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〒891-0141 鹿児島県鹿児島市谷山中央

中's ギャラリーgallery 2019年夏~2020年掲載


 2018年秋以降に撮影した鹿児島の観光地の写真が中心です。

2020.12.27掲載 鹿児島県 指宿市 山川地熱発電所

 2019.10.10撮影
 鹿児島県 指宿市 山川地熱発電所 指宿市山川の伏目地区にある山川地熱発電所(やまかわちねつはつでんしょ)は、九州電力(株)が1995年(平成7年)3月に運転を開始したクリーンエネルギーとして注目される地熱発電です。この地熱発電所は、鹿児島県内第1号で、九州で3番目、全国では7番目に建設されたものです。地熱発電は、地下2,000mから2,500mの地点にある貯留層から高温の蒸気を取り出し、タービンを回転させて発電させる仕組みとなっています。 山川の地熱発電所は、出力3万kWで、約1万5,000世帯の家庭の電力を賄うことができるそうです。地熱発電所サービス館1階には、「山川発電所展示室」が設置されています。入場無料で館内には、電気を使用したさまざまな機械が置かれ、来館者が見たり触れたりして楽しめるようにしてあり、展示室のスタッフが発電所を案内してくれます。また、一角にはシアターも設けられ、地熱発電所の仕組みを楽しく映像で学ぶことができます。

2020.12.20掲載 鹿児島県 鹿児島市 自宅から見た夜空(月・木星・土星の饗宴)

 2020.12.17撮影
 鹿児島県 鹿児島市 自宅から見た夜空(月・木星・土星の饗宴) 2020年12月中旬から下旬にかけて、夕方の南西の空で木星と土星が大接近しているとのことでした。最接近する21日前後には月の見かけの直径よりも近づく「超大接近」となるそうです。 今回ほどの接近は約400年ぶりで、次回は約60年後という、非常にレアな現象だということで、天気の良かった17日夕方に撮影してみました。左下に見えるのが月で、右端中央に見えるのが木星、その上方に見えるのが土星です。
17日から25日ごろまでは間隔が0.5度未満となるそうです。0.5度は50~60cm先の5円玉の穴の見かけサイズくらいなので、この期間は腕を伸ばして持った5円玉の穴を通して木星と土星が両方とも見えるほどの「超」大接近だそうです。 最接近するのは21日、22日ごろで、間隔は約0.1度になるそうで、肉眼では1つの星にしか見えないかもしれないということです。どんなふうに見えるか(見えないか)、確かめてみようと思いますが、天気次第なのでどうなることでしょう。

2020.12.13掲載 鹿児島県 指宿市 花瀬望比公園

 2019.10.10撮影
 鹿児島県 指宿市 花瀬望比公園 花瀬望比公園(はなぜぼうひこうえん)は、鹿児島県指宿市開聞町. 開聞岳の西側,東シナ海の海岸沿いに面した花瀬海岸にある公園です。ここの海岸では、イソギンチャクが殻の中から5色の花を咲かせている群落があったことから花瀬の名称が生まれたといわれています。 この海岸の一部は,弥生時代の開聞岳噴火で流れ出た玄武岩質の溶岩流によってできた縄状玄武岩でおおわれています。 元々花瀬公園と呼ばれていましたが、開聞岳の西側の花瀬海岸沿いに比島(フィリピン)戦没者慰霊碑が建設され,死生の扉、想比之碑、安らぎの鐘、大鐘楼等が整備されたのを契機に、花瀬公園を花瀬望比公園と改称し、先の第二次世界大戦の戦没者の霊の鎮まる霊地として末永く英霊の安穏と次の世代に向けて世界各国の平和を発信する基地として発展することを祈念しているそうです。

2020.12.6掲載 宮崎県 串間市 都井岬

 2019.10.5撮影
 宮崎県 串間市 都井岬 都井岬(といのみさき・といみさき)は、宮崎県串間市大納に属し、志布志湾の東端かつ日向灘の南端にあり、太平洋に面する岬で、日南海岸国定公園の最南端に位置します。砂岩及び泥岩が互層となった山地が突出し、周囲は絶壁となっています。 野生の御崎馬が棲息することで知られ、「岬馬およびその繁殖地」として国の天然記念物に指定されています。この野生馬は江戸時代に高鍋藩が軍用馬飼育のため、放牧を始めたものが、後に半野生化したものだそうです。岬の東部に位置する都井岬灯台(写真左)は海抜255mに位置し、高さ15m、光達37海里、1929年(昭和4年)に点灯開始されたもので、一般公開もしている参観灯台です。日本の灯台50選にも選ばれています。灯台に立てば、270度の太平洋の展望が楽しめます。
 御崎神社(みさきじんじゃ)-縁結びと航海安全の神様(写真右) 都井岬の最先端に奉祀されている神社で、岬の南方に6kmあまり突出しています。北は原野が連なり、西南は大隈半島の佐多岬と相対しており、周辺はソテツの自生林があります。 ご祭神は 上津綿津見神(うわつわだつみのかみ) 中津綿津見神(なかつわだつみのかみ) 底津綿津見神(そこつわだつみのかみ)を祀っています。 社殿の創建は今から、約1300年前の708年(和銅1年)戊申6月と伝えられています。 1873(明治6年)5月都井神社に合祀されましたが、旧社殿への参拝が絶えなかった為、1880年(明治13年)2月13日鹿児島県庁より許可があり、旧社殿へ還座され現在に至っているそうです。

2020.11.29掲載 鹿児島県 鹿児島市 自宅から見たH-ⅡAロケット43号機の打ち上げ

 2020.11.29撮影
 鹿児島県 鹿児島市 自宅から見たH-ⅡAロケット43号機の打ち上げ 三菱重工業は2020年11月29日16時25分に南種子町の種子島宇宙センターから政府の情報収集衛星「データ中継衛星」を搭載したH-ⅡAロケット43号機を打ち上げました。同機には宇宙航空研究開発機構(JAXA)の光データ中継衛星も搭載しているそうです。約30分後に衛星を切り離したようです。いつものように自宅から打ち上げを見ていましたが、写真撮影はもう一つでした。
 ※昼間の撮影では、打ち上げ直後は見にくいため、なかなか見つけられず苦労しましたが、とりあえず軌跡を撮影することはできました。ただし、望遠で軌道を追うことができず2枚の写真だけになってしまいました。今回もホット情報として時系列を無視しました。

2020.11.22掲載 鹿児島県 志布志市 ダグリ岬から見た志布志港

 2019.10.5撮影
 鹿児島県 志布志市 ダグリ岬から見た志布志港 ダグリ岬は志布志市中心街より東へ約5kmの志布志湾を望む景勝地にあります。一帯は日南海岸国定公園に位置し、大隅唯一のダグリ岬遊園地やダグリ岬海水浴場のレジャー施設があります。岬の最も高い所には、国民宿舎「ボルベリアダグリ」があり、岬の突端にむけて、遊歩道があり、突端の展望台からは志布志湾を一望に見渡すことができます。ダグリ岬の頂点は飯盛山と呼び、山上古墳があった場所でもあります。古墳は全長約80m、高さ4.5mの古式の前方後円墳で、県内では大崎町の横瀬古墳、東串良町の大塚古墳に次ぐ大きさを誇る古墳です。ダグリ岬一帯は夏井といわれ、藩政時代は隣の秋月藩と薩摩藩の国境で、関所がおかれていたそうです。関所は「夏井番所」といわれ、取り調べが厳しく、馬の積み荷もいったんここで薩摩側の馬に繰りかえて領土内にいれたということでこの「荷駄(にだ)操り」が「ダグリ」とよばれるようになった地名の由来だといわれています。海岸の近くにある番所跡地や六部瀬(ろくぶせ)地蔵はその歴史を物語っているそうです。
 ※訪れた1年前にさんふらわ号で大阪港から志布志港に到着したため、志布志港に停泊していたさんふらわ号を中心に写真を撮影していました。

2020.11.15掲載 鹿児島県 伊佐市 曽木の滝

 2020.11.11撮影
 鹿児島県 伊佐市 曽木の滝 今年は紅葉が早いとのことで、晴天が続いた11月第2週に鹿児島の紅葉スポットの一つである曽木の滝を訪れました。見頃時期にはまだ早かったようですが、結構色づいており、観光客も平日の割には多くいました。普段の行いが悪いのか、この日に限って雲が多めで、空の青さと木々の緑と紅葉全てを納めることはできませんでした。曽木の滝については2020年5月31日に掲載していましたので、そちらをご覧ください。
 訪問した翌日にNHKの夜7時台のニュース・全国の天気で紅葉情報として曽木の滝が紹介されていたので、時系列を無視して掲載しました。

2020.11.8掲載 鹿児島県 薩摩川内市 入来麓武家屋敷群

 2019.9.26撮影
 鹿児島県 薩摩川内市 入来麓武家屋敷群 入来は、もともと鎌倉時代に地頭職であった関東の渋谷氏がこの地に入り「入来院」と名乗って支配した荘園だそうです。薩摩藩は領地を外城と呼ばれる113の行政区画に分けて、武士団を鹿児島市内の本城に集結させず、領地内に分散して統治し、その統治の中心を麓と呼んでいました。 入来麓は薩摩藩麓の一つで中世の名残を残す町並みとしてよく保存されていることから、2003年(平成15年)12月に鹿児島県では知覧武家屋敷群、出水麓武家屋敷群に次いで国(文化庁)の重要伝統的建造物群保存地区(武家町)に選定されています。 現在の入来麓武家屋敷(いりきふもとぶけやしきぐん)の町並みは中世から江戸期にかけて出来たもので、特徴は樋脇川の石を使用した玉石垣とその石垣の上に植えられた茶やイヌマキなどの生垣(写真左)です。 入来のほぼ中央部に位置する麓地区は、四隣に威を振った薩摩藩随一の堅城(山城)である清色城を中心に川原石を使った玉石垣による整然とした区画割、武家屋敷門(茅葺門)(写真右下)、大手門前の濠や広馬場、下門口を備えたお仮屋跡など多くの史跡・文化財が残っています。 近世になって整備された街路と地割が旧態をとどめ、屋敷割りもよく残っていて歴史的価値が高いとされているようです。 また現在はほとんどの屋敷跡に民家があり生活感もあります。 立派な長屋門などは残っていませんが、門から敷地をのぞくと玄関までの折れ曲がったアプローチや古木、石倉など当時の面影がしのばれます。
 尚、1929年(昭和4年)アメリカのエール大学の教授朝河貫一氏により入来院家に伝わる「入来院家文書」が翻訳され、『入来文書』として刊行されたことによって有名になったそうです。

2020.11.1掲載 鹿児島県 薩摩川内市 藺牟田池

 2019.9.26撮影
 鹿児島県 薩摩川内市 藺牟田池 藺牟田池(いむたいけ)は、鹿児島県薩摩川内市祁答院町藺牟田にある直径約1km、最深約3.5mの火山湖です。7つの外輪山(舟見岳(標高498.8m)、山王岳(491m)、片城山(508.8m)、遠見ヶ城(477m)、飯盛山(432m、藺牟田富士とも呼ばれる)などの山々)に囲まれた静かな池で、多様な動植物種が生息する貴重な自然環境が残っています。周囲約4kmの湖畔には梅や桜などの並木があり春は花見、秋は紅葉と楽しむことができます。 池には「浮島」と呼ばれる泥炭が300近くあり、低層湿原でこれだけ見れるのは極めて珍しいことから 1921年(大正10年)3月3日に「藺牟田池の泥炭形成植物群落」の名称で国の天然記念物に指定されています。そして希少野生動植物種であるベッコウトンボや水鳥の生息する重要な湿地として2005年(平成17年)11月8日付でラムサール条約指定湿地に登録されています。 湖畔には生態系保存資料施設「アクアイム」もあり教育面での利用も多いそうです。その他ボートやレンタサイクルもあり、幅広いお客様が楽しむことができるようです。周囲を外輪山に囲まれているため、流入する大きな川はありません。池水は池の東端から流出し後川内川、樋脇川を経て川内川に至っています。湖沼形成サイクルの晩期に相当し、堆積物によって埋まりつつある状態だそうです。池の色はウーレ水色標準14番を呈し茶褐色に濁っています。水質はpH6.8の酸性を示し、有機物を多く含んでいるそうです。 水面の北西側約3分の1は湿原になっており(写真左上)、泥炭の堆積物で形成された浮島が点在しています(写真右)。泥炭の浮島を形成する湿原は寒冷地に多く見られますが温暖な地域に存在する例は少なく、石炭の生成過程を知る資料としても貴重であるとのことです。この浮島の形成にはネビキグサ、ヨシやフトイなどが主に関与しているそうで、これらの種が浮島や泥炭を形成しうることを示す点でも重要なものとされています。

2020.10.25掲載 鹿児島県 肝属郡 南大隅町 諏訪神社

 2019.8.8撮影
 鹿児島県 肝属郡 南大隅町 諏訪神社 諏訪神社(すわじんじゃ)は、1495年(明応4年)に信州の諏訪神社より分霊を勧請奉斎し、小根占郷(現在の大隅町大根占)の総社として建立された神社です。 上宮に建御名方命(タケミナカタノミコト)、下宮に事代主命(コトシロヌシノミコト)を祀ります。 その特徴は、2基の鳥居が並び建つ、全国的にも珍しい「並立鳥居」です。 殿の構造や二基の並列鳥居が珍しい神社です。 対になっている鳥居が縁結びにご利益があると言われているようで、近年カップルに人気が高まっている神社とのことです。また、 左の鳥居から入って、右の鳥居から出る習わしもあるようです。なぜ鳥居が並んで建っているのかは諸説あるそうですが、諏訪湖を挟んで上社と下社に分かれる諏訪大社の上社と下社を並び建てたからと言われているようです。 1991年(平成3年)の台風により左側の鳥居の一部が欠け、また右側の鳥居も倒壊寸前だったため、1994年(平成6年)に建て替えられていますが、その景観はとても珍しく、印象的です。

2020.10.18掲載 鹿児島県 鹿屋市 輝北うわば公園から見た桜島

 2019.7.31撮影
 鹿児島県 鹿屋市 輝北うわば公園から見た桜島 輝北うわば公園(きほくうわばこうえん)は大隅半島の北部に位置する鹿屋市輝北町市成の標高550mの高台にあり、鹿児島湾に浮かぶ桜島、霧島連山、太平洋、高隈山など360°の大パノラマが眺められます。周辺には牧場や風車もあり異国情緒の漂う場所です。 また、環境庁主催の星空継続観測(スターウォッチングネットワーク)では、過去7回 日本一星空がきれいに見えるところという結果が報告されています(*)。 壮大な星空、雄大なロケーションを楽しめる輝北うわば公園には、このほかアスレチックやバンガローなど各施設も充実しています。
 ここから見える桜島は普段撮影している桜島を反対側(裏側)から見たものになり、写真の右が北東側になり、写真の左の南西側で大隅半島とつながっていることを見て取れます。また、南岳や昭和火口から噴火した場合は山頂の左側から噴煙が上がることになります。
(*)1995年に記念として輝北天球館が公園内に造られています。

2020.10.11掲載 鹿児島県 鹿屋市 高隈ダム

 2019.7.31撮影
 鹿児島県 鹿屋市 高隈ダム 高隈ダム(たかくまダム)は鹿児島県鹿屋市下高隈町古園、一級河川・肝属川水系串良川に建設されたダムです。 かんがいを目的に農林水産省九州農政局が管理する農林水産省直轄ダムで、堤高47.0mの重力式コンクリートダムで、大隅半島では最大規模のダムであります。長年不毛の大地であった笠野原台地へ農業用水を供給する「国営笠野原農業水利事業」の根幹施設として建設されました。ダムによってできた人造湖は旧国名である大隅国より大隅湖(おおすみこ)と呼ばれています。鹿屋市市街地の北東部に広がる笠野原はシラス台地と呼ばれる保水力の小さい火山灰土壌の高台であり、川は深い谷を穿っているため農業用水や生活用水を得ることが困難な土地でありました。このため地域によっては80m以上の深さの井戸を掘り、牛の力を借りて水を得る有様でした。このような状況を改善するために1947年(昭和22年)頃からダム建設の検討が行われ、1959年(昭和34年)に着工、1967年(昭和42年)3月に完成しました。ダムの建設に伴い約200戸の住民が移転を余儀なくされています。灌漑面積は4,807ha(笠野原自体は6,000ha)におよぶそうです。

2020.10.4掲載 鹿児島県 鹿屋市 輝北天球館

 2019.7.31撮影
 鹿児島県 鹿屋市 輝北天球館 輝北天球館(きほくてんきゅうかん)は、鹿児島県鹿屋市輝北町市成の輝北うわば公園内に位置する鹿屋市立の天体観測を核とするコミュニティー施設です。鹿屋市に合併する前の旧輝北町が、環境庁(当時)の星空継続観察で四季連続日本一となったことを記念して、1995年(平成7年)8月10日にオープンさせました。館の名前は千葉県の男性が応募したものが選ばれているそうです。 当初は町の外郭団体である輝北上場きほく上場公園管理公社が運営していましたが、2000年8月1日に財団法人輝北上場公園まちづくり公社へ移管しています。開館した1995年度は半年で約2万9,000人が来館したそうですが、1999年度には約1万1,000人にまで減少しているようです。「もうけ」を追求する施設ではなく、教育文化施設としての存在意義が求められている状況にありますが、現在もなお国内外から大きな関心を集め、多大な影響を各分野に与え続けているそうです。
 鉄筋コンクリート四階建て延べ床面積430mの建物に、鹿児島県で最大の65センチカセグレン式反射望遠鏡を備えています(写真左上)。館自体が標高約550mの高地に設置されています。鹿児島市在住の建築家、高崎正治が設計したもので、ラグビーボールのような形をした空間が脇へ飛び出した特徴的な外観をしています。高崎はこの館の設計が決め手となって、1996年度の日本建築家協会新人賞を受賞しています。

2020.9.27掲載 鹿児島県 阿久根市・長島町 黒之瀬戸

 2019.6.13撮影
 鹿児島県 阿久根市・長島町 黒之瀬戸 黒之瀬戸(くろのせと)は、鹿児島県長島町と阿久根市の間にあり、八代海と東シナ海を繋ぐ海峡です。黒之瀬戸は幅500m、長さ4Km程と狭いため、大変流れが速く干潮時には大渦(渦潮)が発生します。古来より、薩摩の隼人の瀬戸として広く知られており、長田王が歌ったとされる「隼人の薩摩の迫門を雲ゐなす遠くも我はけふみつるかも」が万葉集に掲載されています。1946年(昭和21年)に黒之浜と東町瀬戸の間に県営フェリーが就航しましたが、1974年(昭和49年)に有料道路として黒之瀬戸大橋(写真の橋)が架けられ、それに伴い県営フェリーは廃止されました。黒之瀬戸大橋は1990年(平成2年)に建設費用回収完了に伴い無料開放されています。
 渦潮が観られる急潮として名高く、潮の流れは最大流速が8ノットにもなるそうです。橋の上からの雄大な自然のパノラマは、インスタ栄えするスポットで思わず感動してしまいます。また、大物釣りのメッカとしても知られています。大渦は、「うずしお展望所」から、大潮の時にのみ観ることができます。
 訪れた時は時間が遅かったためはっきりとした渦を見ることはできませんでした。

2020.9.20掲載 鹿児島県 鹿児島市 寺山公園から見た桜島

 2019.6.6撮影
 鹿児島県 鹿児島市 寺山公園から見た桜島 寺山公園(てらやまこうえん)は鹿児島市北部にある吉野台地の中でもっとも高いところにある公園です。寺山という名が示すとおり、前回紹介した世界遺産・寺山炭窯跡も車で数分の位置にあります。公園といっても散策路と展望台で成り立っている場所ですが、展望台からは見事なパノラマがひろがります。朝日が射す頃、時間がとまったような昼時、夕日に映える頃、さらに星が降る夜景もすばらしく、絶景に感動を覚えます。展望台は錦江湾に突き出た約400mの高台にあるため桜島や姶良カルデラ(錦江湾奥部)を観察できるビュースポットとして、桜島の麓にある家並みや、北西部に広がる火山麓扇状地の様子までよくわかります。 また、鹿児島市街地や霧島連山、天候が良ければ開聞岳まで望める場所でもあります。 夜には、姶良市、霧島市など錦江湾奥の町や鹿児島市街地の夜景も楽しむことができます。 空から見下ろすかのような目線で、火山が作った鹿児島の地形を楽しむことができます。
 桜島も北側から見下ろす形になり、鹿児島市街地から見るのとは異なった雰囲気で楽しむことができます。

2020.9.13掲載 鹿児島県 鹿児島市 寺山炭窯跡

 2019.6.6撮影
 鹿児島県 鹿児島市 寺山炭窯跡 寺山炭窯跡(てらやますみがまあと、英:Terayama Charcoal Kiln)は、鹿児島県鹿児島市吉野町にある、集成館事業の反射炉・高炉・蒸気機関などの燃料として用いる白炭(火力の強い木炭)を製造するために造られた石積み窯の跡です。 1858年(安政5年)に、薩摩藩主島津斉彬の命によって薩摩国鹿児島郡鹿児島近在吉野村寺山(現在の鹿児島市吉野町寺山地区)に設置されました。2013年(平成25年)に国の史跡に指定(史跡「旧集成館」の附(つけたり)としての指定)され、2015年(平成27年)、第39回世界遺産委員会において、「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の構成資産の一つとして旧集成館、関吉の疎水溝とともに、世界文化遺産に登録されました。
 石炭が産出されない薩摩では、堅木を焼成して木炭を作る必要がありました。そこで集成館に近く白炭に適した木材が多い場所ということで寺山に造られたと言われています。ここで焼かれた白炭は火持ちが良く、高温を発し、重宝されたそうです。寺山には3基炭窯が築かれていましたが、そのうちの1基が現存していました。しかし、2019年(令和元年)6月28日~7月5日にかけての大雨で土砂崩れがあり、現在は見学できなくなっています。
 ※この時期(2019.6.6)に訪れなければ見学できないところでした。

2020.9.6掲載 鹿児島県 鹿児島市 関吉の疎水溝

 2019.6.6撮影
 鹿児島県 鹿児島市 寺山炭窯跡 関吉の疎水溝(せきよしのそすいこう、英:Sekiyoshi Sluice Gate of Yoshino Leat)は、鹿児島県鹿児島市下田町にある用水路です。1852年(嘉永6年)に築かれ、薩摩藩第28代当主島津斉彬によって行われた集成館事業の動力源として利用されました。 2015年(平成27年)7月に行われた第39回世界遺産委員会において、「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の構成資産の一つとして世界文化遺産に登録されています。鹿児島市川上町において、稲荷川から溶結凝灰岩上に水路を引き、磯(仙厳園)まで約8㎞、北東から南西へ緩やかな傾斜を描いて続いています。取水口の海抜高度は132mであるのに対して、尚古集成館付近では124mであり、8m程の高度差しかありません。この緩やかな傾斜角度は、当時の高度な技術を示すものです。1857年(安政4年)に佐賀藩の千住大之助らによって作成された「薩州見取絵図」にも溶鉱炉に水を引いた水路や筧が記されています。

2020.8.30掲載 鹿児島県 南さつま市 亀ヶ丘

 2019.5.31撮影
 鹿児島県 南さつま市 亀ヶ丘 亀ヶ丘(かめがおか)は山頂が亀の形に見える標高387mの山です。山頂には展望所・休憩所・トイレが整備され、北には日本三大砂丘の一つ吹上浜(写真左下)、西には坊津のリアス式海岸(写真右、左上)という対照的な美しい景観を一望できます。さらに、薩摩半島にそびえる金峰山をはじめ、天気の良い日は磯間嶽の向こうに開聞岳まで壮大な景色が望めます。開聞岳横から望む初日・東シナ海に沈む夕日はとても美しく人の心を和ませてくれます。緑のジュウタンの広がる牧場では牛が草を食み、菜の花・コスモス園・九州自然歩道も整備されハイキングには絶好の地と言われています。また、パラグライダーの発進基地があり、気象条件のよい日には色とりどりの機体が大空に舞い上がるそうです。(県推奨森林浴の森70選:野鳥・植物観察コース)

2020.8.23掲載 鹿児島県 南さつま市 007撮影記念碑・鑑真記念館

 2019.5.31撮影
 鹿児島県 南さつま市 南さつま市 007撮影記念碑・鑑真記念館 鑑真記念館(がんじんきねんかん:写真右)はわが国律宗の始祖になった唐の高僧・鑑真和上が日本上陸の第一歩を印した南さつま市・秋目に建設されています。諸宗の奥義を極めた当代随一の高僧・鑑真は、聖武天皇の招きにより日本に渡航しようとしました。ところが当時の渡来は困難を極め、海上暴風や密航の差し止めなどのため失敗は5回にも及び、また疫病によって失明するという悲運にも遭っています。それらの困難にも挫けることなく、ついに753年(天平勝宝5年)、この地に上陸を果たし、わが国に仏教の戒律や薬学の知識などを伝えました。その鑑真の偉大な功績を讃え、1992年(平成4年)に記念館が建立され、鑑真像の複製のほか渡航の模様とその生涯が展示品やジオラマで詳しく紹介されています。
 記念館の近くに007撮影記念碑が立っています(写真左下)。1967年(昭和42年)に公開された、「007は二度死ぬ(You Only Live Twice)」は日本が舞台となり、ここ秋目にも、ショーン・コネリーをはじめ、丹波哲郎や浜美枝などそうそうたるメンバーが撮影のため訪れたそうです。 当時と変わらない風景の残る秋目は、007マニアにとってまさに聖地だそうです。地元の方々の尽力で、「『007は二度死ぬ』はここ秋目で撮影された」という英文証明とサインをプロデューサーのアルバート・R・ブロッコリ氏から、そして主演のショーン・コネリー氏、丹波哲郎氏からのサインが刻まれた記念碑を、1990年(平成2年)に建立したそうです。
 尚、写真左上の島は沖秋目島(別名:枇榔島)で、007の撮影が行われた無人島です。

2020.8.16掲載 鹿児島県 南さつま市 竹田神社・いにしへの道

 2019.5.31撮影
 鹿児島県 南さつま市 竹田神社・いにしへの道 竹田神社(たけだじんじゃ)は鹿児島県南さつま市にある神社です。現在は「たけだじんじゃ」と読みますが、神社創建当初は「たかたじんじゃ」と読んでいたそうです。戦国時代に活躍した島津氏中興の祖「島津忠良(日新公)」を祭る神社です。竹田神社の起源は室町時代の保泉寺にはじまり、日新公の菩提寺となってからは日新寺となりました。薩摩藩十大寺の一つとされ、江戸時代には島津歴代藩主が任期中、必ずこの寺を参拝していたそうです。1869年(明治2年)廃仏毀釈により廃寺となりましたが、1873年(明治6年)その跡地に竹田神社が建立されました。
  境内には、木もれ日が美しいイヌマキの並木道「いにしへの道」(写真左)があり、薩摩藩の郷中教育の道徳の基礎となった「日新公いろは歌」の四十七石碑が並びます。石畳には、8つのハート型の石が見られます。 奥には、日新公とその三男の島津尚久公の墓所があります。 毎年7月23日には「竹田神社夏祭り」が行われ、「水車からくり」「稚児おどり」「二才おどり」の郷土芸能は、鹿児島県指定民俗文化財となっています。

2020.8.9掲載 鹿児島県 霧島市 嘉例川駅

 2019.5.23撮影
 鹿児島県 霧島市 嘉例川駅 嘉例川駅(かれいがわえき)は、鹿児島県霧島市隼人町嘉例川にある、九州旅客鉄道(JR九州)肥薩線の駅です。駅舎は県内最古で登録有形文化財であり、所有者である地元自治体の管理下にあります。全国でも珍しい特急が停まる無人駅です。2003年(平成15年)に開駅100周年祝賀会を元駅員らが企画しJR九州に具申しましたが、小さな無人駅ゆえに相手にされなかったため、自力で賛同者を集め、祝賀会当日に1,300人を集客しました。この実績から、2004年(平成16年)3月13日開業の九州新幹線の経済的な波及効果を高めるために運転される特急列車「はやとの風」の停車が決まり、積極的なPRが始まったそうです。「はやとの風」は当駅に約5分間停車するため、停車時間内に駅舎の見学や記念撮影などが可能です。祝賀会後、旧隼人町が駅舎を買い取り、物販やコンサート開催など活用されるようになりました。また、当時の地元の隼人町では築100年を迎えた駅舎を貴重な文化財であるとして、2003年度一般会計補正予算に計上した予算18万1000円でJR九州から購入して、合わせて周辺の整備を進めました。
 また、 JR九州主催の「九州の駅弁ランキング」で3年連続1位に輝いた「百年の旅物語かれい川」も人気(土日祝日に駅舎内で販売)です。

2020.8.2掲載 鹿児島県 曽於市 溝ノ口洞穴

 2019.5.23撮影
 鹿児島県 曽於市 溝ノ口洞穴 溝ノ口洞穴(みぞのくちどうけつ)は、都城市と接する山間部にあり、入口の横幅14.6m、高さ6.4m、全長209.5mもの大規模な洞窟です(平成29年度地形測量調査)。 約33万年前、加久藤カルデラから噴出した加久藤火砕流堆積物が浸食されて形成された谷地形を埋めるように、約29,000年前に姶良カルデラから噴出した入戸火砕流(シラス)が厚く堆積してできたものです。 洞穴内では、入戸火砕流堆積物が熱と圧密により、硬い溶結凝灰岩へ変化した様子(側方変化)がよく観察できるそうです。また、浸食と崩落を繰り返しながら洞穴が形成され、絶妙なバランスを保ち、幻想的な雰囲気が作り出されたパワースポットとなっています。 溝ノ口洞穴は昔から地元の人々により大切に守られ、お釈迦様の誕生日(4月8日)に近い日曜日には、岩穴祭りが催され、奴踊りと、棒踊り又は刀踊りが奉納されています。
 溝ノ口洞穴は、溶結凝灰岩洞として最長であることや、自然が保持され形成過程がよく観察できる等の理由で、2013年(平成25年)8月に日本百名洞の一つに選出されています。

2020.7.26掲載 宮崎県 都城市 関之尾の滝

 2019.5.23撮影
 宮崎県 都城市 関之尾の滝 関之尾の滝(せきのおのたき)は、宮崎県都城市関之尾町にある滝で、日本の滝百選の一つです。母智丘・関之尾県立自然公園に属する。大淀川支流の庄内川にかかる滝で、大滝、男滝、女滝の3つからなり、幅約40m、落差18mの大滝(写真左)はおよそ33-34万年前の加久藤カルデラから噴出した加久藤火砕流堆積物の溶結凝灰岩を侵食してできたものだそうです。滝は溶結凝灰岩の柱状節理に添って流下しているそうです。 男滝は北前用水路の余水吐き、女滝は取水口で明治時代に岩を掘ってつくられたものだそうです。滝の上流600m、幅80mに及ぶ川床には数千個の甌穴群(おうけつぐん)があり、関之尾の甌穴(せきのおのおうけつ)(写真右上)と呼ばれ、世界有数の規模といわれています。1928年(昭和3年)2月18日には国の天然記念物に指定されています。一般的な甌穴は岩の上部にまばらに穴が開いている(独立状タイプ)が多いが、関之尾の甌穴は大きく成長した穴同士が連結した「連鎖状タイプ」、浅い溝状の「浅い「とい」状タイプ」、溶結凝灰岩の摂理に添って浸食された「深い溝状タイプ」も多くみられるとのことです。
 つり橋の下にはハート状に見える岩(写真右下)もありました。

2020.7.19掲載 東京都 千代田区 東京駅

 2019.5.12撮影
 東京都 千代田区 東京駅 東京駅(とうきょうえき)は、東京都千代田区丸の内一丁目にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)・東海旅客鉄道(JR東海)・東京地下鉄(東京メトロ)の駅です。東京の表玄関とも言うべきターミナル駅で、特に東海道新幹線と東北新幹線の起点となっており、全国の新幹線網における最大の拠点となっています。また、東海道本線や東北本線など主要幹線の起点駅でもあります。乗り換えをすることなく33都道府県とつながっており、1日当たりの列車発着本数は約3000本という日本を代表するターミナル駅の一つであります。プラットホームの数は日本一多く、在来線が地上5面10線と地下4面8線の合計9面18線、新幹線が地上5面10線、地下鉄は地下1面2線を有しており、面積は約46,800m²です。赤レンガ造りの丸の内口駅舎は辰野金吾らが設計したもので、1914年に竣工、2003年に国の重要文化財に指定されています。2000年(平成12年)、丸の内駅舎を創建当初の姿に復原する方針がまとめられ2007年(平成19年)5月30日に起工され、2012年(平成24年)10月1日に完成しています。

2020.7.12掲載 東京都 千代田区 二重橋

 2019.5.12撮影
 東京都 千代田区 二重橋 二重橋(にじゅうばし)は、東京都千代田区千代田の皇居内にある橋の通称です。正確には皇居正門から長和殿へ向かう途上、二重橋濠に架かる鉄橋のことで、本来の名称は正門鉄橋(せいもんてつばし)だそうです。ただし正門鉄橋と正門石橋の二つの総称としても用いられています。 正門には皇宮警察の皇宮護衛官の儀仗隊がおり、通常一般人は二重橋を渡ることはできません。ただし、事前に手続きをして皇居の参観をする場合は、鉄橋を渡ることができるそうです。また、新年や天皇誕生日の皇居一般参賀時には正門が開放され渡ることができるようです。
 「二重橋」とは正しくは写真の正門鉄橋の呼称である]ため、「手前の石橋と奥の鉄橋が同じ濠に2つ重なって架かる橋だから二重橋」(重架しているように見える)というのは正確な解釈ではありませんが、戦前の書籍にも二重橋に正門石橋の写真を用いるものが多く、一般には正門外石橋と正門内鉄橋の二つを併せて二重橋とする総称が用いられ、「宮城正門の二橋、一は石を畳み、二は鐵をもって造る…」と親しまれてきたそうです。また同様に、皇居前広場を二重橋前広場とも言いいます。 そもそも二重橋という名称は正式なものではなく、一般に用いられてきた通称に過ぎません。宮内庁や環境省等においては「二重橋」は正門鉄橋のことを指すとしながらも、「2つの橋の総称としても用いられる」と説明をしているそうです。

2020.7.5掲載 神奈川県 横須賀市 戦艦「三笠」

 2019.5.11撮影
 神奈川県 横須賀市 戦艦「三笠」 戦艦「三笠(みかさ)」は、大日本帝国海軍の戦艦です。 神奈川県横須賀市にて現存、公開されており、世界の三大記念艦の一つとされています。戦艦「三笠(みかさ)」は、敷島型戦艦の四番艦(同型艦は「敷島」「初瀬」「朝日」)で、イギリスのヴィッカース社で建造され、1902年(明治35年)3月に竣工しています。奈良県にある三笠山(春日山)にちなんで命名されており、船籍港は京都府舞鶴市の舞鶴港です。1904年(明治37年)からの日露戦争では連合艦隊旗艦を務め、連合艦隊司令長官の東郷平八郎大将らが座乗し、1905年(明治38年)5月末、連合艦隊旗艦として日本海海戦を戦っています。大正時代は北方警備に従事していました(シベリア出兵)。ワシントン海軍軍縮条約により除籍され、横須賀で記念艦となっていました]。現在は防衛省が所管し、神奈川県横須賀市の三笠公園に記念艦として保存され、現在に至っています。
1905年(明治38年)の日本海海戦において、ロシアは遠くヨーロッパのバルト海から大艦隊(バルチック艦隊)を派遣しましたが、1905年(明治38年)5月27日、東郷平八郎司令長官(とうごうへいはちろうしれいちょうかん)率いる連合艦隊が、これを対馬沖に迎え撃ち、大海戦(日本海海戦)を行っています。「三笠」は連合艦隊の旗艦として、つねに先頭に立って勇敢に戦い、歴史上例を見ない圧倒的な勝利に大きく貢献したそうです。 この大勝利により戦争終結の議論がなされ、同年9月にアメリカ大統領の仲介で、ポーツマスにおいて日露講和条約が結ばれています。

2020.6.28掲載 神奈川県 横須賀市 横須賀港

 2019.5.11撮影
 神奈川県 横須賀市 横須賀港 横須賀港(よこすかこう)は、神奈川県横須賀市に所在し、東京湾に面する港湾です。港湾管理者は横須賀市。港湾法上の重要港湾、港則法上の特定港に指定されています。また、周辺地区は都市景観100選に選定されています。東京湾の入り口にあたる港として、幕末には黒船が浦賀沖に来航、ペリーが久里浜に上陸するなど、古くから江戸・東京の玄関口となってきた場所です。明治以降は大日本帝国海軍の横須賀鎮守府が置かれ、軍港として整備、発展しています。現在も海上自衛隊の横須賀基地(自衛艦隊司令部・横須賀地方総監部など)があり、アメリカ海軍第7艦隊が横須賀基地(横須賀海軍施設)を置くなど、軍港としての側面を持っています。なお、両基地の近海は一般船舶の乗り入れが禁止されています。
 友人らの呼び出しを受け、半年ぶりに上京した際、横須賀港の軍港めぐりに参加したので撮影しました。写真中央にはアメリカ海軍の航空母艦「ロナルド・レーガン」が停泊していました。艦名は第40代アメリカ合衆国大統領ロナルド・レーガンに因んでいます。存命中の人名がつけられた3番目の空母だそうです。アメリカの空母で唯一海外を母港としているそうです。

2020.6.21掲載 鹿児島県 南九州市 清水岩屋公園

 2019.5.7撮影
 鹿児島県 南九州市 清水岩屋公園 清水岩屋公園(きよみずいわやこうえん)は、鹿児島県南九州市にある市営公園で、岩屋公園(いわやこうえん)とも呼ばれています。 公園の水は清水篠井手用水の水源として疏水百選に選定されているほか、公園前の万之瀬川下流には、1985年(昭和60年)名水百選に選ばれた「清水の湧水(きよみずのゆうすい)」があり、 「心やすらぐ清水の里」として水の郷百選にも選定されています。公園は「清水磨崖仏」(写真)を中心として設置されており、公園の前には二級河川万之瀬川が流れ、 池の畔には金閣寺を模して川辺仏壇の技術を利用して作られた「桜の屋形」、研修施設「清流の杜」、キャンプ場やプールがあります。 春は桜、夏は天然の川を利用した流水プールやウォータースライダー、秋は万の瀬川沿いに並ぶ紅葉と、四季折々の魅力があります。

2020.6.14掲載 鹿児島県 南さつま市 坊津

 2019.5.7撮影
 鹿児島県 南さつま市 坊津 坊津(ぼうのつ)は、薩摩国川辺郡坊津(現在の鹿児島県南さつま市坊津町坊)の地名であり、日本の古代に栄えた港名です。古代から薩摩藩政の中盤頃(1700年代前半:享保年間)の長期に渡って、海上交通上の要地であったそうです。遣唐使船の寄港地としての他、倭寇や遣明船、薩摩藩の密貿易の拠点として栄え、中国明代の文書『武備志』では主要港として、安濃津・博多津と共に日本三津(さんしん)に挙げられています。日本での仏教黎明期の538年に百済に仕えていた日本人の日羅が、龍厳寺(後の一乗院)を建てています。龍厳寺一乗院の坊舎があるなど仏教と密接な地であったため、「坊津」と呼ばれるようになったと考えられています(津は船着場や港の意味)。 飛鳥時代から遣唐使船の寄港地となり、「唐(から)の港」「入唐道(にっとうどう)」とも呼ばれるようになったそうです。
一幅の絵のような絶景を望む坊津の海岸、中でも坊浦の双剣石一帯は国の名勝に指定されています(写真右:左の写真の中央に見える峰ヶ先の裏側に位置します)。坊浦の入江に穏やかな波間に対峙するようにそそり立つ鋭く尖った二つの岩が双剣石です。 雌雄があり、大小の剣を立てた姿に似ていることからその名がつけられたと云われています。

2020.6.7掲載 鹿児島県 枕崎市 火の神公園

 2019.5.7撮影
 鹿児島県 枕崎市 火の神公園 火の神公園(ひのかみこうえん)は枕崎市の南端の岬にある、広さ約8000mの公園です。薩摩半島屈指の景観を誇り、沖には、漁業繁栄の守り神とされている標高42mの「立神岩」(写真)がそびえ立っています。園内にはキャンプ場をはじめ、夏期限定の流水プールがある他、磯遊びや貝拾い、釣りが楽しめる海岸もあり、夏は多くの人でにぎわうようです。元旦には、天候に恵まれると東シナ海上に開聞岳のシルエットを際立たせながら昇る初日の出を拝むことができ、初日の出に合わせて火之神太鼓の初打ち会も開催されます。 また、古事記や日本書紀に登場する「海幸彦と山幸彦」にゆかりのある地としても有名です。火の神公園南側には平和祈念展望台があります。この展望台は戦艦大和の沈没地点から北側約200kmに位置する小高い丘に,戦艦大和の沈没50周年にあたる1995年(平成7年)4月に建立されました。 太平洋戦争で散華された多くの英霊の殉難鎮魂之碑と,世界の恒久平和を願うシンボルの女神像が安置されており、眼下には、壮大な東シナ海が広がり、沈没地点が水平線上に望めます。

2020.5.31掲載 鹿児島県 伊佐市 曽木の滝

 2019.5.4撮影
 鹿児島県 伊佐市 曽木の滝 曽木の滝(そぎのたき)は鹿児島県伊佐市南部の川内川上流にある滝で、「曾木の滝」とも書かれます。滝幅210m、高さ12mの壮大なスケールを誇り、「東洋のナイアガラ」とも呼ばれています。 千畳岩の岩肌を削るように流れ落ちる水流とその轟音は、訪れる人々を釘付けにするほどです。一帯は自然公園となっており、四季の彩りも美しく桜や紅葉の季節には、イベントも開催されます。 公園内の清水神社は縁結びと安産の神様が祭られています。この付近は、江戸時代に水運による米の輸送を行っており、その水路を開くために大規模な川浚えを行った歴史があり、当時の川浚え唄は今でも伝えられているそうです。 下流には、レンガ造りの曽木水力発電所跡(2020.5.17掲載済)がダム湖に残り、夏季には中世のお城を思わせる風貌で水面に姿をあらわします。
新時代の景観を選ぶ「平成百景」にも選ばれているようです。

2020.5.24掲載 鹿児島県 鹿児島市 自宅から見たH-ⅡBロケット「こうのとり」9号機の打ち上げ

 2020.5.21撮影
 鹿児島県 鹿児島市 自宅から見たH-ⅡBロケット「こうのとり」9号機の打ち上げ 5月21日2時31分0秒、宇宙ステーション補給機「こうのとり」9号機(HTV9)を搭載したH-IIBロケット9号機が、鹿児島県の種子島宇宙センターから打ち上げられました。打ち上げから約15分7秒後、「こうのとり」9号機はロケットから正常に分離され、打ち上げは成功しました。その後、「こうのとり」9号機は通信と姿勢も正常であることが確認され、国際宇宙ステーション(ISS)へ向けて順調に飛行しているそうです。 2009年から運用が始まった「こうのとり」は、今回の9号機で運用終了となりました。最後を飾る打ち上げでしたが、コロナ禍の影響で種子島では打ち上げを見るための観客席が閉鎖され、打ち上げを間近で見、祝うことはできなかったようです。この間、全ての打ち上げに成功し、ISSへの物資補給の任務を担ってきました。「こうのとり」は大型の装置や物資を輸送可能な唯一の補給船であり、ISSへの接近、結合時にランデブー&キャプチャー方式を成功させた初めての補給船という技術的達成も果たしました。 「こうのとり」の後継として現在、新型宇宙ステーション補給機「HTV-X」が開発中とだそうです。打ち上げロケットもH-IIBから「H3」へ代替わりし、来年度にはH3による技術実証機「HTV-X1」の打ち上げが予定されているそうです。
 今回も深夜の打ち上げでしたが、天気もまずまずで、自宅からもロケットの光をとらえることができました。

2020.5.17掲載 鹿児島県 伊佐市 曽木発電所遺構

 2019.5.4撮影
 鹿児島県 伊佐市 曽木発電所遺構 曽木発電所遺構(そぎはつでんしょいこう)は鹿児島県伊佐市大口の川内川沿いにある発電所跡です。曽木の滝の1.5km程下流に造られた曽木発電所は、1909年(明治42年)に竣工し、その出力は当時国内でも最大級のものだったそうです。創設者は野口遵で、牛尾大口金山に電力を供給するために1906年(明治39年)に曽木の滝の水力を利用する電気事業を起こしました。 当時としては大規模な6,700Kw(最大出力)の電力を作りだし、余剰電力を使い水俣ではカーバイト生産を開始。後に、戦前における日本最大の化学会社へと発展したことから、この発電所は日本化学工場発祥の地といわれています。1965年(昭和40年)に鶴田ダムの完成と同時に水没してしまいましたが、現在では、渇水期の5月から9月に、中世ヨーロッパの居城跡を思わせる煉瓦造りの建物が姿を現します。

2020.5.10掲載 鹿児島県 薩摩郡さつま町 鶴田ダム

 2019.5.4撮影
 鹿児島県 薩摩郡さつま町 鶴田ダム 鶴田ダム(つるだダム)は九州南部を流れる一級河川・川内川本流中流部に建設されたダムです。 国土交通省九州地方整備局が管理する国土交通省直轄ダムで、高さ117.5mの重力式コンクリートダムになっています。 完成している国土交通省直轄ダムとして、また重力式コンクリートダムとして九州最大の規模を誇っています。 川内川の治水と水力発電を目的とした特定多目的ダムでありますが、2006年(平成18年)7月に発生した平成18年7月豪雨(鹿児島県北部豪雨)による川内川の水害を機に、 洪水調節容量を現在の1.3倍に拡張するダム再開発事業が現在行われています。ダムによって形成された人造湖は大鶴湖(おおつるこ)と命名されていますが、 総貯水容量としては宮崎県の一ツ瀬ダム(一ツ瀬川)に次ぐ大規模な人造湖であり、2005年(平成17年)には財団法人ダム水源地環境整備センターが選定するダム湖百選に選ばれています。

2020.5.3掲載 鹿児島県 南さつま市 県立吹上浜海浜公園から見た吹上浜

 2019.5.3撮影
 鹿児島県 南さつま市 県立吹上浜海浜公園から見た吹上浜 吹上浜(ふきあげはま)は、鹿児島県西部のいちき串木野市・日置市・南さつま市にかけての砂丘海岸です。日本三大砂丘のひとつになっていますし、日本の渚百選にも選定されています。薩摩半島西岸に位置し東シナ海に面し、長さ約47kmの砂丘は日本一の長さです。吹上浜一帯は、1953年(昭和29年)に県立自然公園に指定されています。南部に吹上浜海浜公園(ふきあげはまかいひんこうえん)があり、1987年(昭和62年)からほぼ毎年「吹上浜砂の祭典」が開催されています※。吹上浜海浜公園は、鹿児島県立の都市公園(広域公園)になっています。
 写真は公園端から吹上浜南部方面を撮影したもので、背後には薩摩半島西端にある野間崎や野間岳を望めます。
 ※2020年は新型コロナウィルスのため中止が決定したようです。

2020.4.26掲載 鹿児島県 鹿児島市 石橋記念公園

 2019.4.28撮影
 鹿児島県 鹿児島市 石橋記念公園 石橋記念公園(いしばしきねんこうえん)は、鹿児島市浜町にある都市公園です。江戸時代後期、島津重豪の命により市内を流れる甲突川(こうつきがわ)にかけられた5つの石橋のうち3つを移設した公園とその博物館から成り立っています。 1993年(平成5年)8月6日、鹿児島県の集中豪雨(8・6水害)による洪水のため、現存していた玉江橋(たまえばし)、新上橋(しんかんばし)、西田橋(にしだばし)、高麗橋(こうらいばし)、武之橋(たけのはし)の「五石橋」と呼ばれる石橋群の内、「武之橋」と「新上橋」が流失し、他の三橋も甚大な被害を受けました。 この後、橋を洪水のない場所に移築するか、原状回復するかで大問題となったが、結局、残った三橋は別の場所に移築することとなり、2000年(平成12年)に石橋記念公園として開園したものです。

2020.4.19掲載 鹿児島県 鹿児島市 多賀山公園

 2019.4.28撮影
 鹿児島県 鹿児島市 多賀山公園 多賀山公園(たがやまこうえん)は磯街道沿いにあり、桜島フェリーターミナルからも車で5分程の場所にあります。多賀山公園には、無敵のバルチック艦隊を破った東郷平八郎元帥の銅像があります(写真左)。日露戦争の際に、「皇国の興廃この一戦にあり。各員一層奮励努力せよ」と発し、ロシアのバルチック艦隊を殲滅したことで知られる海軍大将です。1934年(昭和9年)に没し、国葬で多磨霊園に葬られましたが、郷土で起きた薩英戦争の激戦地を見下ろすこの地に遺髪が埋葬されています(写真右)。 また、あまり知られていませんが、鹿児島に海外の軍艦が寄港した折には、海軍服の艦長や乗務員らが訪れる場所にもなっているそうです。元帥と相対して桜島がそびえ、その間の錦江湾は船の出入りでにぎわい、海際に水族館やドルフィンポートなどの施設が並びます。園内には東福寺城跡など史跡も多く、散策を楽しむことができす。
 なお、銅像の前面を写真下に掲載しましたが、貼り付け場所の関係で実際のものとは左右を逆にしています。

2020.4.12掲載 鹿児島県 いちき串木野市 観音ヶ池市民の森

 2020.4.10撮影
 鹿児島県 いちき串木野市 観音ヶ池市民の森 観音ヶ池市民の森(かんのんがいけしみんのもり)はいちき串木野市にある県推奨の「森林浴の森」70選のひとつで,千本桜,つつじ,あじさいなど四季を通じて憩いの場となっています,特に,桜は見頃の時期(例年3月下旬から4月上旬頃)になると,植えられた1,000本以上のソメイヨシノなどの花が,様々に咲き乱れる景色はとても見事で、鹿児島県内では桜の名所として1,2位を争う場所です。訪れた時は満開を過ぎていましたが、まだまだ、きれいに咲き誇っていました。
 今年は新型コロナウィルスの影響で、イベント等は中止になっていたようですが、そこそこの人々が思い思いに桜を楽しんでいました。 
 ※季節ものでしたので、時系列を無視して掲載しました。

2020.4.5掲載 鹿児島県 指宿市 長崎鼻から見た開聞岳

 2019.4.18撮影
 鹿児島県 指宿市 長崎鼻から見た開聞岳 開聞岳(かいもんだけ)は、鹿児島県の薩摩半島の南端に位置する標高924mの火山です。1964年(昭和39年)3月16日に、霧島屋久国立公園に指定されています 。また、日本百名山、新日本百名山及び九州百名山に選定されています。山麓の北東半分は陸地に、南西半分は海に面しており、見事な円錐形の山容から別名「薩摩富士」とも呼ばれています。片道約5kmのゆるやかならせん状の登山道は,老若男女を問わず親しみやすく、約3時間程度で頂上を極めることができます。頂上から望む大パノラマは圧巻で、霧島,屋久島,鹿児島の観光名所を一度に味わうことができます。

2020.3.29掲載 鹿児島県 指宿市 長崎鼻

 2019.4.18撮影
 鹿児島県 指宿市 長崎鼻 長崎鼻(ながさきばな)は、鹿児島県南部、鹿児島県指宿市山川岡児ケ水(旧山川町)に位置する薩摩半島の最南端に突き出た岬です。指宿カルデラの外輪山の一角を成しており、一帯は火山岩にて形成されています。浦島太郎が竜宮へ旅立った岬と言い伝えられ「竜宮鼻」の別名を持ち、乙姫様を祀った龍宮神社もあります。またその名にふさわしく、夏はウミガメの産卵地にもなります。霧島錦江湾国立公園に指定されているこの地は、白い灯台と波しぶき、青い海と空、秀峰「開聞岳」とはるか海上にうかぶ屋久島や三島の島影、さらに大隅半島南端の佐多岬さえ望める、まさに風光明媚な風景を誇り、南国の旅情をかき立ててくれます。ぜひ一度は立ち寄りたい薩摩半島最南端の岬です。
 また、この白い灯台(薩摩長崎鼻灯台)は日本ロマンチスト協会が展開している「恋する灯台プロジェクト」において、「恋する灯台」にも認定されています。

2020.3.22掲載 鹿児島県 指宿市 魚見岳から見た知林ヶ島

 2019.4.15撮影
 鹿児島県 指宿市 魚見岳から見た知林ヶ島 知林ヶ島(ちりんがしま)は、鹿児島県指宿市西方にある島です。島に松が茂っており、付近を夜間に航行する船乗りが、風が松を揺らして立てる音を頼りに航海したことから知林ヶ島と呼ばれるようになったそうです。また、鹿児島湾(錦江湾)の入口付近に浮かぶ、湾内で最大の島です。指宿市本土の田良浜の沖約800mに位置し、周囲約3km、面積約60ha、最高点約90mの無人島で、指宿カルデラの外輪山の一部とされています。 3月から10月頃にかけて、干潮時に長さ約800mの砂州が出現し、大人の足であれば片道20分ほどで歩いて渡ることができます。砂州の出現時間は最大4時間ほどです。
(知林ヶ島はこちらで一度紹介しています。)
 魚見岳はかつて漁師が、その山頂から錦江湾の魚群を見つけて漁に出たといわれることから「魚見岳」の名がつけられたといわれ、ハワイのダイヤモンドヘッドそっくりの、岩肌荒々しい標高215mの山で、指宿が「東洋のハワイ」と呼ばれるゆえんのひとつでもあります。山頂まで車で行くことができ、春には約600本ものソメイヨシノが咲く桜の名所で、その眺望の良さは抜群です。指宿市街地をはじめ知林ヶ島や3月~10月の大潮・中潮の干潮時に出現する砂州、晴天時には開聞岳、遠くは桜島まで眺望できます。 夜景の美しさも抜群で、夜になると地元のカップルが多く見受けられるそうです。

2020.3.15掲載 鹿児島県 鹿児島市 平川動物公園(コアラ館)

 2019.3.31撮影
 鹿児島県 鹿児島市 平川動物公園(コアラ館) 鹿児島平川動物公園(かごしましひらかわどうぶつこうえん)は、鹿児島県鹿児島市平川町にある動物園で、遊園地が併設されています。園内に入ると、桜島、錦江湾を背景にマサイキリンなどがいるアフリカ園、フライングケージやリスの森などがあり、無柵放養式展示の施設が多くなっています。 園内から見える桜島をタンザニア、キリマンジャロに見立てて1972年(昭和47年)開園しています。 1984年(昭和59年)には、多摩動物公園、東山動物園とともに日本で初めてクイーンズランドコアラが来園、また、1997年(平成9年)5月には、コアラ6世が誕生し話題になったそうです。 園では、特別天然記念物のアマミノクロウサギやルリカケス・ナベヅル・エラブオオコウモリなどの郷土特有の動物の繁殖にも成功しているそうです。 2009年度から2015年度まで7年計画で総額約43億円を投じ、生態観察展示にリニューアルを行い、この改修により、集客が増加に転じ、2011年度は63万人となったそうです。( 総面積:314,000m2 飼育動物数:140種1,000頭)
 1972年開園後、一度だけ訪れたことがありましたが、コアラが来る前でしたので、こちらもも無料で入場できる券を利用し、訪れてみました。

2020.3.8掲載 鹿児島県 鹿児島市 西郷南洲顕彰館(南洲墓地・南洲神社)

 2019.3.30撮影 (撮影日が間違っていたため訂正しました)
 鹿児島県 鹿児島市 西郷南洲顕彰館(南洲墓地・南洲神社) 西郷南洲顕彰館(さいごうなんしゅうけんしょうかん)(写真左下)は鹿児島県鹿児島市上竜尾町にある資料館で、西郷隆盛没後100年を記念して建立され、1978年(昭和 53年 )7月に開館、西郷隆盛を中心に大久保利通や明治維新について展示しています。南洲公園内の南洲墓地・南洲神社の西隣に建っています。
 南洲墓地は西南戦争で戦死した2000人以上が埋葬されており、1955年(昭和30年)1月に県の史跡に指定され、敷地の一角には勝海舟が亡友、隆盛を悼んで詠んだ歌の碑もあります。当初、西郷隆盛以下40名が葬られていましたが、その後、県外で戦死した薩軍の遺骨も集めて2023名の墓地として整備されました。整備に伴いお墓参りする人が増加したため、1880年(明治13年)東隣に参拝所が設けられました(写真右下)。参拝所は1922年(大正11年)に南洲神社として認定され、現在に至っています。
 鹿児島市に転入した際、西郷南洲顕彰館も無料で入場できる券をもらっていたので、有効期限が切れる前に訪れてみました。

2020.3.1掲載 鹿児島県 鹿児島市 いおワールドかごしま水族館

 2019.3.28撮影
 鹿児島県 鹿児島市 いおワールドかごしま水族館 いおワールドかごしま水族館(いおワールド かごしますいぞくかん)は、鹿児島県鹿児島市本港新町にある鹿児島市立の水族館です市の条例による正式名称はかごしま水族館)。水族館のコンセプトは「黒潮浪漫街道」。「いおワールド」は愛称で、公募の結果、採用されたものです。 1997年5月30日に開館した水族館で、黒潮に洗われる鹿児島沿岸・鹿児島湾の海生生物をメインに展示していますが、汽水域や河川の生物も多く取り扱っているようです。名物はジンベエザメ(ユウユウ)とサツマハオリムシ。館名の「いお」とは鹿児島弁で魚のことです。外観はエイをイメージしたものだそうです。 かごしま水族館は、日本国内で初めてカラチョウザメの餌付け、サツマハオリムシの展示に成功した水族館です。 2011年10月、入館者数が1000万人に到達しています。
 鹿児島市に転入した際、無料で入場できる券をもらっていたので、有効期限が切れる前に訪れてみました。

2020.2.23掲載 鹿児島県 鹿児島市 維新ふるさと館

 2019.3.28撮影
 鹿児島県 鹿児島市 維新ふるさと館 維新ふるさと館(いしんふるさとかん)は、鹿児島市加治屋町にある資料館です。主に明治維新を中心に薩摩藩や日本の歴史についての展示を行っています。 維新ふるさと館が立地する「加治屋町」は、明治維新から日露戦争までの期間に活躍した薩摩藩関係者の多くが加治屋町の出身者であったことから、歴史小説家の司馬遼太郎に「いわば、明治維新から日露戦争までを、一町内でやったようなものである」と評されています。代表的な出身者に維新の三傑と称されている西郷隆盛・大久保利通、日露戦争において日本を勝利に導き、「陸の大山、海の東郷」と称された東郷平八郎・大山巌、第16・22代内閣総理大臣である山本権兵衛等がいます。また、維新ふるさと館の近隣にはこれらの出身者の誕生地の碑が多く設置されています。
 訪れたのが、NHKの大河ドラマ「西郷どん」の放送終了後でしたので、関連する物も展示されていました。

2020.2.16掲載 鹿児島県 鹿児島市/南九州市 千貫平自然公園から見た開聞岳

 2019.3.20撮影
 鹿児島県 鹿児島市/南九州市 千貫平自然公園から見た開聞岳 千貫平自然公園(せんがんびらしぜんこうえん)は指宿スカイライン沿いの標高577mの尾巡山を中心とした高原に整備された自然公園です。北は錦江湾に浮かぶ桜島、その奥はるかに霧島連峰、西は野間岳をはじめとする薩南山地の山並み、南東には開聞岳、大野岳、池田湖、さらに遠く洋上には硫黄島、竹島を望むことができます。また、春のツツジをはじめ様々な潅木が群生しており、さわやかな高原の散策も楽しむことができます。
 開聞岳(かいもんだけ)は、鹿児島県の薩摩半島の南端に位置する標高924mの火山で、指宿市に属しています。1964年(昭和39年)3月16日に、霧島屋久国立公園に指定されてます 。日本百名山、新日本百名山及び九州百名山に選定されています。山麓の北東半分は陸地に、南西半分は海に面しており、見事な円錐形の山容から別名「薩摩富士」とも呼ばれています。
 春先でしたが、少し遅い時間だったためか、訪れる人もほとんどなく、静かに一時を過ごすことができました。

2020.2.9掲載 鹿児島県 鹿児島市 桜島 赤水展望広場「叫びの像」

 2018.12.22撮影
 鹿児島県 鹿児島市 桜島 赤水展望広場「叫びの像」 赤水展望広場は2009年に整備された新しい広場で、雄大な桜島や園内に残る大正溶岩、眼下に広がる錦江湾など、桜島らしい景観が楽しめる広場です。2004年に鹿児島出身の歌手長渕剛さんがオールナイトコンサートを開催した場所で、コンサートの跡地に記念として造られた「叫びの像」を中心に赤水展望広場として観光客が楽しめるように整備されたものです。巨大な桜島溶岩で制作された記念モニュメント「叫びの肖像」は桜島に向け雄たけびを上げており、迫力ある像の前での記念撮影をする人が多いようです。
 東京から遊びに来た友人を桜島に案内する際に立ち寄った場所のひとつでした。

2020.2.2掲載 鹿児島県 鹿児島市 桜島 黒神埋没鳥居/林芙美子記念碑(古里公園)

 2018.12.22撮影
 鹿児島県 鹿児島市 桜島 黒神埋没鳥居/林芙美子記念碑(古里公園) 黒神埋没鳥居:1914年(大正3年)の大噴火で噴出した大量の火山灰・軽石は、上空8000m以上まで上昇し、火山灰は遠くカムチャッカ半島まで飛んでいったといわれています。 黒神地区にあった「腹五社神社」の鳥居は、大正噴火後たった1日のうちに軽石や火山灰に埋め尽くされました。 もともと高さ3mあったという鳥居ですが、今は笠木部分の約1mを地上に見せるのみです。 噴火後、住民は神社の神聖な鳥居を掘り起こそうとしましたが、当時の村長・野添八百蔵氏の「後世に噴火の記憶を残そう」との英断により、噴火直後の姿がそのまま現在に残されています。 これからも大噴火のすさまじさを後世に伝え続けていくことと思います。
 林芙美子記念碑(古里公園):小説「放浪記」「浮雲」などで知られる女流作家・林芙美子の母親は桜島の古里町で暮らしたことがあり、 芙美子も幼いころの一時期を鹿児島で過ごしたといわれており、記念碑がこの地に建てられています。 「花のいのちは短くて、苦しきことのみ多かりき」 芙美子がとても好きだったこの言葉が碑に刻まれています。 毅然とした芙美子の姿と、母親に想いをはせているかのような幼少期の銅像から、 波乱の生涯であった女流作家・林芙美子を偲ぶことができます。
 東京から遊びに来た友人を桜島に案内する際に立ち寄った場所のひとつでした。

2020.1.26掲載 鹿児島県 鹿児島市 桜島 湯乃平展望所から見た錦江湾と鹿児島市街

 2018.12.22撮影
 鹿児島県 鹿児島市 桜島 湯乃平展望所から見た錦江湾と鹿児島市街 湯乃平展望所は桜島の北岳4合目、標高373mと最も高い所にある展望所で、登山が禁止されている桜島の中では、最も間近で山頂を仰ぎ見ることができる場所です。ここから仰ぎ見る南岳の山容や噴煙を上げるさまは圧巻です。眼下には波静かな錦江湾と鹿児島市街地、南は開聞岳まで一望できる島内一の景勝地です。360度のパノラマが見る人を飽きさせません。錦江湾越しに見る鹿児島市の夜景は、距離が離れているので、帯状に広がって見えるのが特徴です。
 東京から遊びに来た友人を桜島に案内する際に立ち寄った場所のひとつでした。

2020.1.19掲載 鹿児島県 鹿児島市 桜島フェリー乗り場

 2018.12.22撮影
 鹿児島県 鹿児島市 桜島フェリー乗り場 桜島フェリー(さくらじまフェリー)は、鹿児島市本港新町にある鹿児島港(桜島フェリーターミナル)と同市桜島横山町にある桜島港との間を結ぶ公営のフェリーで、国道224号の海上区間になっています。かつては桜島町が運営していましたが、2004年に桜島町が鹿児島市に編入されたのに伴い鹿児島市が運営することとなりました。 1914年(大正3年)、桜島の大噴火によって桜島住民は大きな被害を受け、災害復興や教育振興(通学)のために、鹿児島市街地と桜島とを結ぶ定期航路を望む声が上がりました。このため、当時の西桜島村(のちの桜島町、現・鹿児島市)が1930年(昭和5年)頃より準備を始めて、集落所有の船舶14隻を買い取り、そのうち大型の船舶を使用して1934年(昭和9年)11月19日より運航を開始しました。開通時の運賃は片道10銭-15銭だったそうです。その後、次第に便数を増やし、現在では昼間最短10分間隔、夜間30分間隔、深夜60分間隔の24時間運航を行っており、約3.5kmの距離を約15分で結んでいます。
 東京から遊びに来た友人を桜島に案内する際に利用した桜島フェリー「よりみちクルーズ」の船上から、桜島とともに出港する桜島フェリーを撮影しました。

2020.1.12掲載 大阪府 大阪市住之江区 大阪南港コスモスフェリーターミナル さんふらわあ

 2018.10.27撮影
 大阪府 大阪市住之江区 大阪南港コスモスフェリーターミナル さんふらわあ(英称:Sunflower)は、日本を代表するフェリーの一ブランドです。
現在、「さんふらわあ」は商船三井フェリーの登録商標 となっており、同社と関連会社である株式会社フェリーさんふらわあ(旧ダイヤモンドフェリーおよび旧関西汽船を吸収合併)が使用しています。 一部RO-RO船を除き「さんふらわあ」を冠した船には共通して大輪の花のように光線を放つ朝の太陽が水平線の下から立ち昇ってきたような情景が白い船体の側面に大きく描かれており、絵として描かれた水平線と実際の船の喫水線はおおよそ一致するようデザインされています。残念ながら写真では夕日を浴びていたため、その部分が写っていませんでした。
 東京から鹿児島に車で移動する際、京都に立ち寄り、その後、このフェリーに乗船し、鹿児島(志布志)まで船旅を楽しみました。 

2020.1.2掲載 鹿児島県 鹿児島市 自宅から見た2020年の初日の出

 2020.1.1撮影
 鹿児島県 鹿児島市 自宅から見た初日の出 2020年 令和最初の年はじめ 自宅から見える初日の出を掲載しました。
天気は良かったのですが、桜島の噴煙がたなびいていたためか、太陽は少しぼんやりとしていました。