目的の笠森寺観音堂を訪れる前に千葉県君津市久留里付近にある久留里城址を訪問しました。
久留里城は別名、雨城・霧降城・浦田城とも呼ばれ、室町時代に上総武田氏の武田信長によって築かれた山城(古久留里城)で、以降は信長の子孫である真里谷氏が支配、戦国時代には真里谷氏は衰え、代わって里見氏の拠る所となり、里見氏によって再構築され(新久留里城)、佐倉城と共に対北条氏の最前線を担ったそうです。その後、江戸時代には久留里藩の藩庁として再整備され、酒井氏の加増地となった17世紀末から18世紀半ばを除いて、近世城郭として明治維新まで維持されたようです。
今回は時間の関係で下記案内図の駐車場から天守閣までを往復し、山城とはどんなものかを味わってみました。
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久留里城址案内図(現地案内板より) |
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お玉が池 |
その先二の丸跡(久留里城址資料館)まではいくつか碑が建てられていました |
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二の丸跡に到着 |
二の丸跡近くから眼下の平地(三の丸跡)を望む |
眼下の三の丸跡の案内板 |
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里見北条古戦史の碑 |
雨城八幡神社 |
明治時代の井戸掘り櫓 |
明治時代の水道木管 |
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新井白石像 |
二の丸跡から天守閣跡へ |
男井戸女井戸 |
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復興天守閣から見た周囲の眺望 |
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天守閣への通路 |
復興天守閣から見た天守台 |
復興された模擬天守閣 |
帰りは舗装道を |
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駐車場近くにはムクゲの花が咲いていました |
※枠のある写真をクリックすると拡大表示します。