橋、新上橋、西田橋、高麗橋、武之橋)が架けられていました。なかでも「西田橋」は、城下の表玄関として豪華に建造され、あの「篤姫」もお輿入れの時渡ったといわれます。
約150年の間現役の橋として県民に親しまれてきましたが、1993年(平成5年)8月6日の集中豪雨により、2橋が流失してしまいました。残った「西田橋」など3橋を移設・復元し、併せて石橋の架橋技術や当時の歴史をわかりやすく伝える「石橋記念館」を整備したのが石橋記念公園です。
西田橋は1846年(弘化3年)に造られました。
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2025.1.18撮影
鹿児島県 鹿児島市 ドルフィンポート跡地・木下大サーカス ドルフィンポートは、かつて鹿児島県鹿児島市本港新町(鹿児島港内)の埋立地にあった複合商業施設でした。 2005年(平成17年)4月にオープンし、2020年(令和2年)3月に閉業しています。 ドルフィンポート跡地におけるイベントスペースを,2025年(令和7年)3月31日までの期間,イベント会場や駐車場などとして利用できることになっています。この場所で木下大サーカスが3月10日まで開催されていました。木下サーカスは「常に最高であり続ける誇り」…創業者の心を継承して創立122周年を迎えています。木下サーカスが伝統の中で磨きあげ、鍛えあげてきた名人芸と、世界一流の海外アーティストたちが競演するダイナミックなスペクタクル・ショー。興奮と感動に満ちた栄光1世紀をこえた122周年の記念ツアー、木下大サーカス7年ぶりの鹿児島での公演です。小生がこどもの頃は、多くの年、正月になると天文館公園で開催されていたと記憶していました。
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2025.2.2撮影
鹿児島県 鹿児島市 自宅から見たH3ロケット5号機の打ち上げ 日本の主力ロケット「H3」5号機が2日夕方、鹿児島県の種子島宇宙センターから打ち上げられました。日本版「GPS」と言われる準天頂衛星「みちびき6号機」を高度約400kmで予定の軌道に投入し、打ち上げは成功しました。H3ロケットは4回連続の成功となりました。 みちびき6号は、スマホなどの位置情報を測る人工衛星で、日本の上空に長くとどまるような準天頂軌道を持っています。現在は4機体制ですが、高精度なデータを得るには他国の衛星が必要でした。そこで他国に頼らなくてもいいよう、日本の衛星網だけで運用できる7機体制を2025年度中にめざしています。
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2025.1.30撮影
鹿児島県 鹿児島市 自宅から見えた冠雪した霧島連山 鹿児島県と宮崎県にまたがる霧島山は火山が形づくった美しい山々や多くのカルデラの池、ミヤマキリシマをはじめとする四季折々の花々たちが独特の景観を見せます。「日本百名山」にも選ばれており、多くの登山客で賑わいます。
この日は天気が良かったため、自宅から冠雪した霧島連山(左から韓国岳、新燃岳、高千穂の峰)が見えていました。「天孫降臨」伝説がある高千穂峰は全国的にも有名な霊峰で、頂上に「天の逆鉾」が突き刺さっています。また、高千穂峰の登山口には約770年前に霧島神宮があったという古宮址があります。
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2025.1.18撮影
鹿児島県 鹿児島市 イルカ水路(いおワールドかごしま水族館) イルカ水路(いるかすいろ)は、最も水族館に近い北エリア(新波止歩道橋~桜橋)、中央エリア(桜橋~一丁台場歩道橋)、南エリア(一丁台場歩道橋より南)の全長275m、面積7000㎡に渡る、錦江湾とつながった自然の海の一部です。かごしま水族館のイルカたちは、イルカ水路に出てきて、自由に泳いだり、トレーニングをしたり、遊んだり、水路の中にいる生きものを追いかけたり、いろいろなことをして水路での時間を過ごします。イルカ水路には、イルカ以外にも季節によって、シイラやマンボウなどを展示しているそうで、このイルカ水路は無料ゾーンになります。
訪れた時は青空イルカウォッチングの時間ではなかったため、イルカを見ることはできませんでした。
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2025.1.18撮影
鹿児島県 鹿児島市 北埠頭・練習用大型帆船「海王丸」 海技教育機構(本部・横浜市)の練習用大型帆船「海王丸」(2556トン)が1月14日、鹿児島市の鹿児島港本港区北埠頭に寄港しました。“海の貴婦人”と呼ばれる白い細身の船体が、18日午後2時まで停泊するということで急遽見学に行きました。鹿児島港への寄港は昨年11月以来でした。実習生64人を含む108人が乗っているということでした。出港時刻を事前に認識していなかったため、埠頭に到着したときにはすでに出港していました(写真右下)。
また、13日夜は日向灘を震源地とする地震がありましたが、鹿児島湾内にいたため、あまり揺れなかったそうです。
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2025.1.3撮影
鹿児島県 鹿児島市 慈眼寺公園・イタリア式水階段(カスケード) 慈眼寺公園(じげんじこうえん)は鹿児島市の指定文化財・慈眼寺跡周辺に広がる公園です。慈眼寺は飛鳥時代(約1400年前)に百済の名僧日羅によって開基されたと伝えられ、日羅がつくったとされる観音像が安置されていました。坊津の一乗院、志布志の宝満寺とともに薩摩の三ヶ寺と言われて有名でしたが、1869年(明治2年)の廃仏毀釈により取り壊されてしまいました。
公園内には清らかな渓流と豊かな緑が広がり、自然遊歩道が整備されています。イタリア式水階段(カスケード)は公園の後方の広場にあります。
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2025.1.3撮影
鹿児島県 鹿児島市 谷山神社 谷山神社(たにやまじんじゃ)は懐良親王を御祭神とし、地域の人たちの信望を集め、境内には凛とした空気がただよいます。
御祭神懐良親王は、1336年(延元元年)後醍醐天皇の命に依り鎮西統一のため征西将軍宮に任ぜられました。1342年(興国3年5月(阿蘇文書))、谷山城主谷山五郎隆信は親王を千々輪本城に迎えて本城より約20町(2200m)の高台に御所を建て、衷心よりこれを奉迎したそうです。此の地を今御所ヶ原と呼び、親王の石碑が立っています。1928年(昭和3年)谷山町民は、懐良親王の英霊を慰め奉り神徳を宣揚し道徳の涵養に努めようと当社を創建したそうです。
谷山神社は眼前に堂々とたたずむ桜島、左下にはJR指宿枕崎線のまっすぐに延びたレール、旧谷山市(現鹿児島市谷山地区)の市街地がワイドにひろがります。桜島方向から朝日が昇る頃には、より荘厳な雰囲気につつまれます。
当方の現居住地に近いため、今年も初詣を行いました。
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2025.1.1撮影
鹿児島県 鹿児島市 自宅から見た2025年の初日の出 令和7年元旦 自宅から見える初日の出を掲載しました。今年も青空が広がりきれいに見えていました。
しかし、撮影した写真は今年ももう一つでした。
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