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〒891-0141 鹿児島県鹿児島市谷山中央

中's ギャラリーgallery 2023年掲載


 2023年秋以降に撮影した鹿児島の観光地の写真が中心です。

2024.5.5掲載 鹿児島県 伊佐市 湯之尾滝のこいのぼり

 2024.4.25撮影
 鹿児島県 伊佐市 湯之尾滝のこいのぼり 伊佐市菱刈を流れる川内川上流の湯之尾滝は昨年紹介しました。その上を気持ちよさそうに泳ぐのは、こいのぼりです。 湯之尾滝では40年前から5月5日の子どもの日の前に不要になったこいのぼりが飾られています。新型コロナの影響で中止となっていましたが昨年4年ぶりに復活しました。 およそ80mの幅の滝に13本のロープが張られ、およそ300匹が飾られていました。湯之尾滝のこいのぼりは5月12日まで飾られます。
 季節ものでしたので、早めに掲載しました。

NHK番組「ブラタモリ」最終回記念その3
2024.4.28掲載 鹿児島県 指宿市 成川公園から見た山川港

 2024.3.15撮影
 鹿児島県 指宿市 成川公園から見た山川港 山川湾(やまがわこう)は約5,700年前の火山噴火でできた湾です。北・西・南側の垂直に切り立った崖は火口壁で、東側の火口壁が壊れて海水が流入し現在の形になったそうです。湾曲した入り江で,湾内は砂嘴によって外海と区切られているそうです。このため,湾内には波が入りにくく荒天時にも穏やかだそうです。中世から大型船も停泊できる国際貿易港としてにぎわっていました。山川港を空から見ると,湾入口の砂洲が鶴のくちばし,陸地が左右に広げた翼に見えることから「鶴の港」とも呼ばれているそうです。

 NHKの番組「ブラタモリ」が最終回を迎えたのですが、最終回の訪問先が指宿市(指宿のわっぜぇ火山は歴史を動かす!?)ということで、内容を追いかける形で当方も指宿市をめぐってみました。今回はその3回目です。

NHK番組「ブラタモリ」最終回記念その2
2024.4.21掲載 鹿児島県 指宿市 伏目海岸

 2024.3.15撮影
 鹿児島県 指宿市 伏目海岸 指宿市山川にある伏目海岸(ふしめかいがん)は,高さ30mの断崖(だんがい)が約4Kmにわたって緩やかな弧を描いて続いています。この断崖は約6300年前に現在の池田湖から噴出した火砕流堆積物からできて独特の景観を作り出しています。海岸にそびえる白い崖は,池田湖が噴火した際に積もった火砕流堆積物です。その白い崖から、 流れているのはなんと温泉です。 崖の上から流れる温泉の滝なのです(写真中央)。また、この崖が砕けて砂浜をつくっているため,伏目海岸は白っぽいのだそうです。青い海とのコントラストがとても美しいです。また,約100℃の温泉と噴気(ふんき)が吹き上がるめずらしい現象を観察することもできます。伏目地区の地下1000~1800mには,230℃を越す熱水が存在し,この熱源が影響しているそうです。伏目海岸の白いビーチは,火山活動を体験できる日本でもまれなビーチです。

 NHKの番組「ブラタモリ」が最終回を迎えたのですが、最終回の訪問先が指宿市(指宿のわっぜぇ火山は歴史を動かす!?)ということで、内容を追いかける形で当方も指宿市をめぐってみました。今回はその2回目です。

NHK番組「ブラタモリ」最終回記念その1
2024.4.14掲載 鹿児島県 指宿市 砂むし温泉

 2024.3.27撮影
 鹿児島県 指宿市 砂むし温泉 国内でも貴重な天然砂むし温泉は、海岸に湧出する自然温泉を利用した和風サウナです。天然温泉が自然湧出する海岸に体を横たえ、身体に砂をかけてもらい、波の音を聞きながら待つことしばし。10分~20分もすると温泉の熱と砂の圧力で、体のしんからどっと汗が噴き出してきます。砂から出て大浴場で湯を浴びれば、心と体の老廃物がすっきり流れ去ったような快感。入浴後には入浴前と比べ、血液がさらさらになるという調査データもあるほどです。大潮の干潮時には波打ち際で、満潮時や天候の悪い日は屋根付の砂むし場で砂浴が可能です。 砂の重みと温かさ、波の音が心も体も和ませてくれます。 砂むし湯治は古くから行われており、1843年(天保14年)に編纂された「三国名勝図会」にも高い効能が記されているそうです。 泉源は高温のため、潮が引いていく時には砂浜に湯煙が立ち上る幻想的な景色が見られます。

 NHKの番組「ブラタモリ」が最終回を迎えたのですが、最終回の訪問先が指宿市(指宿のわっぜぇ火山は歴史を動かす!?)ということで、内容を追いかける形で当方も指宿市をめぐってみました。今後、数回に渡り関連先を紹介したいと思います。

2024.4.7掲載 鹿児島県 いちき串木野市 市来ダム

 2024.3.7撮影
 鹿児島県 いちき串木野市 市来ダム 市来ダム(いちきだむ)は鹿児島県いちき串木野市川上の二級河川八房川本流にある農地防災目的のロックフィルダムです。 鹿児島県では県管理の一級河川および二級河川の防災については主として農水省(農林省)の補助を受けた防災ダム事業によって実施され、1960~70年代に鹿児島地域及び北薩地域に計7基の農地防災ダムが建設されたそうです。 市来ダムもその一つで、1970年(昭和45年)に着手された農水省の補助を受けた県営防災ダム事業市来地区により着工され、1981年(昭和56年)に竣工しました。 完成後は市来町が管理を受託していましたが、2005年(平成16年)の市町村合併により現在はいちき串木野市が管理を引き継ぎ、八房川流域約225haの農地防災を担っています。 市来ダムは県道308号線沿いにあり、県道から堤体を望めます。 堤高41m、堤頂長130mのロックフィルダムですが、下流面には芝が張られ見た目はアースフィルのように見えます。

2024.3.31掲載 鹿児島県 いちき串木野市 市来湊

 2024.3.7撮影
 鹿児島県 いちき串木野市 市来湊 市来湊(いちきみなと)はいちき串木野市の中南部、大里川及び八房川の下流域に位置しています。中世には薩摩国の代表的な湊であり、宿場町としても栄えていました。当時の市来湊は、九州各地からの船が出入りする栄えた港であり、島津藩も御船奉行を置き、密貿易を取り締まっていました。

2024.3.24掲載 鹿児島県 鹿児島市 大鳥神社

 2024.3.7撮影
 鹿児島県 鹿児島市 大鳥神社 大鳥神社(おおとりじんじゃ)はお伊勢岡公園横にある神社です。御祭神は日本武雄命(やまとたけるのみこと)ですが創建年代は不詳です。かつて永田川流域の口ノ坪にありましたが、江戸中期に上の前のお伊勢ケ岡に遷され産土神として篤く信仰されるようになりました。旧社地には、1727年(享保12年)新村集落の同志32名により造立された入佐の田ノ神(県文化財)があります。 1872年(明治5年)5月28日村社に列せられ、1911年(明治44年)9月19日無格社柿本神社を合祀したそうです。松元町郷土史によれば、稲の害虫を追うために入佐太鼓踊が大正期まで奉納され、東は谷山郷の烏帽子嶽神社、南は加世田郷の竹田神社まで響くほどの太鼓の音を打ち鳴らし、村の安泰と五穀豊穣を祈願したそうです。

2024.3.17掲載 鹿児島県 鹿児島市 お伊勢岡公園

 2024.3.7撮影
 鹿児島県 鹿児島市 お伊勢岡公園 お伊勢岡公園(おいせおかこうえん)は鹿児島市の西端、松元の南西の山間部にある公園です。岡(標高191.92m)の上に展望台があり、標高はさほど高くないのに360度見渡すことができます。展望台は2004年(平成16年)に公園の頂上に作られたそうです。展望台からの見晴らしは大変素晴らしく、眼下には深緑の森林やお茶畑、遠くを見渡せば桜島や霧島連山、野間岳、金峰山、東シナ海、吹上浜等も見ることができます。また見上げれば、空が近く感じられ、とても心地よい気分になります。

2024.3.10掲載 鹿児島県 鹿児島市 旧鹿児島紡績所技師館(異人館)

 2024.1.17撮影
 鹿児島県 鹿児島市 旧鹿児島紡績所技師館(異人館)旧鹿児島紡績所技師館(異人館)(きゅうかごしまぼうせきじょぎしかん(いじんかん))は島津家第29代当主忠義が日本初の洋式紡績工場を作った際に技術指導に招いたイギリス人技師の宿舎で、1867年(慶応3年)に建てられました。日本で最も初期の洋風木造建築の代表的なもので、コロニアル様式のベランダや日本の寸法による設計など和洋折衷の建築様式が特徴です。 1962年(昭和37年)6月に国の重要文化財に指定され、2015年(平成27年)7月には「明治日本の産業革命遺産製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の構成資産・旧集成館の建造物の一つとして、世界文化遺産に登録されています。 館内には当時を物語る写真や資料も示されています。

2024.3.3掲載 鹿児島県 鹿児島市 島津斉彬公像・天璋院(篤姫)像

 2024.1.16撮影
 鹿児島県 鹿児島市 島津斉彬公像・天璋院(篤姫)像 島津斉彬公像(しまづなりあきらこうぞう)は島津家第28代斉彬公の銅像(写真左)です。照国神社の隣にある探勝園内にあります。斉彬公は小さい頃から博学で、軍事・教育・科学など、富国強兵、殖産興業に力を注いでいます。集成館事業を起こし、集成館を建て反射炉・溶鉱炉を作り新式の大砲(薩英戦争で使用)や銃さらに紡績工場・電信機・ガラス製造所・水雷・綿火薬など多くの近代工業が開かれました。
天璋院(篤姫)像(てんしょういん(あつひめ)ぞう)は13代将軍徳川家定の御台所(正室)となり、幕末動乱の世にあって江戸城の大奥を取り仕切った天璋院(篤姫)の像(写真右)です。 篤姫は今和泉島津家の島津忠剛の娘、一子として、鹿児島城下(現在の鹿児島市大竜町)に生まれました。 1850年(嘉永3年)頃、德川家定の夫人に関する打診が德川家から島津家にあり、島津本家は、1853年(嘉永6年)に、一子を島津斉彬の実子として鶴丸城に迎え入れ、名は篤姫と改められました。同年、江戸に入ったが、政情不安や天災などの影響もあり、1856年(安政3年)ようやく将軍家定の御台所となっています。しかし、1858年(安政5年)に養父斉彬、夫家定が相次いで死去し、篤姫は落飾して天璋院と号するようになりました。 その後、世の流れは大きく討幕へと傾き、討幕軍の先頭にたっていたのは実家、薩摩藩でした。篤姫は、苦しい立場の中、最後まで江戸城に留まり、德川家の存続を願う嘆願書を討幕軍の隊長宛に出すなど、江戸城無血開城に大きな役割を果たしました。その後は、德川家達の養育に専念し、1883年(明治16年)に亡くなっています。 篤姫は、激動の時代の中、自分の正しいと信じる道をまっすぐに生き抜いた、薩摩の心を持ち続けた女性でした。

2024.2.25掲載 鹿児島県 鹿児島市 鹿児島県歴史・美術センター黎明館・御池

 2024.1.16撮影
 鹿児島県 鹿児島市 鹿児島県歴史・美術センター黎明館・御池 鹿児島県歴史・美術センター黎明館・御池(かごしまけんれきし・びじゅつせんたーれいめいかん・おいけ)鹿児島県歴史・美術センター黎明館の敷地は,17世紀初め初代鹿児島藩主家久によって構築され,江戸時代を通じて藩主島津氏の拠点となっていました。鹿児島(鶴丸)城の本丸の跡です。明治時代以降は,知政所,鎮西(熊本)鎮台第二分営,中学造士館,第七高等学校造士館,鹿児島大学文理学部,同医学部などが設置され,1983年(昭和58年)鹿児島県歴史資料センター黎明館が開館しました(令和2年4月に現名称に改称)。黎明館周辺には,これらを記念した石碑等も,その歴史的意義をたどる意味で,そのまま残されています。
 鹿児島(鶴丸)城本丸にあった池を復元したもの。 石橋などの石材は,もと鹿児島城本丸の東南隅にあったものが,第七高等学校造士館時代に同校のプール建設のため,鹿児島市鴨池動物園の庭園に移設され,その後,動物園の移転に伴い,鹿児島市から無償譲渡されたものです。

2024.2.18掲載 鹿児島県 鹿児島市 鹿児島県歴史・美術センター黎明館

 2024.1.16撮影
 鹿児島県 鹿児島市 鹿児島県歴史・美術センター黎明館 鹿児島県歴史・美術センター黎明館(かごしまけんれきし・びじゅつせんたーれいめいかん)は島津家の居城鹿児島城(鶴丸城)の本丸跡に建てられた県の歴史資料センターです。鹿児島の歴史民俗や文化遺産に関する展示・研究が行われており、貴重な文化遺産が15万5千点も収蔵されています。また、鹿児島は,九州の南端に位置し,古くから南に開かれた文化の窓口の役割を果たしてきました。長い間の南と北の文化の交わりは,この地に多様な文化を生み出し,日本列島の中でも特徴のある地域性を形成してきました。そうした鹿児島の文化の特質も豊富な民俗資料で紹介していました。
※今回はH3ロケットの打ち上げに伴う航跡写真を公開したいと思っていましたが、撮影がうまくいかなかったため、黎明館の情報を掲載しました。

2024.2.11掲載 鹿児島県 鹿児島市 鹿児島県歴史・美術センター黎明館

 2024.1.16撮影
 鹿児島県 鹿児島市 鹿児島県歴史・美術センター黎明館 鹿児島県歴史・美術センター黎明館(かごしまけんれきし・びじゅつせんたーれいめいかん)は島津家の居城鹿児島城(鶴丸城)の本丸跡に建てられた県の歴史資料センターです。鹿児島の歴史民俗や文化遺産に関する展示・研究が行われており、貴重な文化遺産が15万5千点も収蔵されています。約3千点の展示品の中で、特に幕末維新期の資料が充実しています。目玉は、一階のかごしまの歴史コーナーの大型模型で、原始・古代から近現代までを4区分し、それぞれの時代の象徴的な施設や街並みなどを展示しています。ジオラマや映像、クイズなどで、歴史的な時代背景を楽しく学ぶことができ、鎧など試着できる体験学習コーナーもあります。

2024.2.4掲載 鹿児島県 鹿児島市 鹿児島城(鶴丸城)・御楼門

 2024.1.16撮影
 鹿児島県 鹿児島市 鹿児島城(鶴丸城)・御楼門 鹿児島城(鶴丸城)・御楼門(かごしまじょう(つるまるじょう)・ごろうもん)鹿児島城(鶴丸城)は、1601年(慶長6年)頃に、のちに島津家第18代当主・初代藩主となる家久が建設に着手した島津氏の居城で、背後の山城(城山)と麓の居館からなる城です。 天守閣をもたない珍しい造りは、鎌倉時代以来の武家の屋形造りの伝統を継承したものだそうです。現在残っているのは石垣や石橋のみで、本丸跡には黎明館が、二之丸跡には鹿児島県立図書館が建っています。居館の正面中央に、威風堂々たる「御楼門」があります。御楼門は、城山を背景に、国内でも最大級の荘厳な門で、高さ・幅ともに約20m、2階建てです。屋根に取り付けられた2基の鯱(しゃちほこ)も国内最大だそうです。1873年(明治6年)の火災で焼失しましたが、2020年(令和2年)に日本最大の城門として復元されました。 御楼門と石垣は時間や季節に合わせて変化するライトアップを行っています。

2024.1.28掲載 鹿児島県 鹿児島市 照国神社

 2024.1.16撮影
 鹿児島県 鹿児島市 照国神社 照国神社(てるくにじんじゃ)は島津家第28代当主・島津斉彬公を祀る神社です。鹿児島市で最も大きな神社として、多くの参拝者が訪れています。 1863年(文久3年)、天皇から島津斉彬公に「照國大明神」の神号が授けられ、翌年、南泉院跡に社殿が建てられ、照國神社となったそうです。 西南戦争により社殿と宝物を焼失し、1882年(明治15年)に復興されたものの、1945年(昭和20年)に戦災で再び焼失しました。1958年(昭和33年)に復興造営され、現在は鉄筋コンクリート造りになっています。 入館料無料の資料館があり、境内には斉彬公、探勝園には久光公・忠義公の銅像もあります。毎年7月15日、16日に開催される県内最大規模の六月灯(夏祭り)では、境内に色とりどりの灯籠が飾られ、大勢の人々でにぎわいます。

2024.1.21掲載 鹿児島県 南九州市 飯倉神社・川辺の大楠

 2023.10.25撮影
 鹿児島県 南九州市 飯倉神社・川辺の大楠 南九州市川辺町宮の飯倉神社境内に,樹齢約1,200年といわれる大きなクスノキがあります。このクスノキは,高さ約25m,目通り周囲13m,根回り25mで,根元には六畳敷きほどの大きな空洞があります。かつて国の天然記念物に指定されていましたが,落雷により一部が枯死して上部がなくなっていることから,2本のクスノキのように見えます。枝葉がよく繁茂し樹形もよく,「蒲生のクス」,「志布志の大クス」,「塚崎のクス」と並んで,鹿児島県を代表する老大樹です。 飯倉神社は、奈良時代の和銅年間に飯倉山に創建され、鎌倉時代に現在地に遷座したと伝えられています。境内には鹿児島県指定天然記念物の「川辺の大クス」があり、毎年7月第1日曜日の御田植祭りでは御神田での祭礼や早乙女らによる田植え、「田の神舞」や「宮棒踊り」が奉納されます。

2024.1.14掲載 鹿児島県 鹿児島市 自宅から見たH-ⅡAロケット48号機の打ち上げ

 2024.1.12撮影
 鹿児島県 鹿児島市 自宅から見たH-ⅡAロケット48号機の打ち上げ 政府の情報収集衛星を搭載したH-ⅡAロケット48号機は、12日午後1時44分に鹿児島県の種子島宇宙センターから打ち上げられました。衛星を予定の軌道に投入し、打ち上げは成功しました。 補助ロケットや1段目のエンジンを切り離しながら上昇を続け、打ち上げからおよそ20分後に政府の情報収集衛星「光学8号機」を切り離して予定の軌道に投入し、打ち上げは成功しました。 政府の情報収集衛星は、高度数百キロの上空から地球上のあらゆる場所を撮影できる事実上の偵察衛星で、北朝鮮のミサイル発射施設の動向や災害時の被害の把握などに活用されます。 「H-ⅡA」ロケットは打ち上げ能力を強化した「H-ⅡB」も含めると、成功率98%と世界的にも高い水準を誇っていますが、打ち上げ費用の高さなどが課題となっていて、来年度に予定されている50号機の打ち上げを終えたあとは後継の新型ロケット「H-Ⅲ」に完全に移行する予定になっています。
 当初の予定より1日遅れての発射でした。晴れてはいましたが、雲が多く、距離のある鹿児島市からははっきりとは見ることができず、白い航跡のみを雲の合間からかろうじて見ることができた程度だったため、思ったような写真を撮影することはできませんでした。

2024.1.7掲載 鹿児島県 出水市 箱崎八幡神社

 2023.11.8撮影
 鹿児島県 出水市 箱崎八幡神社 箱崎八幡神社(はこざきはちまんじんじゃ)は出水市上知識町にある、心願成就と金運に御利益のある神社です。巨大なツルや亀のモニュメントが配置されているユニークな境内には、平成天皇御即位十年の記念事業として造られた「日本一大きな鈴」があります(写真右上)。「成せば成(鳴)る。大願成就の大鈴」と言われる鈴の大きさは、高さ4m、直径3.4mの重さ5トン。願いを込めて実際に鳴らすこともできるそうです。鈴は日本古来の美の象徴でもあり、鈴の音で邪を祓うというお清めの意味もあるそうです。目の前には「撫鈴」があります。願いを込めて触れ、心静かに鈴緒を引いて下さいとのことです。 神門を先に進むと、右手に鈴の形をした「宝物鈴殿」があります(写真左)。宝物殿の中には東郷平八郎元帥の直筆の書「箱崎八幡宮」、神楽奉納の面、並びに直径1.5ミリの「日本一小さな鈴」も展示されています。

2024.1.1掲載 鹿児島県 鹿児島市 自宅から見た2024年の初日の出

 2024.1.1撮影
 鹿児島県 鹿児島市 自宅から見た2024年の初日の出 令和6年元旦 自宅から見える初日の出を掲載しました。今年も青空が広がりきれいに見えていました。
 しかし、撮影した写真は今年ももう一つでした。