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〒891-0141 鹿児島県鹿児島市谷山中央

中's ギャラリーgallery 2021年掲載


 2019年冬以降に撮影した鹿児島の観光地の写真が中心です。

2021.12.26掲載 鹿児島県 鹿児島市 自宅から見たH-2Aロケット45号機の打ち上げ

 2021.12.23撮影
 鹿児島県 鹿児島市 自宅から見たH-2Aロケット45号機の打ち上げ イギリスの通信衛星を載せたH-2Aロケット45号機が、12月23日未明、種子島宇宙センターから打ち上げられ、打ち上げは成功しました。 H-2Aロケット45号機は、当初21日夜に打ち上げ予定でしたが、天候の影響で1日延期されていました。さらに機体のデータ異常で予定より1時間遅れ、23日の午前0時32分に打ち上げられました。そして26分後に、イギリスのインマルサット社の通信衛星が所定の軌道に乗り、打ち上げは成功しました。ロケットが放つ光は、鹿児島県内の各地でも確認でき、当方も撮影することができました。H-2Aロケットは45機中44機で成功して、成功率97.8%になり、高い成功率を誇ってます。また、三菱重工による海外衛星の打ち上げは5回目で、全て成功となっていま

2021.12.19掲載 鹿児島県 霧島市 和気神社・犬飼の滝

 2020.10.20撮影
 鹿児島県 霧島市 和気神社・犬飼の滝 和気神社(わけじんじゃ)は今年の春に紹介していますが、拝殿前には狛猪があります(写真右上)。これは和気清麻呂が配流の際に、宇佐神宮に参詣しようと豊前国に上陸したところ、猪が輿を守ったとの伝説(『日本後紀』巻八)により、猪が和気清麻呂の守護神とされているためだそうです。 また、近隣の妙見温泉観光協会が1995年(平成7年)の亥年に妙見温泉命名100周年を記念して奉納した白い猪が飼われており、「あいちゃん」の愛称が付けられています。その後、2008年(平成20年)5月25日生まれの「和気(わけ)ちゃん」という愛称の白い猪も飼われています。
 犬飼の滝(いぬかいのたき)は和気神社近くにあり、中津川にある滝で、蒼くそびえる高千穂峰を背景に、静寂の空気を震わせて、虹色のしぶきをあげています。高さ36m、幅22mの純白の帯は、まさに壮観です。かつて和気清麻呂がここで遊び、明治維新の立役者「坂本龍馬」も眺めたという由緒のある滝です。滝の近くまで遊歩道が開かれ、和気の湯もあります。古き時代に思いを馳せながら、深い緑の中を散策するには最適の場所だと言えます。
 

2021.12.12掲載 鹿児島県 姶良市 金山橋・板井手の滝

 2020.10.20撮影
 鹿児島県 姶良市 金山橋・板井手の滝 金山橋(きんざんばし)は凝灰岩で建設された美しいアーチ形の石橋で、長さ22.6m、幅4.2m、川からの高さは約10mです。島津家は幕末にフランス人技師のコワニエを雇い、山ヶ野金山の近代化に着手しました。コワニエが去った後、1878年(明治11年)にオジェが雇われると近代化事業を継続しました。オジェが行った金山の近代化事業は、鹿児島県の年間予算に匹敵する20万円が投じられたそうです。その一環で山ヶ野から加治木港までの馬車道も整備しました。金山橋は、この馬車道整備に伴い、網掛川にかけられたものです。橋の近くには、当時の馬車道とみられる旧道が残っています(写真左中)。
 板井手の滝(いたいてのたき)は網掛川の本流にある滝で、日本の滝百選「龍門滝」(前々週紹介)の上流、それも非常に近い場所にあります。落差8m、落差は小さいながら滝単体としてそれなりの景観です。また金山橋のアーチ越しに見る眺め(写真中央)も一見の価値があります。

2021.12.5掲載 鹿児島県 姶良市 龍門司坂

 2020.10.20撮影
 鹿児島県 姶良市 龍門司坂 龍門司坂(たつもんじざか)は旧加治木町に残る古道です。旧大口筋の一部で、木田の高井田から毛上に通ずる石畳の坂です。1635年(寛永12年)に着工し、その100年余後に完成したと言われています。石は近くの樋ノ迫山から切り出されたと伝えられ、石切場には、後に24代藩主となった島津久門(加治木島津家4代)の祠が残されています。全長は1500m余りありましたが、現在は464mが当時の姿で残っています。物資の往来する主幹線として薩摩の経済・文化に大いに関与し、1877年(明治10年)の西南の役の際は、西郷隆盛率いる薩軍がこの坂道を通って熊本へ向かったそうです。1996年(平成8年)に文化庁より「歴史の道百選」に選定されています。大河ドラマ「篤姫」「西郷どん」のロケ地にも使われていました。

2021.11.28掲載 鹿児島県 姶良市 龍門滝

 2020.10.20撮影
 鹿児島県 姶良市 龍門滝 龍門滝(りゅうもんだき)は、鹿児島県姶良市加治木町を流れる網掛川中流にある高さ46m、幅43mの滝で、1990年(平成2年)4月12日、日本の滝百選に選ばれています。「龍門の滝」(りゅうもんのたき)とも呼ばれます。 中国の龍門瀑に似ていることから龍門滝と名付けられたそうです。藩主島津忠恒の和歌に詠まれたり、橘南谿の『西遊記』において賞賛を受けるなど薩摩藩内随一の名滝として知られ、儒者の安井息軒もここを訪れているとのことです。加治木城主の島津久徴が滝近くの丘に建てさせた観音像が今も残されています。
 網掛川がシラス台地から姶良平野へ流下する出口にあたり、比較的開けた場所にあるため、九州自動車道を走行する車内からなど、遠方から眺めることもできます。上流から農業用水が取水されるため季節や天候によって水量が大きく変動します。特に5月末から9月にかけての農繁期に少雨が重なると滝の流れはほとんどなくなることがあります。龍門滝北方上流にある板井手の滝までの渓流沿いや、西方にある石畳道の龍門司坂までの地域は「龍門滝の森」と名付けられています。
 尚、 龍門滝の岩盤は更新世に国分層群と呼ばれる地層へ貫入したマグマが冷えて固まった安山岩であり、柱状節理が発達しています。

2021.11.21掲載 鹿児島県 姶良市 白銀坂、掛橋坂、郷田滝

 2020.10.20撮影
 鹿児島県 姶良市 白銀坂、掛橋坂、郷田滝 白銀坂(しらかねざか)(写真左)は姶良市脇元から鹿児島市牟礼ヶ岡までの石畳の坂道です。この坂のある山並みは、古代における薩摩国(旧吉田町側)と大隅国(旧姶良町側)の国境でした。また戦国時代には島津貴久や義弘などの武将たちがこの坂に陣を構えたといわれています。 江戸時代に入ると、白銀坂は薩摩藩の主要街道として鹿児島城下から熊本へ抜ける薩摩街道「大口筋」上の難所として多くの人に知られていました。現在約2.7kmの道のりが残っており、高低差は300m以上あります。中腹には「七曲り」といわれる急勾配の箇所に石畳が敷かれ、今でも昔の面影を残しています。歴史上重要な街道として歴史国道にも指定されています。
 掛橋坂(かけはしざか)(写真中央)は江戸時代には藺牟田・祁答院方向と蒲生を結ぶ地方街道として利用され、帖佐郷にあった納屋町御蔵・小烏御蔵まで毎年たくさんの年貢米が輸送されていたそうです。掛橋坂は、道中最も厳しい難所として知られています。入り口近くでマムシに注意との立札があったため、直ぐ引き返したため、醍醐味のある場所の撮影はできませんでした。
 郷田滝(ごうだたき)(写真右)は加治木八景のひとつに数えられる、高さ28mの名瀑です。別名を白糸の五反滝と言います。県道55号線沿いにある「ふれあいパーク加治木」の横にある観瀑台より見ることができます。古文書には、当時の道は滝の上を通っていたと書かれていたそうです。古くから多くの旅人の目をいやしてきたのだと思われます。

2021.11.14掲載 鹿児島県 南九州市 水元神社、雲朝寺跡

 2020.10.14撮影
 鹿児島県 南九州市 水元神社、雲朝寺跡 水元神社(みずもとじんじゃ)は南九州市川辺町にある神社です。創建は不明ですが、その名のとおり水源地を守る水神(神社の隣には清水の湧水(写真右)がこんこんと湧いています)として建立されたと考えられています。江戸時代からは清水むら(現在の大字清水)の産土神(守護神)として信仰されています。本堂(写真中央下)が崖に掘られた洞穴の中にあるという珍しい形の神社です。現在の社殿は2018年(平成30年)に改築されたもので、1900年(明治33年)に建てられた社殿の材木を一部再利用しながら忠実に復元したものだそうです。鳥居の近くには「薩摩塔」という謎の多い石造物が置かれています(写真中央上参照)。この塔は雲朝寺跡(うんちょうじあと)から出土したものですが、何故かこの場所に移されたものだそうです。
 雲朝寺跡は水元神社のほど近い場所にあり、現在は畑の横に石塔が並んでいるだけ(写真左)の場所です。室町時代に玉泉寺の住持であった威芳和尚よって建立されたと伝わっていますが詳細は不明です。
 ※薩摩塔は鹿児島以外では福岡、長崎、佐賀でしか確認されていないそうです。 数も非常に少なく、数十基程で、中国から持ち込まれたものらしいということ以外よく解っていない、謎だらけの石塔だそうです。

2021.11.7掲載 鹿児島県 南さつま市 笠狭宮跡

 2020.10.14撮影
 鹿児島県 南さつま市 笠狭宮跡 薩摩半島の西部にある南さつま市(旧加世田市)。市の中心部から3kmほど南に、舞敷野(もしきの)という地名があります。ここに「笠狭宮跡(かささのみやあと)」(“笠沙宮跡”)(写真右)があり、その前に写真左の発祥碑が建っています。 「日本発祥の地」とは突拍子もない命名のように思われますが、この名前は日本神話から来ているそうです。 日本書紀・古事記には、天照皇大神(アマテラスオオミカミ)の孫にあたる瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)が、宮崎県の高千穂より天降り(天孫降臨)、この地に笠沙宮と呼ばれる皇居を造り、木花開耶姫(コノハナサクヤヒメ)と結婚した……とあります。南さつま市の西側にある野間半島には“笠沙町(かささちょう)”がありますが、そこには「神代聖蹟瓊瓊杵尊御上陸之地」の碑などもあるそうです。また、周辺には「御座屋敷」など神話にゆかりのある地名がいくつもあり、神話の里と思われているようです。

2021.10.31掲載 鹿児島県 鹿児島市 自宅から見たH-ⅡAロケット44号機の打ち上げ

 2021.10.26撮影
 鹿児島県 鹿児島市 自宅から見たH-ⅡAロケット44号機の打ち上げ 日本版GPS衛星「みちびき」を搭載したH-ⅡAロケット44号機が10月26日午前111時19分、種子島宇宙センターから打ち上げられ、搭載された日本版GPS衛星「みちびき」は打ち上げの28分後に予定の軌道に投入され、打ち上げは成功しました。 南種子町の見学場は、新型コロナ対策として人数が制限され、事前抽選で選ばれた見学客だけが打ち上げを見守ったそうです。
 運用開始から20年を迎えたH-ⅡAロケットは、44機中43機で打ち上げに成功し、成功率は97.7%となりました。 カーナビなどに位置情報を送る「みちびき」は現在4機体制で、今回打ち上げられたのは設計寿命を迎えた初号機の後継機です。政府は、位置情報の精度を高めるため、2023年度から7機体制での運用を目指しているそうです。
 今回の打ち上げはは天気の影響で1日延期されましたが、この日は快晴で打ち上げ日和でした。ただし、鹿児島市内から写真を撮影するためには、太陽の方向にカメラを向けることになり、高倍率での撮影ができなかっただけでなく、勘でシャッターを押すということになってしまい、気分だけ感じてもらうことになりました。
※時期ものでしたので、時系列を無視して早速掲載しました。

2021.10.24掲載 鹿児島県 南九州市 高田石切場、たかたの命水、高田摩崖仏

 2020.10.14撮影
 鹿児島県 南九州市 高田石切場、たかたの命水、高田摩崖仏 高田石切場(たかたのいしきりば)は鹿児島県南九州市川辺町にあった高田鉄山(てつやま)の石切り場です。高田鉄山は,江戸時代後半に石切り場(採石場)が開かれた所で,墓石や石灯籠が作られていたそうです。ここで採れた「高田石(たかたいし)」と呼ばれる石は,切り出した時は柔らかく,風雨にさらされることで固くなる性質があったそうです。最盛期には70人ほどの石切りどん(石工)がいたそうです。
 直ぐ側にたかたの命水という水汲み場(写真左中)があります。高田石切場から湧き出る天然水で,多くの人が水を汲みに訪れるそうです。さらにその先に、仏教遺跡の高田磨崖仏(たかたのまがいぶつ)(写真左下)があります。これは高田川上流の石切場跡の断崖に仏像が彫刻されているものです。 年代は銘文から1687年(貞享4年)から1711年(正徳元年)の間に作られた江戸時代中期の物であることが判明しています。地元の寺・西山観音寺の住職であった是珊が石工・久保田太右衛門に作らせた物だそうですが、天照大神像は頴娃の脇七兵衛によるものと云われています。

2021.10.17掲載 鹿児島県 出水市 上場高原(コスモス園)

 2021.10.14撮影
 鹿児島県 出水市 上場高原(コスモス園) 上場高原(コスモス園)(うわばこうげん(こすもすえん))は標高500m、熊本県との境にある上場高原にある標高500m、広さ3haの公園で、四季折々の花が楽しめ、春には約10万本の菜の花やボタン、初夏にはアジサイ、秋には約25万本のコスモスが咲きみだれる、花にあふれた高原です。園内の展望台からは、眼下に広がる一面のコスモスが見渡せ、毎年多くの観光客を魅了します。また、「上場遺跡」もあり、日本で初めて旧石器時代の住居跡とされる竪穴が2基発見されたことでも有名です。竪穴式の特産品販売店で地元の高原野菜などを販売する古代マーケットもあります。このコスモスは、毎年夏に地元のボランティアによって植えられています。
 コロナ禍の緊急事態宣言等も解除になったため、コスモスが満開とのことだったのに併せ、久々に遠出して撮影しました。
※時期ものでしたので、時系列を無視して早速掲載しました。

2021.10.10掲載 鹿児島県 鹿児島市 南方神社

 2020.10.14撮影
 鹿児島県 鹿児島市 南方神社 南方神社(みなみかたじんじゃ)は、鹿児島県鹿児島市喜入にある神社です。15世紀、蒲生(現在の姶良市)から喜入に移ってきた蒲生宣清によって建立されました。その後、1565年(永禄8年)に島津家一門の喜入末久(島津忠賢)によって再建されました。戦前までは「武の神」を祭る神社として信仰が厚かったと伝えられています。なお、現在の社殿は1965年(昭和40年)に建てられたものです。
地元では有名なパワースポットで、 映画「ゆずの葉ゆれて」(2016年放映)のロケ地にもなった神社です。 創建500年以上の歴史をもち、「夫婦石」や「御神木」もあり(写真右下)、神々しくある木々の素晴らしさに感動します。 霊感の無い人でも、そのパワーを何かしら感じるのではと思います。

2021.10.3掲載 神奈川県 鎌倉市 鶴岡八幡宮

 2020.10.3撮影
 神奈川県 鎌倉市 鶴岡八幡宮 鶴岡八幡宮(つるがおかはちまんぐう)は、神奈川県鎌倉市雪ノ下にある神社です。別称として鎌倉八幡宮とも呼ばれています。武家源氏、鎌倉武士の守護神で、鎌倉初代将軍源頼朝ゆかりの神社として全国の八幡社の中では関東方面で知名度が高く、近年では三大八幡宮の一社に入ることがあります。境内は国の史跡に指定されています。鶴岡八幡宮は、1063年(康平6年)に、源頼朝の先祖源頼義が「源氏の氏神」である京都の石清水八幡宮を由比郷鶴岡に勧請したがその始まりです(由比若宮(鶴岡若宮))。 1180年(治承4年)、源氏再興の挙兵を果たして鎌倉に入った源頼朝は、由比若宮を小林郷北山(現在の地)に遷して「鶴岡八幡宮新宮若宮」とし、武家の都市づくりの中心に据えたそうです。1191年(建久2年)、火災によって焼失したそうですが、頼朝は、若宮を再建するとともに、大臣山の中腹に上宮(本宮)(写真右)を新造し、今日の姿(上下両宮)となったそうです。  鎌倉幕府滅亡後も「武門の神」として足利氏、後北条氏、豊臣氏、徳川氏に崇敬されたそうです。現在の本宮は1818年(文政11年)、江戸幕府十一将軍徳川家斉に、若宮は1626年(寛永3年)、二代将軍徳川秀忠によって修築造営された建物だそうです。
 訪れたのが週末だったため、コロナ禍にもかかわらず、多くの参拝客が訪れていました。また、本宮の下にある舞殿(写真左上)では結婚式も行われていました。

2021.9.26掲載 神奈川県 鎌倉市 鎌倉の大仏(高徳院)

 2020.10.3撮影
 神奈川県 鎌倉市 鎌倉の大仏(高徳院) 高徳院(こうとくいん)は、神奈川県鎌倉市長谷にある浄土宗の寺院です。本尊は国宝銅造阿弥陀如来坐像の鎌倉大仏です。正式には大異山高徳院清浄泉寺(だいいざん こうとくいん しょうじょうせんじ)と号するそうです。開基(創立者)と開山(初代住職)はともに不詳です。 2004年(平成16年)2月27日、境内一帯が「鎌倉大仏殿跡」の名称で国の史跡に指定されています。なお、大仏の造立経緯や、大仏殿の倒壊時期については諸説あるようです。銅造阿弥陀如来坐像(国宝)は 像高約11.39m(台座を含め高さ13.35m)、面長2.35m、眼長1m、眉長1.24m、口広0.82m、耳長1.9m、重量約121tだそうです。 角張った平面的な面相、低い肉髻(にっけい、頭髪部の椀状の盛り上がり)、猫背気味の姿勢、体部に比して頭部が大きい点など、鎌倉期に流行した「宋風」の仏像の特色を示しており、鎌倉時代を代表する仏教彫刻として国宝に指定されています。また、後世の補修が甚大な奈良・東大寺の大仏と比べ、ほぼ造像当初の姿を保っている点も貴重だそうです。

2021.9.19掲載 神奈川県 鎌倉市 長谷寺

 2020.10.3撮影
 神奈川県 鎌倉市 長谷寺 長谷寺(はせでら)は、神奈川県鎌倉市長谷にある浄土宗系統の単立寺院です。正式には海光山慈照院長谷寺(かいこうざん じしょういん はせでら 山号: 海光山、院号: 慈照院)と号し、長谷観音(はせかんのん)の名でも知られています。開創は奈良時代の736年(天平八年)伝えられており、聖武天皇の治世下に勅願所と定められた鎌倉有数の古刹です。本尊は十一面観世音菩薩像(残念ながら撮影できませんでした)、木彫仏としては日本最大級(高さ9.18m)の尊像で、坂東三十三所観音霊場の第四番に数えられ、東国を代表する観音霊場の象徴としてその法灯を今の世に伝えています。

2021.9.12掲載 神奈川県 鎌倉市 極楽寺

 2020.10.3撮影
 神奈川県 鎌倉市 極楽寺 極楽寺(ごくらくじ)は、神奈川県鎌倉市極楽寺にある真言律宗の寺院です。霊鷲山感応院極楽律寺(りゅうじゅさん かんのういん ごくらくりつじ)と号します。本尊は釈迦如来。開基(創立者)は北条重時です。 鎌倉市の西部、鎌倉七口の1つである極楽寺坂切通の近くにあり、鎌倉では珍しい真言律宗の寺院です。僧忍性が実質的な開祖だそうです。中世には子院49箇院を有する大寺院であったそうです。江ノ島電鉄極楽寺駅近くに茅葺きの山門があり(写真右)、桜並木の参道を進んだ先には本堂(写真左)、大師堂、転法輪殿(宝物館)、茶屋などが建っています。本堂前には忍性が薬作りに使ったとされる石鉢と石臼があります。本堂裏(西)には鎌倉市立稲村ケ崎小学校がありますが、同校の校地が往時の極楽寺の中心伽藍のあった場所であるとされています。小学校の西側のグラウンドのさらに西には極楽寺の奥の院(墓地)があり、忍性塔と呼ばれる大型の五輪塔をはじめ、多くの石塔が立っているそうです。江戸期に作成された『極楽寺絵図』によれば最盛期には現在の極楽寺や小学校の建つ谷一帯が極楽寺の境内であったそうです。

2021.9.5掲載 神奈川県 鎌倉市 稲村ケ崎から見た江の島

 2020.10.3撮影
 神奈川県 鎌倉市 稲村ケ崎から見た江の島 稲村ヶ崎(いなむらがさき)は、神奈川県鎌倉市南西部にある岬で、由比ヶ浜と七里ヶ浜の間にあたります。通常、「稲村ヶ崎」の表記は歴史的用法や国の史跡の名称に使用し、地名としては住居表示に伴う町名変更で稲村ガ崎一丁目から稲村ガ崎五丁目となっています。地名の由来は、稲穂を重ねたように見えるためだと言われています。古来良質な砂鉄が採取できることで知られ、古代にはこの地で製鉄がおこなわれていたと考えられています。現在は鎌倉海浜公園として整備されていて、サーフィンのメッカとして有名であると同時に、海水浴場としても使用されてきましたが、近年、砂の流出が進み、2003年(平成15年)からは海水浴場としての使用は行われなくなったそうです。サザンオールスターズの桑田佳祐が監督を務めた映画『稲村ジェーン』(1990年)の舞台ともなった場所ですが、以前は自殺の名所としても知られていたそうです。また、彼らのシングル曲である「君こそスターだ」には、歌い出し冒頭で「稲村ヶ崎は今日も雨」という部分があり、最初の部分のミュージックビデオも稲村ヶ崎で撮影しています。
  江の島(えのしま)は、神奈川県藤沢市にある湘南海岸から相模湾へと突き出た陸繋島で、一般的に使用される周囲360度が海に囲まれた島では無い特性を有する地名および町名です。湘南を代表する景勝地であり、古くから観光名所となっており、神奈川県指定史跡・名勝、日本百景の地であります。交通機関の駅名などでは江ノ島と表記することも多いですが、町名や公文書等では「江の島」と表記するそうです。古くは江島神社(日本三大弁天の一つ)に代表されるように「江島」と表記されていたこともあるそうです。

2021.8.29掲載 神奈川県 横須賀市 ヴェルニー公園

 2020.10.2撮影
 神奈川県 横須賀市 ヴェルニー公園 ヴェルニー公園は、神奈川県横須賀市汐入町に位置する市立の都市公園(近隣公園)です。名称は横須賀造兵廠その他の近代施設の建設を指導し、日本の近代化を支援したフランス人技術者レオンス・ヴェルニーに由来しています。1946年(昭和21年)に開園した「臨海公園」を2001年(平成13年)にフランス式庭園の様式を取り入れてリニューアルオープンした際にヴェルニー公園と改名されたようです。海側の歩道はボードウォークやベンチが整備されていおり、はガス灯を模した電灯が辺りを照らします。 また横須賀港に面するため、アメリカ海軍の横須賀海軍施設と海上自衛隊横須賀基地に停泊する艦船を間近に観察することができます。また、公園内には2016年(平成28年)に船の科学館から移設された戦艦陸奥の主砲が鎮座しています。(写真左)
 公園横にはヴェルニー記念館がああります。フランス・ブルターニュ地方の住宅を模した急傾斜の屋根と石の壁が特徴で、ヴェルニーの功績を紹介しています。また、旧横須賀製鉄所(横須賀造船所を経て横須賀造兵廠)で使用されていた3tと0.5tの鍛造・圧延用蒸気ハンマー(スチームハンマー)(写真右)が移設保存されています(1865年製造のオランダ製で、0.5t機、3t機ともに国の重要文化財に指定されています)。2013年7月24日、両スチームハンマーは機械遺産に認定されています。

2021.8.22掲載 東京都 江東区 上空から見た東京ゲートブリッジ

 2020.10.2撮影
 東京都 江東区 上空から見た東京ゲートブリッジ 東京ゲートブリッジ(とうきょうゲートブリッジ、英語: Tokyo Gate Bridge)は、東京港第三航路(東京東航路)を跨ぎ中央防波堤外側埋立地と江東区若洲を結ぶ橋梁です。東京港港湾計画に位置付けられた港湾施設(幹線臨港道路)・東京港臨海道路のII期事業区間の一部を構成しています。 建設時は仮称として東京港臨海大橋と呼ばれていましたが、一般公募の中から「東京ゲートブリッジ」の名称が付けられました。また、恐竜が向かい合っているような特異な形状をしている事から恐竜橋とも呼ばれています。 事業期間は2002年度(平成14年度)から2011年度(平成23年度)で、2012年(平成24年)2月12日に開通しています。東京都が策定した東京港港湾計画に記された江東区若洲と大田区城南島間約8kmを結ぶ東京港臨海道路の一部で、全長2,618m(陸上部アプローチ橋を含む)のトラス橋です。水面(荒川工事基準面、A.P.)から橋梁最上部の高さが87.8m、海上を跨ぐ区間の長さが1,618m(横浜ベイブリッジやレインボーブリッジの約2倍)で、RC橋脚の上部に鋼3径間連続トラスボックス複合構造の橋桁が架けられ、4車線道路が設けられています。 建設地が東京国際空港(羽田空港)に近く航空機の飛行ルート上にあるため、航空法により橋の高さに制限(98.1m以下)が課されている一方、東京東航路を通る大型船舶が航行可能な桁下の高さ54.6mを確保すべく、吊り橋や斜張橋ではなく、三角形に繋いだ鋼材を組み合わせて橋桁の荷重を分散するトラス構造が採用されたそうです。また、支間長は440mで、日本国内のトラス橋としては生月大橋(同400m)を上回り、港大橋(同510m)に次ぐ規模だそうです。

2021.8.15掲載 東京都 上空から見た東京スカイツリー

 2020.10.2撮影
 東京都 上空から見た東京スカイツリー 東京スカイツリー(とうきょうスカイツリー)は、東京都墨田区押上1-1-2にある電波塔(送信所)で、高さは634m、東武鉄道及び東武グループのシンボル的存在です。2012年(平成24年)2月29日に完成し、同年5月に電波塔・観光施設として開業しています。観光・商業施設やオフィスビルが併設されており、電波塔を含め周辺施設は「東京スカイツリータウン」と呼ばれています。とうきょうスカイツリー駅・押上駅が最寄駅です。 東京スカイツリーについての名称・ロゴマーク・シルエットデザイン・完成予想コンピュータグラフィックスといった知的財産は東武グループの一社である東武タワースカイツリー株式会社等の著作権および商標権により保護されています。このため公式案内では「東京スカイツリー®」と®マークが記載されているようです。
 電波塔内の施設としては放送施設・展望施設(第1展望台・第2展望台)・商業施設等があります。 高さ350mの第1展望台には天望デッキがあり、レストランやカフェ、ショップなども併設されています。 高さ450mの第2展望台には天望回廊と呼ばれるチューブ型でガラス張りの回廊が設置されています。天望回廊は第2展望台の2つのフロアを結ぶ約110mのスロープになっています。

2021.8.8掲載 鹿児島県 南九州市 知覧城跡

 2020.9.22撮影
 鹿児島県 南九州市 知覧城跡 知覧城(ちらんじょう)は、鹿児島県南九州市知覧町永里にある日本の城(中世山城)で、国の史跡に指定されています。初めてここに城を構えたのは平安時代末期の頃の郡司・知覧忠信と言われています。室町時代、足利尊氏の下文によって島津忠宗の三男・佐多忠光がこの地の領主となりました。その後、島津氏の内訌に伴い一時伊集院頼久一族の配下となりましたが、1420年(応永27年)、島津久豊が伊集院一族からこの城を取り返し、再び佐多氏の居城となりました。その後、文禄検地等で多少の異動はあったものの、佐多氏は幕末まで知覧領主でした。しかし、11代当主・佐多久達の時に知覧城は原因不明の出火で炎上し、一国一城令発令前に知覧城は実質上廃城となっています。
 2017年(平成29年)、続日本100名城(198番)に選定されています。上記のように火災のために当時の建造物は全く残っていません。そのかわり、その後ほとんど手が入れられなかったため南九州中世城郭の典型例を残しています。 シラス台地を利用した南北800m、東西900m、面積45万m2という壮大な城郭で、大きな谷を空堀として利用し、本丸以外の曲輪は二重の深い空堀で更に囲まれていました。中核となる「本丸」の他「今城」「蔵の城」「弓場城」などの曲輪と「式部殿城」「児城」「東之栫」「西之栫」「南之栫」「伊豆殿屋敷」等の出城から成り立っていました。 近年の発掘調査で15世紀-16世紀の中国陶磁や洪武通宝、東南アジアで生産された陶器が出土したそうです。

2021.8.1掲載 鹿児島県 肝属郡 南大隅町 佐多岬

 2020.7.31撮影
 鹿児島県 肝属郡 南大隅町 佐多岬 佐多岬(さたみさき)は、鹿児島県肝属郡南大隅町佐多馬籠に位置しており、北緯30度59分42秒、東経130度39分42秒と北緯31度線上に位置する本土最南端(九州本島最南端)の岬で、大隅海峡に面する岬です。霧島錦江湾国立公園(旧霧島屋久国立公園)に含まれますが、四国の最西端・佐田岬と間違えられることもあります。 佐多岬先端部は2012年(平成24年)10月29日まで一帯を管理していた岩崎産業が運営する佐多岬展望公園として入園料を徴収していましたが、10月30日付で譲渡され南大隅町の所有となり、無料で入園できるようになっています。南端の断崖から50m沖の大輪島に日本最古の灯台の1つ「佐多岬灯台」(写真右上2)があります。この灯台はイギリス人の設計で1871年(明治4年)完成後、1945年(昭和20年)の空襲で焼失。その後、1950年(昭和25年)に復旧し現在に至ります。 岬手前には展望台(写真右下2)があり、そこから左に太平洋、右に東シナ海を望めます。天候が良い日には種子島、屋久島、硫黄島など見ることもできます。コバルトブルーの海と亜熱帯植物に囲まれた自然が、心に残ります。 また、佐多岬にある「御崎神社」(写真右下1)は縁結びの神様として人気があります 。

2021.7.25掲載 鹿児島県 鹿屋市 荒平天神

 2020.6.24撮影
 鹿児島県 鹿屋市 荒平天神 荒平天神(あらひらてんじん)は鹿児島県鹿屋市天神町に位置する神社で、学問の神様、菅原道真公が祀られています。正式な名称は菅原神社(すがわらじんじゃ)ですが、通称の方が広く知られています。大隅半島の錦江湾沿いを走る県道68号線沿線の海に突き出た島のような岩山の上に神社が建立されている風光明媚な場所です。満潮時に海に浮かぶその様子から岩山は「天神島」とも呼ばれています。潮の満ち引きや時間帯、季節によって様々な表情を見せてくれます。拝殿まではロープを頼りに急な階段を登ります。また、満潮時には拝殿までの道がなくなってしまうので注意が必要です。創建年代は不明ですが、一説には天文年間(1532年 - 1555年)と伝えられており、昔から地元住民の崇敬が篤く毎月25日は縁日として多くの参拝者が訪れるそうです。神社とその風景は「鹿屋八景」にも選ばれています。

2021.7.18掲載 鹿児島県 肝属郡 南大隅町 雄川の滝

 2020.6.24撮影
 鹿児島県 肝属郡 南大隅町 雄川の滝 雄川の滝(おがわのたき)は大隅半島南部の南大隅町の根占地区を流れる雄川上流にある落差46m×幅60mで特徴的な岩肌を持つ滝と、澄んだエメラルドグリーンの幻想的な滝つぼを持ち、NHK大河ドラマ「西郷どん」のオープニング映像で有名になった、癒しのパワースポットです。駐車場から滝つぼまでは、約1,200mのアップダウンのある遊歩道があり、遊歩道から急に広がる視界の先には、幅100mほどはありそうな断崖と、そこから流れる落差46mある大滝、そしてその右側には岩肌から染み出す絹のような繊細な滝がエメラルドグリーンの滝つぼにいくつも流れおち、神秘的な空間を作り出しています。 ぽっかり空いたその空間は、滝の流れ落ちる音が響き、心身ともに癒されるスポットとして、近年特に脚光を浴びてます。
 訪れたのが、午後の時間帯だったため、滝全体が日陰になり、写真にはその素晴らしさをもうひとつ表現できなかったのが少し残念でした。
 なお、天気によっては遊歩道が水浸しになり、滝つぼまでたどりつけないことがあるそうなので、近くまで行けたことで良しとしました。

2021.7.11掲載 鹿児島県 指宿市 日本最古の井戸 玉乃井

 2020.4.14撮影
 鹿児島県 指宿市 日本最古の井戸 玉乃井 玉乃井(たまのい)は神代の昔から日本最古の井戸といわれ、彦火々出見尊(ひこほほでみのみこと)の妃・豊玉姫が朝夕汲んでいたとあります。現在も遺跡として残っており、付近一帯は「玉井」という地名で親しまれています。歌人・斉藤茂吉の「玉の井に心恋しみ 丘のへをのぼりて くだる泉は無しに」の歌碑が入り口にあります(写真中央下)。能「玉井(たまのい)貝尽(かいづくし)」の元にもなっているそうです。
※海の神ワタツミ(海神・綿津見)の娘・トヨタマヒメ(豊玉姫)は、美しい真珠に象徴される女神で、朝夕、玉乃井で水を汲んでいたそうです。
※ある日のこと、なくしてしまった兄の釣り針を探して、ワタツミ(海神・綿津見)を訪ねたヒコホホデミノミコト(彦火々出見尊:山幸彦)は、この地でトヨタマヒメ(豊玉姫)と出会われ、お互いに一目で心を通わせ結ばれたそうです。 この結婚によって、ヒコホホデミノミコト(彦火々出見尊:山幸彦)は釣り針と潮満珠(しおみつたま)、潮乾珠(しおふるたま)を手に入れたといわれています。

2021.7.4掲載 鹿児島県 薩摩郡さつま町 観音滝

 2020.4.10撮影
 鹿児島県 薩摩郡さつま町 観音滝 観音滝(かんのんだき)は観音滝リゾート(旧観音滝公園)内の長野城跡(山城)のすぐそばにある、3段になった美しい滝です。観音滝は「お清めの滝」「鴛鴦の滝」「観音滝」の3つの滝からなり、昔から地元に伝わる物語(観音様が現れたという伝説、観音滝にまつわる恋物語など)が秘められています。 3つの滝から出るマイナスイオンには不思議なパワーが宿っており、この聖なる空間には、恋愛成就・子宝祈願など、運気上昇へ導いてくれる力があるといわれています。 3つの滝から物語に秘められた不思議なパワーを感じれば、心も体も癒され運気が上がるそうで、パワースポットとなっています。

2021.6.27掲載 鹿児島県 霧島市 国分城山公園

 2020.4.6撮影
 鹿児島県 霧島市 国分城山公園 国分城山公園 (こくぶしろやまこうえん) は、霧島市街地近くの城山という山の上、標高192 mにある公園です。北に霧島連山、南に桜島の雄姿と波穏やかな錦江湾。そして、眼下には国分の街が広がる高台にあり、市民には、「城山公園」と呼ばれ、親しまれています。 公園内にある展望台や観覧車は霧島市の平野部からよく見え、街のシンボル的な存在でもあります。 公園内には桜がたくさん植えられており、桜の名所でもあります。
 桜島と対峙すると、時折鹿児島空港へ進んでくる飛行機の機体が横切り、体がふわっと軽くなるようです。昼間の風景もさることながら、国分の街に灯りがともりはじめ、暮れなずむ錦江湾に浮かぶ桜島も素敵だそうです。 園内には、児童広場、屋外ステージ、1周1,350mのゴーカート場、観覧車など、家族連れで楽しめる施設があり、一日中いても遊び足りない公園です。夜間は営業していませんが、展望広場にはベンチもあり、国分平野を中心とした夜景を眺めることができます。
 訪れた時にはまだできていませんでしたが、2020年(令和2年)12月に「時空ブランコ」が完成し、恋人でも家族でも、休憩や撮影にぴったりのオブジェになっているようです。国分市街地と錦江湾、桜島を一望できるこの場所には、スマートフォン向けの撮影台も設置され、桜島火口からハート型の噴煙が出ているように撮れる遊び心も詰まっているようです。

2021.6.20掲載 鹿児島県 姶良市 住吉池

 2020.4.6撮影
 鹿児島県 姶良市 住吉池 住吉池(すみよしいけ)は、鹿児島県姶良市にある直径550m、周囲3.2Km、面積0.15Km2、ほぼ円形の火口湖です。水面の標高は38m、最大水深は52m、約8200年前に起きたマグマ水蒸気爆発で形成された火口(マール)の跡に水がたまったものです。爆発当時は縄文海進の時期にあたり、この地域は海岸だったために水蒸気爆発につながったようです。2003年(平成15年)になってランクCの活火山に指定されています。池の約1.5Km北西には青敷火山、約3Km西には住吉池と同時期に爆発を起こした米丸と呼ばれる噴火口跡があります。
 また、藺牟田池県立自然公園の中に位置づけられ、蒲生町側の池畔には公園とキャンプ場があります。静かな自然に囲まれた湖畔でのんびりできるので、キャンプシーズンになると、アウトドアライフを楽しむ家族連れやグループで賑わうようです。春は湖畔の桜が咲き誇るの名所として親しまれ、夏には生命力あふれる緑が池の水面に映えるようで、四季折々に花見や釣りなどをゆったり楽しめるスポットです。
 尚、前回紹介した日本一の巨樹「蒲生の大クス」がある蒲生八幡神までは、およそ2.5km、往復約1時間でウォーキングに最適とも言われているようです。

2021.6.13掲載 鹿児島県 姶良市 蒲生八幡神社の大楠

 2020.4.6撮影
 鹿児島県 姶良市 蒲生八幡神社の大楠 蒲生八幡神社(かもうはちまんじんじゃ)は1123年(保安4年)に、蒲生上総介舜清が創建したと伝えられる神社で、国指定重要文化財「銅鏡秋草双雀文様一面」が保存されています。この鏡の他にも116面の銅鏡が保存されているそうです。境内には、巨樹「蒲生の大楠」がそびえており、大きな赤い鳥居をくぐり石畳を境内に向かっていく両側の桜も見所です。境内にそびえ立つ大楠(おおくす)は、樹齢約1,500年、根周り33.5m、目通り幹囲24.22m、高さ約30mと日本で一番大きな楠です。環境庁が1988年(昭和63年)に実施した巨樹・巨木林調査で、正真正銘日本一に認定されています。 蒲生八幡神社が建立された1123年(保安4年)にすでに大木であったそうで、そのことから考えても、樹齢千年を超える堂々たる老木です。樹根部分には、大きな空洞があり、下から見上げる壮大さと、地にどっしりと根をはった力強さは、神秘的で不思議な感覚を抱かせてくれます。毎年11月第3日曜日には秋まつりが開催され、太鼓演奏の音が周囲に響きわたるそうです。

2021.6.6掲載 鹿児島県 鹿児島市 かごしま健康の森公園

 2020.3.20撮影
 鹿児島県 鹿児島県 鹿児島市 かごしま健康の森公園 かごしま健康の森公園(かごしまけんこうのもりこうえん)は、1989年(平成元年)の市政100周年記念事業として、「緑豊かな自然の中に各種の運動施設を配置し、いつでも気軽に楽しみながら健康運動を行える公園」を基本目標に建設をすすめ、市政の柱である「生き生き健康社会づくり」の中核施設として、1992年(平成4年)4月に開設した総合公園です。市街地からやや離れ、都市農業センターの北東約3kmの場所に位置し、美しい緑に囲まれた豊かな自然の中に公園施設があり、さわやかな風と澄んだ空気の中で健康づくりを楽しめますと謳っています。緑の中の眺望スポットには色とりどりの花が咲く花壇があり、花の上にあるような桜島を眺めることができます。33.6haの広大な敷地と緑豊かな自然の中に、多目的広場、ファミリー広場、ジョギングコース、わんぱく広場、自然観察園、展望台などが配置されています。 また、サッカーの試合ができる広さの運動広場、人工芝のテニスコート(7面)のほか、アクアジムにはバドミントン、卓球などのできる体育館や温泉・温水のプール、ウォータースライダー・児童プールなどがあります。

2021.5.30掲載 鹿児島県 鹿児島市 都市農業センター

 2020.3.20撮影
 鹿児島県 鹿児島県 鹿児島市 都市農業センター 都市農業センター(としのうぎょうせんたー)は鹿児島市の中心部より北西に約12km、標高180mの高台にあり、東に鹿児島のシンボル桜島を眺望できる恵まれた自然環境の中にあります。 総面積は約30haで、農業研修ゾーン、市民農園ゾーン(写真右奥)、ふれあいゾーン(写真中央)の3つのゾーンに分かれています。 ふれあいゾーンのほぼ中央に位置し、面積が約8,000mある大花壇「四季の花園」では 主に、年に3回、季節の花を植裁しているそうです。春は「菜の花」、夏は「ひまわり」、秋は「コスモス」などが咲きます。
 訪れたのが3月ということで、菜の花が満開になっていました。

2021.5.23掲載 鹿児島県 出水市 ツル観察センター/クレインパークいずみ

 2020.1.10撮影
 鹿児島県 出水市 ツル観察センター/クレインパークいずみ 日本最大のツルの渡来地である出水には、毎年10月中旬から12月頃にかけて、1万羽を超えるツルが越冬のためシベリアから渡来し、3月頃まで滞留します。その渡来数と種類の多さは日本一と言われており、「鹿児島県のツル及びその渡来地」として国の特別天然記念物にも指定されています。 その数の多さに驚くことはもちろん、ツルたちが優雅に羽を広げて大空をはばたく姿は、他では決して見ることのできない、出水の冬の風物詩です。羽数が最も多くなる時期は12~1月頃ですが、11月~3月にかけて見ることができます。 また、渡来期間中であれば比較的どの時間帯でも、エサをついばんだり、羽つくろいやダンスをしたりと、思い思いに過ごすツルの様子を見ることができます.
 出水に渡来するツルを見るなら、ツルのねぐらとなっている干拓地の目の前に立つ「出水市ツル観察センター」(写真右下)がオススメです。2階の展望所からツルの様子を観察しながら、ツル渡来地について学ぶことができます。 また、ツルについてさらに詳しく知りたくなったら、日本で唯一のツルの博物館「クレインパークいずみ」(写真右上)で情報を得ることができます。

2021.5.16掲載 鹿児島県 出水郡長島町 針尾公園から見た天草諸島

 2020.1.10撮影
 鹿児島県 出水郡長島町 針尾公園から見た天草諸島 針尾公園(はりおこうえん)は鹿児島県 出水郡長島町のある長島の北部、八代海に臨む崖上にあり、昔、天草一帯の実権を握っていたといわれる豪族宮地氏の砦跡です。公園内の展望台から伊唐島(いからじま)、諸浦(しょうら)島、獅子島などを一望に望み、遠くには天草諸島、雲仙岳をも眺望できる絶景地です。また、1996年(平成8年)に完成した伊唐大橋(写真中央)も眺めるには最適な場所です。2014年( 平成26年)3月、老朽化等に伴い、既存の展望トイレを改修。トイレは外観だけでなく内装も一新しており、針尾公園からの眺望を生かして、トイレ内部からも絶景を眺めることができるようになっています。展望台も兼ねたトイレの名称は『針尾空中展望トイレ』。眺望日本一のトイレを目指しているそうです。尚、ここから2キロほど離れたところに、かつて薩摩藩が設けた番所・三船番所跡があるそうです。


2021.5.9掲載 鹿児島県 霧島市 和気神社(公園)の藤

 2021.4.21撮影
 鹿児島県 霧島市 和気神社(公園)の藤 今から千二百余年前の奈良時代、道鏡に都を追われた和気清麻呂は、再び都に呼び戻されるまでの日々をこの周辺で過ごしたと伝えられています。和気神社(わけじんじゃ)はその和気清麻呂を祭った神社で交通安全、学問、建築の神として御利益があるといわれています。近くに清麻呂が入ったといわれる温泉「和気の湯」があり、浴後、腰掛けられたという腰掛石も残っています。創建は1946年(昭和21年)と新しいのですが、江戸時代末期に薩摩藩主の島津斉彬による調査で、この地が和気清麻呂が過ごした場所とわかったそうで、坂本龍馬夫妻が新婚旅行でこの地を訪れたことを記念する碑もあります。
 隣接する和気公園には和気清麻呂の縁で、生まれ故郷の岡山県和気町の藤公園から贈られた約100本の藤の木が植えられ、例年4月下旬には満開になり、「藤まつり」が行われています。2020年はコロナ禍でまつりは中止、入園も不可となりましたが、2021年は観覧のみが許されました。ということで初めて訪れてみました。
 ※時期ものですので、早速掲載しました。

2021.5.2掲載 鹿児島県 薩摩川内市 藤本滝公園の藤

 2021.4.9撮影
 鹿児島県 薩摩川内市 藤本滝公園の藤 藤本滝公園(ふじもとたきこうえん)は薩摩川内市(さつませんだいし)樋脇町にある藤本滝(別名:薩摩華厳)へと続く遊歩道沿いに造られた公園で四季折々の花木が植えられた公園です。公園の入り口近くに33本からなる約600m2の藤棚があり、例年、4月後半には藤色や白色の花が咲き誇ります。2021年は例年より早く咲き始めたようで、この時期に藤色の藤は満開になっていました。
 尚、藤本滝は2009年(平成21年)に薩摩川内市の景観重要資産第1号に認定された滝で高さ26m、幅13mの2段の滝で、美しさから「薩摩華厳」と称されているようですので、別途紹介したいと思います。
 ※時期ものですので、早速掲載しました。

2021.4.25掲載 鹿児島県 肝属郡 東串良町 柏原海岸 ルーピン畑

 2021.4.6撮影
 鹿児島県 肝属郡 東串良町 柏原海岸 ルーピン畑 柏原海岸(かしわばるかいがん)は日南海岸国定公園の南端に位置する、白砂青松が美しい海岸です。東串良町では地域おこしとして海岸一帯に町花「ルーピン」を栽培し、地域の名所になっています。例年、ルーピンが辺り一面を黄色に染める4月には、「ルーピン祭り」が開催され、訪れた人たちの目を楽しませてくれますが、2021年(令和3年)は中止になっていました。また、海岸は 潮干狩りも人気です。
 ルーピン(黄花ルピナス)とは、豆科の園芸植物で、アメリカ・地中海岸岸・南アメリカが原産です。 花言葉は母性愛です。東串良では、10月下旬から11月上旬にかけて砂地に種をまき、3月下旬から4月中旬に黄色い花が一斉に咲き誇ります。 柏原海岸に黄色いじゅうたんを敷き詰めたように、咲き誇り素晴らしい花景色をみせてくれます。花の形や咲き方から日本では『ノボリフジ』と呼ばれており、藤と同じマメ科の植物で、花の形も似ています。
 ※時期ものですので、早速掲載しました。

2021.4.18掲載 鹿児島県 鹿児島市 甲突川河畔の桜

 2021.4.2撮影
 鹿児島県 鹿児島市 甲突川河畔の桜 甲突川(こうつきがわ)は鹿児島市の中心部を流れる川で桜並木の遊歩道があり、下流からは桜島も望めます。春には約500本の桜が咲き誇り、通年は夜桜のライトアップが行われています。また、高見橋から甲突橋にかけての川沿いは、西郷隆盛や大久保利通など、鹿児島の生んだ明治の偉人たちのゆかりの場所です。毎年春と秋には甲突川左岸の緑地で盆栽や花・果樹などを販売する「木市」が開かれ、園芸好きの地元の人々で賑わうほか、夏には甲突川リバーフェスティバルなど、各種イベントが行われます。
 ※時期ものですので、早速掲載しました。

2021.4.11掲載 鹿児島県 指宿市 魚見岳

 2021.3.29撮影
 鹿児島県 指宿市 魚見岳 魚見岳(うおみだけ)はハワイのダイヤモンドヘッドそっくりの、岩肌荒々しい標高215mの山で、指宿が「東洋のハワイ」と呼ばれるゆえんのひとつでもあります(写真右上参照:指宿市街地から見た魚見岳)。春には約600本もの桜の名所ということで、桜の季節に再び訪れてみました。
(前回の掲載はこちら
 今回は丁度、知林ヶ島への砂州がきれいに出現していた時間でしたので、それも含めて掲載しました。
 ※時期ものですので、早速掲載しました。

2021.4.4掲載 鹿児島県 いちき串木野市 観音ヶ池市民の森

 2021.3.26撮影
 鹿児島県 いちき串木野市 観音ヶ池市民の森 観音ヶ池市民の森(かんのんがいけしみんのもり)は、いちき串木野市にある,県推奨の「森林浴の森」70選のひとつで,千本桜,つつじ,あじさいなど四季を通じて憩いの場となっている場所です。特に,桜は見頃の時期(例年3月下旬から4月上旬頃)になると,植えられた1,000本以上のソメイヨシノなどの花が,様々に咲き乱れる景色はとても見事です。
 昨年に続き訪れて、桜を楽しみましたが、昨年より2週間以上早く見頃の時期が訪れてしまい、3月中の訪問となってしまいました。昨年の様子はこちら
※時期ものですので、早速掲載しました。

2021.3.28掲載 鹿児島県 薩摩川内市 寺山いこいの広場

 2021.3.23撮影
 鹿児島県 薩摩川内市 寺山いこいの広場 寺山いこいの広場(てらやまいこいのひろば)は、薩摩川内市の寺山にある公園施設です。標高247mの高台に位置し、広い敷地内に「せんだい宇宙館」「レストハウス」「ゴーカート場」「動物広場」「運動広場」「フラワーガーデン」「少年自然の家」などの複数の施設が集まっています。眼下には雄大な川内川が流れ(写真右上)、遥か彼方に東シナ海に浮かぶ甑島が見渡せます。家族で憩いのひとときがすごせる公園です。公園内は桜の名所でもあり、約400本の桜の木があります。春にはソメイヨシノ、八重桜、シダレ桜が咲き、満開時は見ごたえがあります(県推奨森林浴の森70選:レクリエーションコース)。 夜には、薩摩川内市街地の夜景を眺めることもできます。
 ※例年より早く桜が満開ということで訪れて、桜を楽しみました。時期ものですので、早速掲載しました。

2021.3.21掲載 鹿児島県 指宿市 フラワーパークかごしま

 2020.1.4撮影
 鹿児島県 指宿市 フラワーパークかごしま フラワーパークかごしま(ふらわーぱーくかごしま)は鹿児島県薩摩半島最南端の長崎鼻の近くに位置し温暖な気候と天然の松林に囲まれた地形をいかした世界各地の植物が楽しめる植物公園です。36.5haの広大な敷地に、南アフリカやオーストラリアなどの亜熱帯植物や温帯植物を植栽しています。開聞岳を背景にした花広場や、錦江湾を一望できる展望回廊、両サイドに壁のないウインドスルーの屋内庭園やヨーロッパ風の西洋庭園などがあり、温室では色鮮やかなヒメショウジョウヤシ、ヒスイカズラ、メディニラ・マグニフィカなどの熱帯植物が楽しめます。毎年、年末年始にはきらめく電飾で園内を彩る「フラワーパークイルミネーション」が開催され、日本の四季、春夏秋冬を、イルミネーションで表現して、季節の移ろいを凝縮された光の中で体感できます。

2021.3.14掲載 鹿児島県 垂水市 垂水千本いちょう園

 2019.12.4撮影
 鹿児島県 垂水市 垂水千本いちょう園 垂水千本いちょう園(たるみずせんぼんいちょうえん)は園内に1200本以上のイチョウが植えられ、シーズンを迎えると辺り一面は黄金色に染まる、垂水市を代表する名所です。4.5haの敷地に、約1,200本のイチョウが植樹してあるそうです。 この垂水千本イチョウ園がほかの名所と異なる点は、私有地であるということです。 園主である中馬吉昭さんが、垂水に帰郷し、先代から受け継いだ荒れ果てた山を、奥様と二人三脚で開墾されたものです。1978年(昭和53年)にスタートしたイチョウ園づくりは、約30年の時を経て、多くの人を魅了する名所となり、市内外から多くの方が訪れています。 また、その景観の素晴らしさとご夫婦の活動が評価され、初代鹿児島県景観大賞を受賞しています。見頃は例年11月下旬~12月上旬となっています。
※コロナ禍で新しい写真の撮影が進まないため、少し時期はずれの掲載となってしまいました。

2021.3.7掲載 鹿児島県 いちき串木野市 薩摩藩英国留学生記念館

 2019.11.29撮影
 鹿児島県 いちき串木野市 薩摩藩英国留学生記念館 薩摩藩英国留学生記念館(さつまはんえいこくりゅうがくせいきねんかん)は1865年(元治2年)五代友厚ら19名の若き薩摩藩士がイギリスへの留学のため、この地羽島で2ヶ月間を過ごし、イギリスに向けて旅立った場所として記念し、いちき串木野市羽島に2014年(平成26年)7月に開館した施設です。幕末の薩摩からイギリスに密航し、帰国後は様々な分野で日本の近代化に貢献した薩摩スチューデントの生きざまと功績を顕彰しています。貴重な資料や映像で、留学生たちの旅路や功績を紹介しているほか、展望デッキ、カフェ、ライブラリーがあります。この地から旅立った留学生に思いを馳せ、未来を築く為の心の糧にして欲しい。外観は明治初期の赤煉瓦の壁面と、和瓦の屋根を組み合わせた「薩摩式洋館」をイメージしているそうです。

2021.2.28掲載 鹿児島県 いちき串木野市 冠岳展望公園(日本一の徐福石像)

 2019.11.29撮影
 鹿児島県 いちき串木野市 冠岳展望公園(日本一の徐福石像) 冠岳展望公園(日本一の徐福石像)(かんむりだけてんぼうこうえん(にほんいちのじょふくせきぞう))は串木野市制施行50周年を記念して、2000年(平成12年)に日本一の徐福石像(高さ6m)を建立した公園で、串木野市内や東シナ海、冠岳を一望できます。秦の始皇帝が徐福に命じて蓬莱の国にあるという不老不死の霊薬を求めて旅立たせ、帰りを待ち望んでいる像が中国の秦皇島市にあり、その像に対応するために作られたそうです。徐福の石像は中国で加工・製作されたもので、日本国内の徐福像の中では日本一だそうです。 毎年4月には徐福花冠祭が開催され徐福さんを乗せた地車を敷いて行列を成すそうです。

2021.2.21掲載 鹿児島県 いちき串木野市 冠嶽園

 2019.11.29撮影
 鹿児島県 いちき串木野市 冠嶽園 冠嶽園(かんがくえん)は、昔も今も信仰の山として畏敬の念をもたれる山岳仏教の霊山「冠岳」の麓に冠岳の縮景と、その名の由来である「方士徐福」の伝承を顕現するために設けられた中国風庭園です。また、串木野市が東海(東中国海)をはさんで面している南部諸市省を中心に、中国との友好関係を深めたいと願いをこめたものでもあるそうです。

2021.2.14掲載 鹿児島県 いちき串木野市 冠嶽神社

 2019.11.29撮影
 鹿児島県 いちき串木野市 冠嶽神社 昔も今も信仰の山として畏敬の念をもたれる霊山冠岳。 その麓に、冠嶽神社(かんむりだけじんじゃ)、中国風庭園「冠嶽園」や冠岳花川砂防公園などがあります。また、冠岳の中腹を一周する冠岳ウォーキングコース(歩行者専用道路・約10km)があり、春は桜、秋は紅葉が楽しめる場所でもあります。
 冠嶽神社は東嶽神社のことで熊野三社権現の本宮である祭神の櫛御毛野命を祀っており、御祭神名から「くしきの」の地名が起こったともいわれています。
 この地は、飛鳥時代の政治家である蘇我馬子が6世紀の中ごろに天皇の勅願所として熊野権現を勧請し、冠岳三所権現と興隆寺を建立し、後に阿子丸仙人が天台宗を開いて真言宗鎮国寺頂峰院とし、仏教普及の地となったところで、古代山岳仏教発祥の地であり、真言密教開祖の地として知られているそうです。藩主島津家歴代の信仰も篤かったのですが、1869年(明治2年)の廃仏毀釈により焼かれてしまい、神社だけが残されたそうです。その後、1983年(昭和58年)に鎮国寺頂峰院は百年ぶりに法灯が灯されました。

2021.2.7掲載 鹿児島県 南九州市 錦江台展望公園(スカイぱれっと)

 2019.11.9撮影
 鹿児島県 南九州市 錦江台展望公園(スカイぱれっと) 錦江台展望公園(スカイぱれっと)(きんこうだいてんぼうこうえん(すかいぱれっと))は、鹿児島県南九州市市川辺町にある公園で、指宿スカイラインに併設された展望公園です。「スカイぱれっと」と名付けられ、公園内には吊り橋や散策コースがあります。散策しながら公園の緑越しの桜島や、緑と海と桜島など、いろんなアングルで自然を楽しめます。錦江湾(鹿児島湾)や桜島が見通せることでよく知られており、ドライブやツーリングの休憩に立ち寄る人も多い人気スポットになっています。

2021.1.31掲載 鹿児島県 鹿児島市 ENEOS喜入基地

 2019.11.9撮影
 鹿児島県 鹿児島市 ENEOS喜入基地 ENEOS喜入基地(エネオスきいれきち)は、鹿児島県鹿児島市喜入にあるENEOSの原油備蓄基地で、東京ドーム約41個分の広さを誇る世界最大級の原油中継・備蓄基地です。喜入基地は1969年(昭和44年)9月から操業しています。現在、喜入基地には、普通自動車約330万台を満タンにするほどの原油を蓄えることができる16万KLのタンクを含む合計57基の原油タンクがあり、すべてのタンク容量を合計した総貯油能力は735万KL(日本全体の消費量の約2週間分に相当)に上るそうです。 また、30万t級のタンカーで基地まで輸送された原油を、ENEOSの各製油所や日本海石油の油槽所に配送する10万t級の小型タンカーに移し替える中継基地としての役割も持っているそうです。

2021.1.24掲載 鹿児島県 指宿市 山川製塩工場跡

 2019.11.9撮影
 鹿児島県 指宿市 山川製塩工場跡 山川製塩工場跡(やまかわせいえんこうじょうあと)は指宿市山川福元にある製塩工場跡です。1943年(昭和18年)頃から約20年間、この場所では伏目海岸一帯(伏目温泉)の温泉熱を利用した製塩事業が行なわれていました。 このような製塩事業は全国各地で行われていましたが、最後まで操業したのは指宿地域でした。 山川製塩工場跡地のように、当時の塩田跡と泉源が現存している場所は稀で、時代変遷を伝える価値の高い産業遺構といえます。 また、眼下に広がる伏目海岸の砂浜には高温の噴気があり、湯煙が上がっており、砂蒸し風呂としても稼働しています。また、背後には開聞岳が聳え、風光明媚な場所でもあります。

2021.1.17掲載 鹿児島県 鹿屋市 串良平和公園

 2019.11.4撮影
 鹿児島県 鹿屋市 串良平和公園 串良平和公園(くしらへいわこうえん)は鹿屋市串良町にある公園です。平和公園はかつて串良海軍航空隊の航空基地があったところで、約5千人の飛行予科練習生が、航空機の整備、搭乗、通信等の猛訓練を、受けたところです。1945年(昭和20年)3月1日からは、特別攻撃隊の基地となり、終戦までの半年間に、祖国の安泰を祈り、身をすてて南の大空へと勇躍飛び立ち、散っていった若き精鋭たち特別攻撃隊363名、一般攻撃隊202名、合計565名の最後の地となったところです。公園内には、串良基地から出撃し命を落とした方々の御霊を祀る慰霊塔が建てられています(写真)。公園前にある東西1,300m、南北1,200mの直線道路は、特攻隊が飛び立った滑走路で、現在は両脇に桜の木が植えられ、3月末から4月初旬にかけて桜の名所となっています。

2021.1.10掲載 鹿児島県 鹿屋市 鹿屋航空基地史料館

 2019.11.4撮影
 鹿児島県 鹿屋市 鹿屋航空基地史料館 鹿屋航空基地史料館(かのやこうくうきちしりょうかん)は、鹿児島県鹿屋市にある海上自衛隊の航空史料館です。1973年( 昭和48年)12月に開館し、1993年(平成5年)7月には「新史料館」としてリニューアルオープンしています。大日本帝国海軍鹿屋航空基地時代から現代の海上自衛隊に至るまでの写真や文献、実機(復元)等を展示することによって、戦争・神風特別攻撃隊の実態、現代海上自衛隊の装備の変遷・活動等を明らかにし、それによって国家を守ることの意味が理解されることを企図しているそうです。 保管資料数は約5500点。史料館の2階フロアは、旧軍時代における「海軍精神」等のコーナーがあり、特に「実力の養成~海軍航空隊の発展~」では、垂水市浜平の海岸で引き揚げられたものと旧加世田市吹上浜で引き揚げられたものを合体復元した「零式艦上戦闘機52型丙」(写真)が展示してあり、コックピットを見学することもできます。 1階フロアでは海上自衛隊の装備・活動がコーナー展示されています。「海上自衛隊の発展」では、警察予備隊時代の海自創生期の記録が公開され、「国防を支える人々と航空技術」では、航空機や兵器の製造技術の発展が主な展示内容で、ハープーン対艦ミサイルや、短魚雷・航空機用のエンジンを見ることができます。また、P-3Cや隊員の派遣の記録や、隊員達が身に着ける装備の展示もあります。さらに屋外には、過去に海上自衛隊で装備された数々の機体が展示されています。

2021.1.2掲載 鹿児島県 鹿児島市 自宅から見た2021年の初日の出

 2021.1.1撮影
 鹿児島県 鹿児島市 自宅から見た初日の出 2021年 令和3年元旦 自宅から見える初日の出を掲載しました。
桜島から連なる稜線沿いに雲間があり、そこから初日の出がちょっとだけ見えていました。